下の娘が2泊3日の移動教室から帰ってきた。小金井の小学校では修学旅行とはいわないらしい。行き先が何と千葉県の勝浦。わが紀伊勝浦「勝浦小学校」の修学旅行の行き先は大阪と名古屋であった。ちょうどあの大阪万国博覧会の年。見るものすべてが驚きだったが、月の石を並んでまで見ようと思わなかった。所詮はたかが石だと思ったか、田舎もん特有の気後れしたかは自分でも定かでない。
それよりも何よりも新幹線に乗るのがものすごく楽しみであった。夢の超特急、歌まであった。ところがこれが乗ってみて拍子抜けした。景色が見えるのである。当たり前といえば当たり前だが、マンガのエイトマンのごとく、車窓の景色なんか速すぎて見えないと信じていたのだ。これなら紀勢本線とそう変わらんと思った。大違いではあるが。
ふりかえると本当にわくわくしながら、いろんな体験をしたんだなあと今更ながら思う。今になって分かるのだが、あの頃は社会全体が「夢の超特急」の表現にふさわしく、明るく希望に満ちた時代であった。今日帰ってきた娘を見ながら、もしかしたら私たち年代の世代が一番言い時代を過ごしたことになるのではと不安になった。
親の時代は戦争で非常に苦労した。子の世代はいかに。JR事故に見られるように科学技術がいくら進歩しようとも人間が壊れてはどうしようもない。またぞろいろんな形での社会難儀へと向かわないか。未来世代の人々に非常に責任を感じる今日このごろである。
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