2005年5月アーカイブ

遺骨収集はカネになる

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(昨日は5年ぶりに東京センターに新職員が入り、その歓迎会で盛り上がった。センター職員で飲みに行くのは実に半年ぶり。大幅に12時をまわってしまい失礼しました) 

 今日付『東京新聞』25面「こちら特報部」の「遺骨収集はカネになる」との見出し。なんだこれとはと驚いたが、内容を読むと事情があった。

 遺骨収集の市民団体が、収集初期の頃、現地人に一柱につき1万円を渡していたという。米軍基地の撤退で職が亡くなり困窮してることや、現地人にとっては自分たちを戦乱に巻き込んだ兵隊の骨でもあり、お金を払うことは仕方ないと思っていたそうだ。

 ところが1人分の遺骨を三分割して三万円を要求してくる人が出てきた。現地での1万円は、10人家族が一ヶ月は食べていける金額。無理もない。今では酒やたばこをお礼に配っているようだ。

 フィリピン人にとって「日本人イコールお金くれる人」ということになっているらしい。悪い癖をつけた日本人に原因がある。今回の騒動もここらあたりに原因があるかもしれない。一昨日も申したが、誰も責任をとってこなかったことが最大の問題である。

日本兵生存情報に思う。

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 共同通信によると、「29日付のフィリピン英字紙インクワイアラーは、同国南部ミンダナオ島の元日本兵生存情報について『でっち上げの可能性がある』とする現地の治安当局者の話を報じた」とある。

 今から30年ほど前、横井さんや小野田さんが帰ってきたときは衝撃を受けた。横井さんの「恥ずかしながら」という言葉と小野田さんの軍服で敬礼した姿は忘れられない。その後10年ぐらいまでは、まだ日本兵がいるとの情報があり、テレビで何度が特集していたのを覚えている。

 その後は私もすっかり忘れてしまっていた。しかし、多くの人が取り残され現地化し、多くの人はすでに老齢で亡くなられたであろう。今回のことは「でっち上げ」にせよ、生きている方がいることは確かであると私は思う。いかに迎えるかが今後大きな問題である。

 このたびの報道では、少なくとも二つのことは学んだ。まずは、戦争というのは一度始めれば、50年、60年そこらでは終わらないということ。若い世代は60年前がそう遠い昔ではないことを感じたであろう。

 もう一つは、国家というのは全くもって国民1人ひとりの責任をしっかりととらないということ。一般国民ほどそうであるという事実。これだけは忘れてはいけない。

不思議な縁

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 最近、女房友達が何かの縁で話をよくする。例えば女房の友達Aさんの友達Bさんが女房とはずっと昔から知っている仲であったというような話である。友達Bさんの息子さんが野球をやっていて、小金井リトルリーグ時代の先輩にあたる。今年から同じ高校の野球部にいる。

 また、前にも書いたが、私の金光学園の同級生ご夫妻が小金井に住んでおり、息子さんが野球をやっている。それも高校の頃から二人とも名古屋でないのになぜか中日ファン。私が東京に来てからもしばらく会うチャンスはなく、25年ぶりくらいに出会い、何と野球関係の共通の知り合いが多いことには本当にびっくりした。

 金光教関係でいけばさらにすごい。東京寮を出てすぐ3軒どなりの家は、妹が嫁いだ松永教会の信者さんの弟。その向かいは寮生の知り合いで銀座教会の信者さんとのこと。全く金光教とは関係のないある集いで知り合ったご婦人は、何と金光町の出身でよく本部広前に参拝していたとのこと。

 また、里彩の友達のお母さんが本中野教会の奥様の知り合い。もっとびっくりしたのは、これも里彩の友達関係で、あの伏見教会の橋本先生と小学校が同級生という方が近所に住んでいたのだ。金光教も案外知られてはいるのだ。しかし、名前すら知らない人も多い。 「神縁誠に不思議にして」をもっともっと発揮しなければならない。

ご無礼

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 河合君、早速のお見舞い誠にありがたく、感謝。しかし、昨日の「思うがままに」の大変なご無礼から、今日は朝からショックの連続だった。

 今日はセンターで重要な所内懇談会があり、出日を変更していた。左目はまだ腫れていたので、コンタクトレンズがスムーズに入る液を使い装着した。ことのほか調子がよかったので、右目もその液体を使って挿入した。

 間違って流さないようにいつも洗面所に栓をしている。ふだん使っていない液で、完全に右目に入っていると思った。そして、ためていた水を一気に流してしまった。何と入ってなかったコンタクトレンズもろともに。気がついたときはすでに遅く、今頃はいずこに流れているやら。

 これは、昨日「悪いときには悪いことが重なる」と書いたが故だ。自らはまっている。もっと悪いのは、20年ぶりに使ったメガネ、急場をしのぎ、お役に立っているにもかかわらず、お礼どころか「せざるを得ない」などと悪く言ってしまった。うかつであった。いったい何年信心してきたか。

 このご無礼、不行届き。何とも申し訳ない。猛省である。

急竜下り

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 先日の「降竜戦」といい、今日の「急竜下り」といい、東京新聞はおもしろい見出しをつける。東京新聞は、本社が中日新聞だけにどうも自虐的になってきた。

 悪いときには本当に悪いことが重なる。交流戦前のあの阪神に7回まで7点差をひっくり返し、その後阪神5連敗と息の根を止め、次のカードでトップに急迫していたヤクルトに、三たてをくらわしたときはV2を確信していた。

 それが交流戦に入って歯車が狂い、何と楽天に3連敗。息の根を止められた。今年からスカパーのプロ野球セットに加入してしまったので、テレビで見ざるを得ない。負けるときというのは本当に負けるべく物事が動いていく。もう美しすぎるほどだ。

 決してこのことが原因ではない。なぜか私の左目は昨日から腫れ上がり、もう20年ぶりくらいの「ものもらい」になってしまった。日頃しているコンタクトも入れることができず、これも20年ほど前につくったメガネをせざるを得ない。子供たちからは私のメガネ顔を見て変態扱いするは、もう踏んだりけったりである。しかし、決してこのことが原因ではない。

ホームページの整理

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 ホームページ少し変わったことに気がついた?といっても過去の分を改めて読みやすいように整理しただけではあるが。昨年の11月頃にブログの頁に変更したが、無料プロバイダから有料へ変わるときに、いろいろごちゃごちゃして、いったん書き込んだものが保存されず漏れ落ちたり整理がつかなかった。

 11月1日からのブログに変わってからの分は、自動的にカテゴリー別に整理してくれ、保存される。その時から漏れ落ちた分と合わせて整理しなければと思いつつ、はや半年ほどが過ぎてしまった。

 「思うがままに」の内容を自動的にカテゴリーにわけてくれるのはありがたいが、過去の内容を見たいときにいちいち月をさかのぼっていかなけれはならなかった。何かいい方法はないかと思っていたが、1月ほど前に、そうかHTMLファイルを作成整理して、リンクカテゴリーからリンクすればいいことに気がついた。

 ただ、とっかかりが遅い私の性格も手伝って、本当にうまくいくかどうかもわからず、なかなか手がつかなかった。お話を考えたり、まとまった文章を書くのもそうで、頭の中でずうっと考えてから締め切り近くになってようやく書き始める。

 いったんやり始めると一気呵成にしなければ気が済まないところもあり、今回も結構思ったよりも早くできた。「案ずるより生むはやすし」はよくわかっているのだが、これがなかなか直らない。何事も直ぐにてきぱきとこなしていく事ができる何かいい方法はないだろうか。

 

 「食べてすぐ寝ると角が生えて牛になる」、「夜つめを切ったら、親の死に目に早く会う」等々、昔からの言い伝えがいろいろとある。そのほとんどが迷信として語り継がれず、今の子供たちはほとんど知らないであろう。

 しかし、なぜ私たち世代までは、誰でもが知っているほど、言い伝わってきたのだろう。その言い伝えが正しいという根拠があれば納得も行くが、迷信と言われ、正しさも根拠もないことが伝わるのはなぜなんだろう。

 こう思うのも、ある健康冊子に「宵越しのお茶は飲むな」はホント?ウソ?という記事があった。これは私からすればウソ、ホントのレベルの問題ではなく、「当たり前やんか」と思うが、そうはいかないらしい。それ以前にもうすでにこの言葉でさえ死語となりつつあるのだ。

 となってくると、正しい、当たり前、根拠があるから伝わる、ないから伝わらない、ということも当たらない。なぜか迷信でも伝わっていることは多い。これは、その内容そのものよりも、それが正しいとか根拠があるとかということ自体を疑った方がよいかもしれない。

 科学の発展で私たちがもう間違いなく自明としたことが、実は自明でないことが次々にでてきている中で、「どう生きろ」と伝えることができるのか。教え、伝え、育てることを改めてもっと真剣に考えなければならない。

 もしかして罪はわが世代にあるかもしれない。首標のような「宵越しのお茶は飲むなはホント?ウソ?」という質問自体がでるのが情けない。考えることを放棄している。それでいて40~50歳代のわが世代の人間に、自分事を棚に上げて、相手のことをあげつらう輩が多いのだ。そしてその自覚がなく、自分が正しいと本気で思っているのが一番始末が悪い。ゆえに子供の世界がおかしくなるのは道理である。

分け隔てなく、分かち合う

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 (昨日は私が武蔵小杉教会ご大祭ご用と妻が中野区平和集会エレクトーン演奏のご用等々、いろんなことが重なり、当「思うがまま」をお休みしました。失礼いたしました。
 決して中日首位陥落のショックが理由ではありません(^_^;)。トホホ!)

 さて、一昨日の「一言で平和とは?」のつづき。
 昨年あたりから平和についてのお話の依頼や原稿執筆依頼が増え、いろんなところに出せていただいている。そこで平和について、本教の信心に基づきつつ一般用語で何とか言い表そうと言葉を費やしてきた。

 「いのちの立ち行き」「生きがいとやすらぎ」「そこに笑顔があること」「理想や目的ではなく、前提であり手段である」「平和は希有なるもの」「静的なものではなく、時々刻々と創り上げていくもの」「ある特定の人や集団のためはなく、すべての1人ひとりの平和である」「他者の痛みをわが痛みとすること」「非戦・非暴力」等々。

 色々と言っているが、なかなかそれぞれ単独の言葉だけでは言い表していない。そこで最近数カ所でお話しさせていただいた内容を、改めて一言で何が言いたいのかを振り返る中でひらめいた。

 結局、平和ならざるものを作り上げているのは、「分け隔てる」考えであり、行いである。すべてそこに原因がある。ではどうするか。まずは、分け隔てる考えをやめ、そして「分かち合うこと」である。つまり、平和とは「分け隔てなく、分かち合う」こと。単なる平和の状態説明だけでなく、この言葉には行動原理も含まれている。今後さらにこの言葉を基本に内容、魂を注入していきたい。

一言で「平和」とは?

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 私が布教部のまだ「平和」関係の担当になる前のこと。ある教外の大学生3人が、突然金光教の平和について聞きたいと訪れた。平和関係は布教部が担当していたので、布教部の一角にある応接室で当時平和関係担当次長と職員が応対した。私の席はその応接室から一番近い位置にいたので一部始終を聞いていた。

 質問は最初から、一言で言えば、「平和とは何か」、「金光教の目指す平和とは」といったなかなか急に答えるには難しい質問であった。さすがに一瞬たじろいだ様子であったが、順々に精一杯答えていた。ただ、「一言で言えば」の解答にはならなかったようだ。 

 それから自分ではどう答えるかということがずっと頭から離れなくなった。もちろん本教が目指す世界は、「神と人とがあいよかけよで立ち行く世界」である。未信奉者にはそれを「神様のおかげを受けて、人と人とが助け合って生きる世界」と翻訳する。しかし、翻訳するとどうも当たり前すぎて、おもむきというかインパクトがなくなってしまう。(つづく)

祝立浪二塁打日本新記録

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 球史に残る大記録。プロ18年目の立浪が二塁打450本のプロ野球日本新記録を達成した。前日、元阪急の福本豊氏を記録に並び、1日にして抜きさった。

 あの星野仙一氏が確か初めての監督の時、ドラフトでくじを引き当てた。私はその時、立浪は中日の星になると確信した。そして開幕戦初ヒットが二塁打。まさか日本一にまでなるとは思わなかったが。

 もう数年前になるが、初めて名古屋ドーム阪神戦でサイクルヒットを放った。その時にお世話になった熱田教会で、優勝の試合を生で見るよりはサイクルヒットを生で見る方が確立が低い、と話したことを昨日のように思い出す。

 その後まもなく、立浪のおかげで神宮での優勝の胴上げも生で見ることができた。その立浪曰く、「子供たちに言いたい。体の大きくないボクでも一番になれるんやで」。野球少年たちは大いに励みになるであろう。感動をありがとう。日本新おめでとう。

戦争の禁止を世界が欲する

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 5月18日付『東京新聞』発言欄に首標の投稿記事が載った。今年のはじめ頃に「憲法と戦後」という特集の投稿募集があり、2月はじめの頃に出していた分が「憲法と戦後シリーズ6」でようやく採用された。

 この記事、実は『あいよかけよ』誌巻頭言に載せて頂いた「世界の真の平和」という記事を憲法に引き寄せて外向けように書いたもの。お読み頂ければ幸いである。

<A href="http://konkokyo.main.jp/tsujii/tokyoshimbun.htmhttp://konkokyo.main.jp/tsujii/tokyoshimbun.htm"target=_blank>http://konkokyo.main.jp/tsujii/tokyoshimbun.htm</a>

 

夢の超特急

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 下の娘が2泊3日の移動教室から帰ってきた。小金井の小学校では修学旅行とはいわないらしい。行き先が何と千葉県の勝浦。わが紀伊勝浦「勝浦小学校」の修学旅行の行き先は大阪と名古屋であった。ちょうどあの大阪万国博覧会の年。見るものすべてが驚きだったが、月の石を並んでまで見ようと思わなかった。所詮はたかが石だと思ったか、田舎もん特有の気後れしたかは自分でも定かでない。

 それよりも何よりも新幹線に乗るのがものすごく楽しみであった。夢の超特急、歌まであった。ところがこれが乗ってみて拍子抜けした。景色が見えるのである。当たり前といえば当たり前だが、マンガのエイトマンのごとく、車窓の景色なんか速すぎて見えないと信じていたのだ。これなら紀勢本線とそう変わらんと思った。大違いではあるが。

 ふりかえると本当にわくわくしながら、いろんな体験をしたんだなあと今更ながら思う。今になって分かるのだが、あの頃は社会全体が「夢の超特急」の表現にふさわしく、明るく希望に満ちた時代であった。今日帰ってきた娘を見ながら、もしかしたら私たち年代の世代が一番言い時代を過ごしたことになるのではと不安になった。

 親の時代は戦争で非常に苦労した。子の世代はいかに。JR事故に見られるように科学技術がいくら進歩しようとも人間が壊れてはどうしようもない。またぞろいろんな形での社会難儀へと向かわないか。未来世代の人々に非常に責任を感じる今日このごろである。

 首標の件、いよいよ具体化してきました。関東教区におきましては、下記の通り、募集させていただきます。東京からご霊地までのルートに当たる教区や地域の方々にも呼びかけています。まずは、各教区の管内通牒にご協力のお願い通知を同封していただくようお願い申し上げています。
 なにせ1000キロ弱の行程があります。絶大なるご協力をお願いいたします。

 開催の願い等は、専用ホームページをご覧下さい。
 <A href=""http://peacewalk.konkokyo.main.jp/http://peacewalk.konkokyo.main.jp/""target=_blank>http://peacewalk.konkokyo.main.jp/</a>


下記は、関東教区管内各教会長・教師、各種団体代表宛の文書です。(5月末日管内通牒同封予定)

                     記

第二次世界大戦後60年「金光教ピースウォーク2005」参加者募集のお知らせ

 初夏の候、皆様には日々お道展開の上にご尽瘁くださり誠に有難いことに存じます。
 さて先月末の管内通牒にてお願い申し上げました「第二次世界大戦後60年『金光教ピースウォーク2005』」につきまして、下記の通り関東教区内のコースと日程が決まりましたのでお知らせいたします。
 つきましては参加ご協力いただける方をご推薦いただければ幸いに存じ、よろしくお願い申し上げる次第でございます。参加ご希望の方は、お名前、連絡先、希望コースを東京事務局までお知らせいただきますれば幸いです。

                                                                                                                     
│実施日          │区間                  │距離    │スタート時刻│コース番号│
│9月1日(木)  │東京センター→白金教会│10キロ│9時30分     │第1コース│
│9月2日(金)  │白金教会→馬込教会    │8キロ  │9時30分     │ 2      │
│9月2日(金)  │馬込教会→鶴見教会    │10キロ│15時00分    │ 3      │
│9月4日(日)  │鶴見教会→神奈川教会  │7キロ  │9時30分     │ 4      │
│9月5日(月)  │神奈川教会→藤沢教会  │20キロ│9時00分     │ 5      │
│9月6日(火)  │藤沢教会→平塚教会    │15キロ│9時30分     │ 6      │
│9月11日(日)│平塚教会→小田原教会  │20キロ│9時00分     │ 7      
│9月13日(火)│小田原教会→箱根関所  │13キロ│9時00分     │ 8      │
│9月15日(木)│箱根関所→三島教会    │13キロ│9時00分     │ 9      │

※・参加経費は自弁でお願いします。 
 ・各コースとも、スタート時刻までに出発教会にご集合ください。
 ・カメラもしくはカメラ付携帯電話をお持ちでしたらご持参下さい。
  ・所定の傷害保険につきましては、事務局において加入手続きを行います。
  ・ご参加の節は、各位の自己責任において行動してください。

2005年5月17日
金光教ピースウォーク2005              
世話人代表 和 泉 正 一(金光教白金教会)
事務局代表 辻 井 篤 生(金光教勝浦教会)

金光教ピースウォーク2005東京事務局    
辻 井 篤 生               
田  林  美千代(金光教神明教会)
岡  本  寿  美(金光教水戸教会)
〒113-0033 東京都文京区本郷2-17-11(金光教東京センター内)
Eメール peacewalk@freeml.com 

今日の予算委員会

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 衆議院予算委員会集中審議が始まった。昔からなぜか国会の議論が好きで、よくテレビでちらちら見ていた。最近は、テレビの音声が聞こえるラジオで時々聴いている。今日はセンターへ出務する電車の中で一部ではあるが民主党仙谷氏と管氏の質問を聞いていた。

 それにしても小泉首相になって、何度同じパターンを繰り返しているのだろう。それ以前の村山内閣やその後の自民党内閣の時の方がまだ実りある国会であった気がする。少なくとも答弁する政府側は精一杯答えていた。

 今日の委員会質疑、またまた最近のパターンと同じであった。首相は、完全に開き直っている。あなたと私は認識が違うのだと。当たり前である。だから与党と野党である。ゆえに議論する。突っぱねると議論は成り立たないのだ。何のための国会かということになる。9時のNHKニュースにもならなかった。

 ところが、これがまかり通る。質問する方もそろそろ考え直した方がよい。結局責めあぐねるのは、その根本のところの思想が明確でないからではないか。もしそれがあれば、例えば靖国神社問題を質問するならば、いくらでももっと追求できたと思う。思想の尖鋭(せんえい)化も問題はあるが、政治家の思想の貧困はもっと問題である。結果人々を不幸にする。

しかし、それは遅すぎた。

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 ナチスドイツから弾圧されたドイツの牧師さんが、行動したときにはすでに遅かったという話を本部布教部時代に聞いたことがあり、その原典を探そう探そうと思っていた。偶然にも木田元編『一日一文』(岩波書店2004年)という本を読んでいたら出くわしたので紹介したい。

マルティン・ニーメラー 1892.1.14~1984.3.6 
 「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者でなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。・・・・しかし、それは遅すぎた。」
(ミルトン・マイヤー『彼らは自由と思っていた』田中浩・金井和子訳、未来社 1983年)

 同じ宗教家の言として、ずしりと響いてくる重い言葉である。

「昭和の日」

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 再来年から4月29日の祝日が、「みどりの日」から「昭和の日」に変わった。この日は、在籍の勝浦教会の春の大祭の日でもあり、地元の勝浦でも緑に関する行事がずいぶん増えたと思っていた。この「みどりの日」は5月4日に変更とのこと。

 本日付『東京新聞』「ニュースの追跡」によると、祝日と皇室の関係は深く、2月21日の「建国記念日」は、戦前の「紀元節」、11月3日の「文化の日」は明治天皇の誕生日で戦前は「明治節」。11月23日の「勤労感謝の日」は、「新嘗祭」に由来しているそうだ。

 その意味で、伝統や文化を大切にしようとする方は、もともと昭和天皇の誕生日であった日をみどりの日よりは、「昭和」という言葉を残したかったのであろう。しかし、前述東京新聞の記事にもあるが、「昭和の日」でいったい何を祝うのだろうか。

 日本で300万人、アジアで3000万人にもの人が戦争で殺されたという人類史上最大の犠牲者を出した昭和。その時代を忘れないよう、後世に伝える「平和の日」になればいい。そこで初めて「昭和」という言葉を残した意味が生きてくると私は思う

降竜戦?(プロ野球交流戦)

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 悪い予感の的中である。中日中心主義の私としては、パリーグとの交流戦は本当はしてほしくなかった。奇をてらったやり方は、結局は飽きられるのでは。いや、本当のところは絶好調で来ていた波が、交流戦で調子を狂わされるのではないかとの不安があったのである。

 直前のヤクルト戦で、4番のウッズが暴力行為で出場停止という不幸も重なったが、見事に当たってしまった。どうも名古屋の人はよそ様が来ると平常心を失ってしまう(失礼、何の根拠もない)。あの阪神の息の根を止め、上昇ヤクルトを3たてして完勝で来たのが一転悪夢。何とも説明のしようがない。

 それにしてもパリーグは強い。特に西武、ソフトバンク。ところがその上に今年はロッテがいる。その強さは今日の松中の根性のヒットを見て気がついた。つまりは主軸の根性の違いである。こっちはあまりに淡泊。

 しかし、プロ野球は長期のゲーム。気合いだけではなかなか1年は乗り越えられない。わが中日、昨年活躍したドミンゴ、野口がすでに待機中。打者も土谷や森岡などが2軍に控えている。

 選手層が厚すぎて、出られない選手が多いのが残念なくらい。長いペナントレースでは必ずこの人材の豊富さで、最後は優勝しかない。何事も人材が大事。外注ばかりに頼るどこかの球団と違って、中日は育て方が実にうまい。監督、コーチの言に、野球以外のことで学ぶことも多い。

日本国憲法改正国民投票法 3

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 また、日本国憲法改正国民投票法案では、改正条項を束ねて一括投票にするのか、条項ごとの投票にするのかという最も重要なことを明らかにしていない。当然条項ごとの発議と投票方法が望ましい。 

 さらに大きな問題がある。それは改正の是非をめぐる運動を「国民投票運動」と呼び、それを禁圧していること。投票の結果を予測してそれを公表してはならないとしている。
 
 メディアに対しても、「新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない」となっている。

 国民が自由に議論できないような規制をかけているのである。当然この法律には反するものには罰則規定もある。

 このような人権を無視して改正された憲法がどんなものなのか。この法律をざっと見るだけでも容易に想像できる。法律というのはすべて読まなければわかりづらく、私の要約ではさらに理解しづらいと思うので、是非詳しくは以下の「法案要綱」や弁護士会の「意見書」をお読みいただきたい。(おわり) 

日本国憲法改正国民投票法案 要綱
http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/shiryou/kokumintouhyouhouan/05.htm
憲法改正国民投票法案に関する意見書 2005年(平成17年)2月18日 日本弁護士 連合会
http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/data/2005_14.pdf","no",,"http://",,,,"2005","5","12","tsujii7"

日本国憲法改正国民投票法 2

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 この憲法改正に関する国民投票法について、どの程度進んでいるのか。政権与党は法案骨子なるものをつくっているそうだが、まだ成文化されていないようだ。

 2001年11月憲法調査推進議員連盟が作成した「日本国憲法改正国民投票法案」というのがあるが、これは改憲をめざす議員によってつくられたものであるから何とも問題点だらけの案である。

 1つは、国民投票の期日が国会が発議した日から起算して60日以後90日以内としているが与党の法案骨子では、30日以後90日以内としており、国民から議論の機会を少なくするとの意図が明らか。

 次に、昨日示した憲法96条では、「投票においてその過半数の賛成を必要とする」と規定しているが、議員連盟の法案では、「有効投票数の過半数」としており、投票総数の過半数でも有権者総数の過半数でもない。憲法改正という最大重要課題において、無効票をどう扱うか、恣意的な規定は大いに問題があるのだ(つづく)。

 

日本国憲法改正国民投票法 1

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 日本国憲法改正の手続きは、同憲法第9章「改正」第96条に以下のように規定されている。  

 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 ところが問題は第1項にある国民の過半数をとう選挙についてである。憲法にはこれだけしか書いていないので別途投票の仕方を法制化しなければならない。それが「日本国憲法改正国民投票法」なるものであるが、これが報道も少なく一体全体どうなっているかよく分からない。そこで、この問題ついて明日からまた連載していきたい。

卒業生

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 何がうれしいといって、東京寮卒寮生からの頑張っているとの便りくらいうれしいものはない。30歳にして早くも個人の建築事務所を設立し、大学の助手を兼務しながら頑張っているとの便り。このたび師匠の絵本を政策、作画を担当したとその絵本を送ってくれた。

 また、寮在住中、心身の体調を崩し、なかなか学校へ行けなかった子が、その後就職して頑張っているとのはがきをくれた。涙が出るくらいうれしかった。また、今度結婚するので祭主をしてほしいとの電話をもらった。結婚式の祭主は初めて。修行のし直しである。

 しかし、昨今のニュースを見ていると「人心の荒廃」というよりも、「人間の崩壊」が始まったのではないかと本当に心配になるが、「世界・人類に貢献する人材を生み出す」との寮の「願い・精神」を体し、それぞれの持ち場立場でよりよい社会になるようそのいのちを輝かしていただきたい。

憲法「改正」について 終

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 もちろん改憲論者たちは、日本人の戦死者や戦争犠牲者が出るのはすでに織り込み済みである。ゆえにこぞって靖国神社に参拝し備えている。が、これを国民に対してストレートにいうと、とても改正は無理となるので、北朝鮮脅威論や国際貢献論、一国平和主義批判を展開しているのである。

 国際協力もまるで軍事力かお金の貢献しかないような言い方しかしない。しかし、難民や亡命者の受け入れなど国内人権問題を棚に上げておいて、他国の人道人権問題に軍隊を送り込むのは説得力がない。
 
 安全保障政策の変更も国際貢献も、軍事力ではなく、平和憲法を展開する形での具体的な方策はあるのだ。日本はあくまでも軍事力によらない平和を訴え、紛争の原因究明や予防、法による武力行使や兵器の規制、医療、教育、社会整備の援助、平和研究や教育、文化の向上等に尽力をつくすべきである。

 思想的な考え方や具体的な政策や方策についても、大沢真幸著『現実の向こう』(春秋社)という本を是非読んで頂きたい。北朝鮮からの難民をいくららでも受け入れる覚悟を決め、「北朝鮮民主化計画」を進めることや、自衛隊を解体もしくは、大幅に縮小し、「海外援助隊」か「平和部隊」に改組する。そしてどんな軍事同盟とも関係なく、世界中の貧困地域や紛争地域で海外援助を継続的に行う。それも第三者経由ではなくて、自らが行って「直接的な贈与」を行う。この方が軍隊ではないがゆえにむしろ安全だと述べている。

 以上、こんにち安易に軍事力を肯定する風潮の中で、本当に憲法の真の平和主義を捨ててもいいのか。当然変える方も「平和のため」にと主張してくる。しかし、変えてしまえば明らかに現状より後退することは明らかである。これからは、ただ憲法を守るというだけでなく、英知を結集して平和憲法を展開する形での様々な方策を生みだし、実践することが一番必要なことではないかと思う。(終わり)

 最近やたらと集団的自衛権という言葉が出てくる。国家に備わった固有の権利であり、まるで人権と同じく、あたかも不変の自明の理のごとくいう人もいる。この集団的自衛権については、浅井基文著『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書 2004.1.25第3刷刊)は、大変参考になるので是非一読願いたい。

 浅井氏は、「集団的自衛権の本質は、『他衛』であって、自衛ではありません。本質が他衛であるものを自衛というのは、根本的に無理があるのではないか」という。そして自衛あるいは自衛権そのもの、また、それが固有の権利とする理解も、国際政治や歴史の中で生まれてきたものであり、さらに、

 「つまり、歴史が変われば、自衛権についての考え方もさらに変わっていく可能性があるのです。国家に自衛権があるのは当然であり、その事については議論の余地はない、などと思いこむことだけは、さけなければなりません。国内社会の歴史的な発展の例が示すように、国際社会がさらに人道的な考慮を重視する世の中になれば、あるいは国家間の紛争を処理する国際的な仕組みができるようになれば、自衛権についての考え方も変わる可能性が大いにあるのです」と述べている。

 いずれにせよ、集団的自衛権を認めれば、アメリカの行う戦争へ参加せざるを得なくなることだけは知っておくべきだろう。

 一昨日、昨日と見てきたように、憲法改正の真のねらいは、現実と憲法との矛盾解消にのみあるのではなく、れっきとした軍隊を持ち、いわゆる普通の国家になりたいのである。

 となるとどうなるか。それは、もし2001年当初に憲法が改正されていたらどうなっていたかを想像すればわかりやすい。このたびのイラク戦争は当初の理由からかけ離れ、アメリカの自衛のための「対テロ戦争」ということになっている。

 同盟国であるわが日本は、イラク・サマワへ国際貢献のための自衛隊派遣というようなお茶を濁したやり方ではなく、堂々と参戦し、日本人にも多くの犠牲者がでたであろう。当然その前のアフガニスタン攻撃も参加したであろう。

 戦争のそのほとんどは、「自衛」の名において始まっている。「対テロ戦争」という終わりなき戦争へと足を踏み入れてしまうことは必定なのである。

 北朝鮮脅威論を振りかざし、「助けてもらうのに、助けないのはおかしい」と集団的自衛権なるものを強調、あるいは、国際貢献や国際協力という聞こえのよい言葉を多発し、あたかもその方が現実的に安全であると主張しているが、実際は本格参戦への一番危険な道なのだ。

"憲法「改正」について 2 最大の理由","「思うがままに」2005年5月5日"," こんにち、衆参両院の憲法調査会報告や自民党新憲法試案要綱が次々と出されたが、条文化にはほど遠い段階にはある。しかし、着々と改憲に向けてことをすすめている。

 その「改正」の最大の理由は、アメリカの世界戦略、すなわち「アジア太平洋地域の軍事的な安全保障を日本に分担させる」ことに応じること。

 一方わが国の理由としては、「政治的に不安定なアジア・太平洋地域への日本企業の展開が、企業活動の自由や安全、権益の擁護のために、国家による政治的、軍事的バックアップの要請」をもたらしたことにある。

  こうして見ると、このたび出された自民党の新憲法起草委員会の要綱には、「自衛軍を保持する。自衛軍は国際の平和に寄与」と明確に軍隊と位置づけている理由がわかる。この軍隊への格上げの意味は、自衛隊を軍隊と呼ばない所以の海外に軍隊を出せない「専守防衛」を捨て、軍の海外展開をはかるための1点にあるのだ。(つづく)","no",,"http://",,,,"2005","5","5","tsujii7"
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 各新聞の世論調査では、「改正の必要がある」と、「どちらかといえば改正の必要がある」をあわせると6割からと7割が必要と答えている。9条に限ってみても約5割弱が「改正の必要がある」と答えている。

 しかし、9条改正となるとまず自衛隊の国軍化、つまり軍隊への格上げを想定する人が多いと思うが、東京、朝日の調査では、「自衛隊の存在を明記する」ことへの賛成は多いが、「軍」としての明記は朝日で12パーセントと少ない。

 つまり多くの国民は、「現に自衛隊という軍事力を持っているのに、持ってないような振りをしているのはおかしい」と思っていることや、「外国の軍隊を駐留させ、戦争をやってもらい、いざというときに助けてもらう形になっている」ことに対しての負い目から「自衛隊の明記」という9条改正に賛成していると思う。

 しかし、実際に改正の事に当たる政治家の間では、その国民意識や考え方を遙かに越えているのだ。明日からくわしく見ていきたい。(つづく)

「9条実現」意見広告

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 憲法記念日の今日、朝日新聞14面全面に、『9条実現』「憲法9条を変えることにみんなで反対しましょう」「改憲のための国民投票法案の成立をみんなで阻止しましょう」という意見広告が出されている。これは「市民の意見30の会」が広く一般に募金を呼びかける「市民意見広告運動」と呼ばれるもので、募金した方の名前が全員掲載されている。

 不肖私も「9」の字の強調文字になっている右下に名前が出ている。ものすごい小さな字で、老眼気味の私の目で必死でぎりぎり見える程度だが。金光教非戦・平和ネットで共に行動している女性で、大先輩信徒A・Sさんに教えてもらい今回初めて掲載された。

 今回は3200万円もの募金があり、朝日新聞と毎日新聞の全国版に掲載されたそうだ。また今日は、朝日新聞と東京新聞にそれぞれ電話世論調査の結果が出ており、7割程度が改正に賛成しているとのこと。しかしよく見ると決して政治家が、特に自民党や民主党の1部がねらっているような理由からではない。その点は朝日より東京新聞の方が丁寧にくわしく説明していたように思う。

 ここのところ多発している交通事故のことや絶好調中日のことなどプロ野球のことも書きたいが、やはりここ数日はこの憲法改正問題についてくわしく触れていきたい。

無事、帰京しました。

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 今朝、無事夜行高速バスで帰りついた。あの壮絶な事故の後、東京センターのO先生と「こういう大きな事故の後は、なぜか同様の事故が多発するんだよね。気をつけないと」と話していた。

 ところが何と、そのO先生が通勤に使う特急がトラックとぶつかり脱線とのニュースが流れびっくりした。その夜にちょうど私が勝浦に帰るので「無事をよくお願いしてね」とお互いに言いあいながら分かれ、東京を後にした。

 勝浦に着いた日の午後のニュースで、高速艇が何かとぶつかり事故とのこと。電車から船になったかと思っていたら、夕方妻からの電話で、大阪発仙台行きの高速バスが横転、死者が3人も出たとのこと。思わず「えー」・・・・。

 何げに言っていたことがここまで当たるとは。特に横転したバスの内部の映像を見ると、いつも乗っているのと全く同じ。今回の帰京は、ものすごい大雨でいつもより緊張して寝付けなかった。

 「交通事故」という言葉を、「仕方ない」や「あきらめるしかない」という意味で使うことがよくある。そうした社会意識が交通事故を軽く扱う風潮を生みだしてきたのではないか。よほどの大事故でない限りにニュースにならない。交通事故の加害者が他の犯罪に比べて軽い処分になっていたことなどもそうだ。悲惨さ。無念さ。交通事故のもつ重みをないがしろにしてきたことへの反省が足りないのではと思いつつ、万事にご都合お繰り合わせを頂き、無事帰京した。

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