2010年3月アーカイブ

デジタルテレビ

| コメント(0)

 今月末で一部デジタルテレビのエコポイントが終了するというニュースを聞き、一昨日息子が山田電気で購入してきた。私はすでにブルーレイを購入し、アナログテレビで見ていた。ただ、NHK衛星は見ることができるが、BSフジとか無料の衛星放送が見られなかった。

 この際、思い切って買おうかなと悩んでいると、娘も買うという。いきなり子供らが2台、一家で3台も買うのはどうかと思ったが、アルバイトで貯めたお金で買うのだからあまり口出しはできない。で、内心「そうか、娘のテレビで野球の放送があるときだけBSを見せてもらったらいいではないか」と。

 そこで、一昨日相当粘ってまけさせたお兄ちゃんに山田電気までつきあってもらい、とりあえずはどんなもんかお店で見ることにした。私は早速店員に、ブルーレイの説明書を見せながら、「今のアナログテレビでBSは見ることができるか」と聞いてみた。アンテナの関係や色々と条件が伴い、「見られるかどうか断定はできない」という。

 さて、娘はBSが見れるやや高いテレビとそこから1万円ほど安いBSチューナーがついてないテレビで悩んでいる。私は下心があるから「そりゃBSチューナーがついているほうがいい」と勧める。で、店員に「これを購入したらBSを見ることができるか」と尋ねてみると、これも「アンテナの状況で断定できない」という。

 うちは寮になっていて小金井ケーブルテレビが直接全室まで届くようになっている。寮全体として無料で契約しているので、各室はケーブルテレビに加入しなくても無料の一般放送は見ることができると説明した。

 それならば、「今ブルーレイ本体の地上デジタル入力口につないでいるケーブルをBS入力につないでみて、一度映るかどうか確かめてみたら」と言ってくれた。なるほどと思い、家までとって返してやってみると、なんと見ることができるではないか。キャーである。今まで見ることができていたのに勝手に見られないと思いこんでいたのだ。

 それは説明書にも責任がある。絵図で詳しく説明してくれているのはいいが、普通の「アンテナケーブル」と「衛星用同軸ケーブル」という二つの表記があり、さらにつなぎ目の絵も違うので、いかにも衛星専用のケーブルが必要と思わせる説明図である。

 私もこれに見事にはまり、衛星用の専用ケーブルを買わなければ見ることができないと勝手に思っていたのだ。これがなんと娘のテレビ購入で、これまで使っていたケーブルと地上デジタルや衛星用のケーブルも何の違いのないことがわかり、私はこれでわざわざデジタル用テレビを購入する必要がなくなったのだ。

 また、店にとって返すと、店で待っていた子供らがたこ焼きを食べながら決めたという。なんと結局先程悩んでいた2つよりも、もう一つ格上の息子が一昨日買ったBRAVIA32Vと同型でやや小さい22V型だそうだ。

 この度は、ひょんな下心から、アナログテレビでも、そして専用の衛星放送ケーブルも必要なく、地上デジタルもBSも見ることができることを知らせていただき、感謝、感謝の一時であった。

祝 中日ドラゴンズ初勝利

| コメント(0)

祝 初勝利。よくぞ勝ってくれた。チェン様、和田様、落合様である。今年のドラゴンズは下手をするとBクラス、いや最下位も視野に入るのではと、正直昨日までは思っていた。一番大島、二番セサル。あれ?どこのチームという感じ。

 荒木の負傷は痛い。1、2番にアライバいなくなれば、いきなり弱小貧弱チームに映った。しかし、今日の6回はお見事。セサルから続いた。その前に大島も打った。6番井端はさすが、どこにいても勝負強い。欲を言わない、1、2番どちらかが機能すれば、クリーンナップ+井端で大丈夫だ。

 投手力はもともと凄い。現有1軍の13人の他に、なんと2軍では中田、朝倉、川井、山本昌と先発級が4人も控えている。打線さえ好調なら、あの巨人、そして城島加入で強くなった阪神相手にも遜色ない陣容になる。何とか2強に食らいついて久しぶりのセリーグV奪還を期待したい。連勝巨人を止めるのは、いつもわが中日ドラゴンズだ。

監督の発言十分注意を

| コメント(0)

一昨日の当欄「末代の恥」を新聞用に書き換えて投稿したら、本日の『東京新聞』発言欄で掲載されました。以下に紹介します。その東京新聞社会面を見てびっくり。なんと辞任したそうだ。何もやめなくてもいいと思いました。ただ、記者会見に出てきた服装は何とも。テレビの「とくダネ!」は同情的でしたが、毎日新聞などはやめて当然と書いていたようです。

3月26日付『東京新聞』発言欄はここをクリック

監督の発言十分注意を
選抜高校野球大会、21世紀枠で出場した向陽高校(和歌山県)に敗れた開星高校(島根県)の監督が、試合後のインタビューで「21世紀枠に負けて末代の恥です」などと発言した。いくら「選手のせいではない」といっても、これでは選手たちがかわいそうだ。
高校野球は「負けに学ぶ」ものだと聞いたことがある。高校野球は1度負けると終わり。その制度に疑問を持ったアメリカのテレビ取材に、高野連の方が「全国何千の高校の中で勝つのはただの一校だけ。他はすべて負ける。なぜ負けたかを考え、それを生かすことが大事なんです」と答えた。
これを知っていれば「末代の恥」との発言はなかったろう。指導者の言葉は、子どもたちの人生に強く影響する。肝に銘じてほしい。

沖縄遺骨収集の写真

| コメント(2)

娘の通う高校の修学旅行は沖縄だそうだ。そのために第1学年の終わりの昨日24日に、映画「ひめゆりの塔」を鑑賞したとのこと。娘は以前小学2年か3年生の時に、寮生だった那覇教会のお嬢さんの結婚式で沖縄に行ったことがある。行く前にこの映画を見せたので娘は2回目となる。

 当時、映画のあるシーンを見てかなりの衝撃を受けていた。壕の中に設けられた南風原(はえばる)陸軍病院でのこと。ひめゆり学徒の方が一生懸命看病している中で、気が狂いそうになった傷病兵が自分のオシッコを飲んでしまうシーンである。

 娘はこれをはっきりと覚えていて、あまり見たくないと言っていた。私は娘に「ちょっと前にこのような悲惨な現実があったことを知るために、みんなで映画を見ることはよいことだ。この事実を忘れてしまっては、また同じ過ちが繰り返されるよ。そうならないために、見たくはないだろうけれど見ることも大切なんだ」と言った。

 昨日帰ってきて、みんな相当ショックを受けていたと話してくれた。嬉しいことに、1月ほど前に担任の先生に私が毎年金光教の沖縄遺骨収集に行っており、兄も参加したことがあると話したそうだ。世界史の先生で「写真をぜひ見たい」と非常に興味を持ってくれた。

 娘に写真を持っていってもらって、私の説明通りに先生に説明したようだ。先生が「陸地からは戦車、海からは艦砲射撃で多くの人が追い詰められて亡くなった」とお父さんと同じことを言っていたと話してくれた。授業で使ってくれるそうである。有り難いことである。

 過去から学ぶことによって、初めて未来に向けて正しい道を歩むことができる。過去の事実に目をふさげば、同じ過ちを繰り返すだろう。戦争を知らない世代だからこそ、戦争とはどういうものかを想像し、その本質を知る必要があると思う。

末代の恥

| コメント(0)

選抜高校野球大会、和歌山県代表「向陽高校」「智弁和歌山高校」両校好スタート。智弁和歌山はいつ見ても堂々としており、よく打つ。甲子園最多勝利監督となった高嶋仁監督、少数精鋭主義でよくぞここまで勝てたと思う。

それに比べて悪いが、21世紀枠で出場した「向陽」に敗れた「開星(島根)」の野々村直通監督が、試合後のインタビューで「21世紀枠に負けて末代の恥です」、「恥ずかしくて立ち上がれません」などと発言したそうだ。

いくら「選手のせいではない」と言っても、これでは選手がかわいそうだ。今日の『朝日新聞』社会面に、開星高校の教諭が女子トイレに進入したとの記事と並んで出ていた。校長のほうが「末代の恥」と恥じ入っていることだろう。

以前にもこの欄で述べたが、高校野球は「負けに学ぶ」ものである。かつてアメリカのテレビが、大リーグで日本人選手が活躍する原点を探るために、高校野球について取材にきたときのこと。それはそれは選手はもちろん、回りの大人も一緒になってのそのひたむきな練習に驚きだったようである。

その中でも最大の疑問は、リーグ制が当たり前のアメリカでは考えられない一度負けたら終わりという大会についてだ。「生徒のチャンスや可能性をつぶしているんじゃないか」との質問に高野連の方は、「全国何千の高校の中で勝つのはただの1校だけ。後はすべて負ける。高校野球は負けに学ぶ場所。みんな勝つために努力する。でも必ず負ける。その時になぜ負けたかを考え、それを生かすことが大事なんです」と。「勝っておごるな、負けてくじけるな」だ。これこそが「野球道」と思う。

開星の監督がこれを知っていれば、悔しいのはわかるけれども「21世紀枠に負けて、末代の恥」とは口が裂けても言えなかっただろう。いや、野球道を極めていたら、その悔しさも自分の胸の内にしまっていると思う。

指導者に恵まれるか、恵まれないか。子どもたちのその後の人生に強く影響する。野球の指導者は特に肝に銘じてほしい。「本音がつい出てしまった」ではすまされない。高野連はそれこそびしびしやったほうがいいと私は思う。

感謝の念

| コメント(0)

 昨日の夜中の3時頃、猛烈な風の音で目が覚めた。台風並みの暴風雨。雨水よけのマンホールの上に黄色いプラスティック製の進入禁止標識板を立てている。それが気になり外に出てみる。雨はさほどでもないが、前に進むのも大変な風だ。

 やはり、標識は見当たらない。「えいやっ!」と走って芝生から駐車場の奥を見たがない。駐輪場の方に行くとその一番奥に二つに割れた標識があった。気がついてよかった。そこからまた外に飛んでいくと危険だ。自転車も半分ほどは倒れていた。

 それからまた布団に入ったが、その後も風音がすごくて朝まで眠れなかった。うつらうつら考えていたのが、こうやって雨風を防いでくれている家がなんとありがたいことか。安心、安全が当たり前になっている現代人はそのありがたさを忘れている。

 私は感謝の念が薄れそうになると、三つの体験を思い出すことにしている。一つは小学校5年生の時のこと。夏の暑いときにベランダに1時間ほど立たされた。のどが渇いて渇いて、ようやく解放されて水飲み場に飛んでいって飲んだ水の美味しさである。

 二つ目は、中学校1年生の時に親元を離れて金光学園寄宿舎に入ったときのこと。当時は高校3年生から中学校1年まで120人ほどの舎生がいた。お風呂は当然高校3年生から入っていく。中3の人が入る頃は、ボイラータンクのお湯も尽きている。私たち最下級生が入る頃は裸電球下の暗いなかで、お湯は少なく、垢でどろどろ、底は見えない。シャワーなんかしゃれたものはまだない時代。

 ところが、金光学園の創立記念日だったかどうか、1年に1回だけ中学1年生から順番に入る日がある。一番だからまだ外は明るく、まずはお風呂の明るさに驚く。そしてなんとお湯のキラキラ綺麗なこと。底が見えるのにみんな大はしゃぎ。

 三つ目は大学3年生の時。中野区の交差点24時間交通量調査のバイトで1人なんと1万円即金でもらえるとのこと。しかし、30人集めなければならない。東京寮生と大学のサークルなどなど何とかかき集めてできた。

 時は5月。1時間のうち10分だけ交通量を測定する。後の50分は何をしててもいい。昼間のうちはよかったが夜になるとやはり寒くなってくる。寒さは想定していたので冬服は一応みんな持参。それでも寒く、電気屋さんから大きな段ボールをもらってかぶって測定するやつやそれぞれ色々と工夫している。私は地下鉄の階段を下りていって一番下の隙間で50分間仮眠したりした。

 ようやく24時間無事に測定が終わり、一万円をもらって帰途につき、電車に乗った。なんとみんな薄着で半袖の人もいる。こちらは何枚も重ね着しているにもかかわらずまだふるえが来るほど寒い。この時に布団で寝ることがどれだけ体を温めてくれているかを実感した。

 普段何ごともなく過ごしていることがどれだけありがたいことか。しかしまた馴れてしまって感謝の念が薄れてしまう。そのたびにまた思い出して感謝の念を強くしているようなことである。

 千葉県佐倉市に国立歴史民俗博物館がオープンした。この展示室は「戦争と平和」「戦後の生活革命」をテーマに、1930~1970年代の生活用品や出版物などを展示。日本軍の兵舎や戦後の闇市を再現した模型もある。

 しかし、沖縄戦の集団自決について、沖縄の元守備隊長らが作家の大江健三郎さんらを訴えた「沖縄ノート」訴訟が継続していることなどを理由に、当館の展示内容を検討するために設けられた委員会の複数の委員から「慎重を期すべきでは」と指摘が出され、後掲のように展示パネルの文案が修正された。

 日本女子大学の成田龍一教授は、「集団自決への軍関与は、研究者の間で定着している歴史的事実。司法判断や政府見解を参考にすることはおかしい。展示はあくまで研究水準を投影すべきだと」と指摘している。

 私もそう思う。国家や政府はこのたびの外務省密約文書破棄問題でも明らかなように、自分たちの都合の悪い情報は改竄、隠蔽、破棄するのが習いである。生死にかかわる重要な情報を知っている者が生き残り、情報から一番遠い者は、騙され、欺かれ犠牲となる。

 過去の過ちを直視しなければ、必ずや未来に同じ間違いを起こす。そのための学問ではないか。自国民、日本民族を悪くいうのは辛いことである。しかし、だからこそ事実は事実として認め、未来の人々に真実を伝える責任があるのではないかと強く思う。

【修正前】 
「集団自決」 米軍からの投降の呼びかけを前に、集団自決をはかった人々が数多くいた。その背景には、住民への軍国主義教育や軍人からの指示や命令など、住民の意思決定を左右する戦時下のさまざまな要因があった。

【修正後】
「戦場の民間人」 激しい戦闘で多くの人びとが生命を落としたほか、犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく、「集団自決」自決に追い込まれた人びともいた。

物の整理

| コメント(0)

 4月に東京学生寮100周年の記念祭を迎えるにあたり、いろんな物の整理をしている。外の物置、階段下、集会室押し入れ等公共の場所に何とも多くの物を置いていた。いつかは使うかもしれないので、とりあえずは置いておこうと。

 様々な雑貨や箱、入れ物、金具、支柱、材木、板、竿などなど。出してみると結構な量。このたび卒寮する寮生が処分するために置いていった粗大ゴミと合わせるともう置き場所に困るほどだ。 

 せっかく置いていたものだが、10年、20年経てほとんど使ってないとなると、向こう10年、20年恐らく使わないだろう。かなり古くなって使い物にならない物もある。この際処分しないと結局後々の方に迷惑がかかるだろう。このたび使えない物は整理しようと思う。

 小金井市は、ゴミ処理焼却場老朽化に伴う新建設地でもめにもめている。小金井市のゴミはすべて国分寺市、府中市、三鷹市などの周辺の都市に処分をお願いしている。そのために基本のゴミ分別でも10種類以上分けなければならない。恐らく日本一厳しいのではないか。

 少し大きな物は、当然お金がかかってくる。何とか細かくして出そうと努力している。それでもそのゴミを出す袋は有料で40㍑で80円もする。効率よく捨てるためにこれまた一苦労だ。あっという間に日が暮れた。ぼちぼち頑張るしかない。

「密約」公表に思う

| コメント(0)

 この一週間も世の中、様々な重大事が起きている。悩んだり、憤ったり、悲しい出来事も多い。その中でも「核密約」問題。ようやくその存在が公表された。といっても、もうほとんどの人はその存在を知っていた。

 それにもかかわらず、密約を国民に隠し続けたお歴々のコメントの内容のなさに腹が立つやら、情けないやら、このことがどれだけ重要なことと理解できているのか。ほとんどわからないのであろう。

 「現在から当時を批判するのはコク」だとか、「やむおえない政治判断だった」とか「自分は知らなかった」とか、言い訳でしかない。今更「国民のため」とは片腹痛い。本当に正しい政治判断なら、少なくともアメリカで公表された時に密約を認め、その信念について説くべきであった。

 自国政府の事を他国によって知らされるいう何と情けないことか。まさか政権交代が起きて、密約が白日の下にさらされることはないと信じていたのであろう。日本はまだまだ民主主義にほど遠い国なのだ。

 詰まるところ、「国家のために国民があるのか」、「国民のために国家があるのか」、まだまだ前者の考えを持つものが多い。結局は、国家に国民が、強者に弱者が、多数に少数が犠牲となり、結果「やむをえなかった」、「仕方なかった」の一言で葬り去られる。

 民主主義は、それをできるだけ少なくする制度ではないか。その一番大事な要素が情報公開だ。第1次世界大戦の戦後処理をめぐるウィルソン米大統領の14か条の平和原則の第1条は「公開外交」の提唱だった。
 
 21世紀の今日、過去の教訓から生み出された取り決めを、みなが守れば戦争など起こるはずがないのだ。それを守らないから起こる。そこで責任ある為政者に守らせるために、実効的な制裁のある審判にどんどんかけなければならない。少なくとも政権政党であった自民党関係者お歴々の有罪は免れないであろう。

東京学生寮月例祭・送別会

| コメント(0)

 先週の日曜日は、3月の東京学生寮月例祭・送別会・食事会であった。ご祭主・教話講師は東京学生寮運営委員の村田先生。月例祭が滞りなく仕えられ、教話が奉仕された。

 教話で先生は、昨年大晦日に自転車で転倒、利き手が動かなくなったが、元日祭までにはおかげを蒙り、無事に仕えられたとのこと。その時にもうこれは元日祭は無理かと思ったが、何とかお繰り合わせ頂くことを願った。そこで後掲の『天地は語る327』を紹介しながら、人生は何が起きてくるかわからない。万事に日頃から立ち行きをお願いしていくことが大切とお話し下さった。

「信心しているから一生患わないと思うな。日や月でも、日食もあれば月食もある。そんな道理のものである。信心していても、人の身は生身であるから患うことはあるものと思い、また、患っても死なないと心に決めておけばよい」

 教話終了後、送別会を行った。集会室の蛍光灯を落とし、ろうそくの光だけの部屋に卒寮生入場。BGMは『さくらの栞』。寮長からの言葉に続いて、私が一人ひとりのとの思い出を語る。この辺で涙、涙。続いて卒寮生一人ひとりから最後のお言葉をいただき、記念品を贈呈し、感動のうちに終了した。 

 今年の卒寮生の中で一人は金光教学院生に、一人は東京都の高校教師として羽ばたく。ありがたいことである。それぞれ師の師たる先生になって頂き、道の道たる道を未来世代に伝えてほしいと切に願っている。

 続いて食事会。毎年村田先生は横浜にあがったお魚で料理を振る舞ってくれる。ペール沖地震の影響で魚が手に入らないかもとことであったが、立派なぶりと鯛で送別会を盛大に彩ってくれた。なんと「ぶりしゃぶ」と「鯛飯」。もちろんお刺身でも頂けるので、寮生一同大喜び。今月もまた楽しい月例祭・食事会となり、そして卒寮生を送ることができた。感謝。感謝。感謝。

忘れ物

| コメント(0)

 ここのところなかなか更新できずご無礼お許しを。今日は午後7時から月例祭・送別会、明日は100周年祭典関係、レセプションについて総合的な打ち合わせのため、今日から金光財団寮担当者も来寮する。

 この歳になって、いや今日の今日になって気がついたことがある。若いときというか、ここ数年前までは忘れ物などはほとんどしたことがなかった。どちらかといえば自信をもっていた。ところが、ここのところ何か一つ忘れてしまうのだ。

 先日も沖縄遺骨収集で携帯を忘れた。その前のある教会のご大祭に白衣を、別のご大祭に白帯を忘れた。沖縄から帰ってきてすぐに今度はなんと東京センターへ行くのに、財布を忘れ、駅で気がついた。もしかしていよいよ無呼吸症候群を発症したのではないか、と。

 つらつら考えていたら、ふと気がついたことがある。いつも忘れるのはその時その時、最後に入れれば大丈夫だと意識していた物ばかりなのだ。そして出発前になって電話や他の用が急に入って出発時間ギリギリになってあわてて飛び出して忘れているのだ。

 原因がわかれば解決も早い。つまりは、直前で大丈夫だろうと思うものもすべて完璧に用意すればいいのだ。そう考えると思い当たるフシがある。私はどんな準備でもこれは後にできるとついつい先延ばししてしまうのだ。特に確認の電話や手紙の返事や気が重いことや面倒なことは後回しにしてしまう。

 これがいけない。結局ぎりぎりになってあわててしまい、想定外のことが起こるとさらにパニックになってしまう。このクセをまずは直さなければならない。といいながら、今日の月例祭・送別会も何か一つ忘れているようで心配である。それではあわてないようにこの辺で。

今年初の「みのり」に参加

| コメント(0)

 先日、2月26日、今年最初の「みのり」に参加させていただいた。これは、首都圏の青壮年信奉者有志により、天地の恵み、天地の恩を実感し、感謝申し上げるために、自らの手で実際に野菜を栽培、収穫、併せて感謝祭や収穫祭を仕えているプロジェクトである。

 今回は、今年最初のジャガイモの植え付け。恥ずかしながら初体験で、種芋とはこのことかと初めて知った。土地をお貸しくださっているご主人が軽トラの荷台に座り込み、包丁で手際よくお芋を4分割している。これに石灰と思われるものをまぶす。

 畑はすでにご主人が耕し整地済みで、種芋を置く間隔やどの程度土をかけるか等を教えていただき、植えていく。私はだいたいふたバケツ、50個以上はあったような100個くらいあったようなよくわからないが、3種類あるジャガイモうちの2種類を20㍍程度ある畑に5畝分くらいを担当した。

 やわらかい土の狭いところを通り、腰を曲げて踏ん張るので、日頃使ってない筋肉を使う。この日より何日か内腿のところや肩が痛くなった。種芋を置いて土をかぶせただけで何とも情けない。沖縄遺骨収集でだいぶ歩き回っているがダメ。ちょっとしたことであちこち痛くなり、日頃の運動不足がたたる。

 天気予報が雨ということで早めに切り上げ、農家のご主人宅の縁側でおにぎりと豚汁をよばれる。一仕事の後は本当に美味しい。その後、ご主人が80何歳の誕生日ということで家の中に入らせてもらい、みんなでケーキを食べてお祝いした。奥さんは何と90何歳だそう。お元気である。
 
 ご主人、「こんなに大勢の方に祝ってもらったのは初めて」と喜んでいただいた。ちょうど浅田真央ちゃんのフリーの演技の時間で、大画面で生のオリンピックも見ることができ、一同感激のうちに今年初めての「みのり」が終了した。

 これから春から夏にかけて、順次里芋、ゴボウ、トウモロコシ、サツマイモ等を植え付けていく。今年も天地のお恵みを一杯に受けて、美味しい野菜を堪能したい。楽しみである。それにしても体を鍛えねば、まだまだ若いのだ(*^_^*)。

第37回沖縄遺骨収集に参加 終

| コメント(249)

 その後、その周辺を伐採、捜索したが、出てきたあごの骨や大腿骨はどうも馬か山羊か動物の骨であった。そしてあっという間に時間が過ぎ、最後に御祈念をさせてもらう。一般の那覇市の方で昨年から参加されている女性が、白布、お線香、お水を持参されている。

 お骨を乗せた白布にお水と4班の班長さんは御神酒をお供えし、全員で「祖先賛詞」と「天地書附」を奉体して御祈念をさせて頂いた。私は御祈念の時に、「お腹が空いただろう」、「心細かったろう」、「寂しかったろう」、「辛かったろう」、「臭かったろう」、「痛かったろう」とその方に思いをはせ、お慰め申し上げ、そしていまだに相争っている人間の愚かさを心からお詫び申し上げ、御霊様の立ち行きを神様に祈らせて頂いている。

 御祈念の後、4時からの慰霊祭に間に合うように撤収した。テント前では本部のスタッフの方がお茶とおしぼりを用意してくださっており、サーターアンダギーと今年は沖縄みかん「タンカン」を頂く。ほっと一息、ありがたいかぎり。私は地べたへとへたり込んでいた。

 すると、本部テント後方のところで関口さんが『あいよかけよ』誌の取材のためにアメリカからの参加者ロンさんに取材をしている。ロンさんは今回、赤ちゃんの頭骨などを収集された。関口さんにその頭骨を見せるためか、才田さんがすでに本部テント内に設けられた祭壇にお供えしてあったその赤ちゃんの頭骨が入った白布を押し頂いて持ち、私にも来るようにと目で合図してきた。 

 あわてて飛び起き、関口さんとロンさんのところに行く。すでに3、4人が取り巻いている。才田さんが恭しく白布をはずすと、本当に小さな赤ちゃんの頭と思われる頭骨が現れる。その瞬間、なんと黒アゲハチョウが赤ちゃんの頭骨の上を私の右手から左手にさっと飛んでいった。私はもう本当に驚いた。この赤ちゃんの御霊か、母親の御霊ではないか。

 私は「今飛んできたよね」と確認するために後ろを振り返ると、土居先生も目を丸くして「確かに飛んでいった」と頷いている。もし、黒アゲハチョウがしょっちゅうそこら辺を飛んでいればまあそんなものかと思うが、今日見たアゲハチョウは午前中に見たのと2匹のみ。それもさっと現れて、もう二度と現れない。その異様な雰囲気に遺骨収集で来ていた他の団体の方も集まってきて、赤ちゃんの頭骨を見て驚きの声をあげている。

 この黒アゲハチョウの出現は、私たちに何かを語りかけているとしか思えないのだ。「こんな悲惨な出来事はもう私たちで終わりにしてほしい。なぜ相変わらず相争っているのか」と。私は沖縄戦の実相にふれるたびに、残忍で汚辱にまみれたなまなましい地獄体験を前にして、いかなる戦争をも肯定できるものではないと強く思わされるのである。

 神様の子ども同士が、相争い、殺し合う。神様がもっとも嘆かれる行為を愚かにもいまだに続けている。この最たる過ち、ご無礼をお詫び申し上げ、神様が願う世界真の平和に向けて、小なりといえども頑張ってまいりたいと願っている。(おわり)

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.27-ja

2017年2月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2010年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年2月です。

次のアーカイブは2010年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: