感謝の念

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 昨日の夜中の3時頃、猛烈な風の音で目が覚めた。台風並みの暴風雨。雨水よけのマンホールの上に黄色いプラスティック製の進入禁止標識板を立てている。それが気になり外に出てみる。雨はさほどでもないが、前に進むのも大変な風だ。

 やはり、標識は見当たらない。「えいやっ!」と走って芝生から駐車場の奥を見たがない。駐輪場の方に行くとその一番奥に二つに割れた標識があった。気がついてよかった。そこからまた外に飛んでいくと危険だ。自転車も半分ほどは倒れていた。

 それからまた布団に入ったが、その後も風音がすごくて朝まで眠れなかった。うつらうつら考えていたのが、こうやって雨風を防いでくれている家がなんとありがたいことか。安心、安全が当たり前になっている現代人はそのありがたさを忘れている。

 私は感謝の念が薄れそうになると、三つの体験を思い出すことにしている。一つは小学校5年生の時のこと。夏の暑いときにベランダに1時間ほど立たされた。のどが渇いて渇いて、ようやく解放されて水飲み場に飛んでいって飲んだ水の美味しさである。

 二つ目は、中学校1年生の時に親元を離れて金光学園寄宿舎に入ったときのこと。当時は高校3年生から中学校1年まで120人ほどの舎生がいた。お風呂は当然高校3年生から入っていく。中3の人が入る頃は、ボイラータンクのお湯も尽きている。私たち最下級生が入る頃は裸電球下の暗いなかで、お湯は少なく、垢でどろどろ、底は見えない。シャワーなんかしゃれたものはまだない時代。

 ところが、金光学園の創立記念日だったかどうか、1年に1回だけ中学1年生から順番に入る日がある。一番だからまだ外は明るく、まずはお風呂の明るさに驚く。そしてなんとお湯のキラキラ綺麗なこと。底が見えるのにみんな大はしゃぎ。

 三つ目は大学3年生の時。中野区の交差点24時間交通量調査のバイトで1人なんと1万円即金でもらえるとのこと。しかし、30人集めなければならない。東京寮生と大学のサークルなどなど何とかかき集めてできた。

 時は5月。1時間のうち10分だけ交通量を測定する。後の50分は何をしててもいい。昼間のうちはよかったが夜になるとやはり寒くなってくる。寒さは想定していたので冬服は一応みんな持参。それでも寒く、電気屋さんから大きな段ボールをもらってかぶって測定するやつやそれぞれ色々と工夫している。私は地下鉄の階段を下りていって一番下の隙間で50分間仮眠したりした。

 ようやく24時間無事に測定が終わり、一万円をもらって帰途につき、電車に乗った。なんとみんな薄着で半袖の人もいる。こちらは何枚も重ね着しているにもかかわらずまだふるえが来るほど寒い。この時に布団で寝ることがどれだけ体を温めてくれているかを実感した。

 普段何ごともなく過ごしていることがどれだけありがたいことか。しかしまた馴れてしまって感謝の念が薄れてしまう。そのたびにまた思い出して感謝の念を強くしているようなことである。

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このページは、つっさんが2010年3月21日 17:37に書いたブログ記事です。

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