2010年11月アーカイブ

iPhoneはすごいかも。

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 妻と息子がなんと電撃的にiPhoneを購入して1月ほどが経った。息子はともかく妻は宝の持ち腐れになるのではと高を括っていたが、なんと非常に活躍しているという。そういえば、10月の寮ご本部参拝の時、新幹線の中で寮生たちがiPhoneのいろんな使い方で話が盛り上がっていた。

 息子も盛んに「これはいい」と勧めてくる。私が持つと娘が一人持てないので僻むのではと心配していたが、娘は「別にいいよ」ときた。いつの間にか少し大人になっていてびっくり。

 その娘のことで話がずれるが、私が寮生時代の後輩で府中市に住むMくんの娘さんと、私の娘が高校が一緒だと前に書いたが、8クラスある中でクラスが同じになり、今はなんと机を並べ隣どうしになっているという。

 数ある高校の中で一緒になることもすごいと思うが、机を並べている確率もすごい。そして、「大祭の時におじいちゃんのところへ帰るの?」とか、金光教のことを話しているという。Mくんの娘さんは勉強がよくできるので、よく教えてもらっているとのこと。ありがたいことである。

 さて、iPhone、今日みんなでデパートの丸井に行き、本屋に立ち寄るとマニュアル本がある一角にびっしりと並んでいる。少し読み始めるとこれは本当にすごい機械だ。明日からまた東京センター関係の一泊の出張だが、妻のを借りて持って行き、色々と試してみたい。物欲はほとんどなくなったと思ったが、またしても・・・・。 

無事、帰ってまいりました。

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 今朝、南紀勝浦発、大宮行き西武夜行バスで無事帰京いたしました。少し前までは中央道で降車専用「東中野」駅で降りていましたが、伊勢湾岸自動車道が開通したせいか、東名道を通るようになり、横浜、新宿を経由して大宮へとコースの変更がありました。

 16日の夜にご本部に出発し、丸10日間家を空けておりましたが、あっという間でありました。この間留守中、道中、無事安全、万事にご都合お繰り合わせをいただき、ありがたいことでありました。

 それにしても世の中は、その前の事件がかき消されしまうほどの大きなニュースが相次いでいます。海老蔵さんの傷害事件の扱いが砲撃事件より大きいのはどうかと思いますが、それだけ冷静に対応していると思いたいです。

 改めて、「よい戦争はなく、悪い平和はない」ことを強く訴えたいと思います。大砲の撃ち合いでは何の解決にもなりません。自らの体制維持や外交、平和のために、軍事力や人の命を手段にすることはどうしても納得がいきません。互いに挑発をやめて、これ以上武力に訴えることのないよう願っています。

 今夕の夜行バスで17、18日に開催される金光新聞の会議にご本部に向かいます。12月の世界平和を祈るつどいや寮講演会関係打ち合わせ、人事課等にも所用があるため、今日から出発させていただきます。

 その後、勝浦教会大祭のため、ご本部から直接勝浦に帰省します。11月26日早朝に帰寮予定です。万事のご都合お繰り合わせをいただき、御用成就をお願いしております。

 長い間お休みしますが、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

本年最後の「みのり」に参加

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2010.11.13畑作業.jpg 2010.11.13みのり収穫祭S.jpg  018.JPG一昨日土曜日は、本年度最後の「みのり」があり、里芋とサツマイモの収穫に汗を流した。写真のユンボを操作しているのが、お土地を提供下さっている武内さんだ。早春の寒波、猛暑、秋の長雨等々、異常気象の中にあっても的確なご指示を賜り、今年も豊作のおかげをいただいた。

 収穫祭は、祭主村田光治先生、祭員和泉一義により厳かに仕えられ、その後福田光一先生が、天地のお恵みへの感謝について、食べ物にご無礼なきようにすることが真のお礼になると教話された。

 その後、バーベキューや取れたてのサツマイモをふかし、楽しい昼食をいただい 2010.11.13みのり里芋畑S.jpgた。大好きな里芋とサツマイモを山ほどいただき大満足、寮から一緒に行った中国からの留学生Rさんも大変喜んでいた。来年もまた楽しみである。

「ホンマでっか!?TV」面白い!!

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 明石家さんまの「ホンマでっか!?TV」という大笑いして非常にためになる番組がある。「そうだったのか!!池上彰の学べるニュース」は、社会情勢や事件、その背景にある制度、構造、歴史等々がまさしく「そうだったのか」と楽しく学べるテレビだが、こちらはいろんな個人の悩み事にアドバイスをしてくれ、思わず「ホンマでっか!?」とつっこみを入れたくなるような内容。それで見事にためになるのだ。
                
 特に前回のは秀逸だった。「男女」、「夫婦」、「親子」、「上司・部下」等々のコミュニケーションのとり方について大いに参考になる内容だった。さんまの見事な話術に大笑いしながら楽しく学べる。以下にそのいくつかを紹介したい。 

 まず一つは励まし方について。古今東西、人を励ます方法はいろんな分野で研究されているが、だいたい「三つの励まし方」がよいとされているらしい。一つは「鏡」になってあげること。相手の状態をそのまま言ってあげ、映し出してあげるような応対をする方法だ。二つめは「双子」のあり方。相手に対して共感してあげる、「ホントそれは辛かったね。私も同じことがあった」等だ。三つめが「理想像」。意外な方向性を一つ提示してあげる。「こんな方法もあるよね」と。ただ、「励ます」のではなくて、共感・共苦が大切ということ。

 次に、上司と部下の関係における叱り方のコミュニケーション。これは男女で差があるという。女性は一次元感覚というものがあり、プライベートと仕事を同一線上におく。だから例えば企画書を注意すると、男性はその企画書が悪いと考えるだけだが、女性は「私はこの仕事に向いてない」と全人格を否定されたように受け取るらしい。ゆえに女性の部下を注意するときは、具体的にどこが悪いか、細かく注意する必要がある。できれば「ここはよかったけどこの点はもう少し考慮した方が」とまずは褒めてから注意するのがよい。

 それからこれも上司と部下の関係であるが、最近の若者は叱られ方が非常に下手だと言われている。少し怒るとすぐに関係が切れてしまう。その原因は「ゆとり」教育にあるとのことだ。現在25歳の人たちが小学校1年生の時に始まったこのゆとり教育で、子どもの評価が全く変わってしまったそうだ。円周率「3.14」が「3」になったことや漢字をあまり教えなくなったことはどうでもよいらしい。

 問題は評価の観点が内申、意欲、態度のうち態度に集中してしまったこと。つまり、評価=成績<態度となり、少々悪くても成績がよければというのが全くなくなってしまった。そして子どもたちはお利口さんを演じ続けてそのまま社会人となってしまったため、25歳以下の人間は、愛情を持って叱っても全く通じないことになってしまっているようだ。

 さらにほとんどの人は「メール」はコミュニケーションと考えているが、メールはコミュニケーションではないという。コミュニケーションのとり方で一番悪い方法がメールとすると次に悪いのが対話だという。つまり言葉を介するといろいろな誤解が生じる。つまり一番いいコミュニケーションのとり方は無言。言葉を発しないのが究極だと。目と目、態度で関係を築くのが一番深いよりよい関係となるそうだ。

 こうやって書くと堅い内容になってしまうが、これをおもしろおかしく脳科学者、心理学者や教育学者、評論家等々が説明してくれるので楽しくためになる。ぜひ皆さんも見てください。 

宗教の必要性?

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 「なぜ、宗教は必要なんですか?」。今も昔もよく聞かれる質問である。太古の昔は、政治、文化、科学、医療、道徳、法律等々全てが宗教であった。歴史が進むとともに、それぞれ宗教から分化して、一つのカテゴリーとして確立された。

 例えば、幸せになるためには「政治、経済、福祉、科学」、健康になるためには「医療、介護」、生きがいを得るためには「芸術 教養文化 スポーツ」、よりよく生きるためには「倫理、道徳」、安心、安全のためには「法律 治安 警察」等々がその役割を果たしている。

 では、現代社会において宗教の役割はあるのかどうか。これだけ世俗化が進むと宗教の役割はその使命を終えたのではないかと。

 しかし、私は宗教の本質を「自己の存在原理と自分との関係を発見すること」だと押さえている。つまり、先に列挙した世俗のカテゴリーは、全て自分から始まる。自分にとって何が必要か、という自分にとっての損得勘定や利害関係の「人間によるものさし」でしか答えがない。

 宗教は自分の存在の根元からはじまる。その問い方は、「宗教が必要か」ではなくて、「自分は一体どこから来たのか」、「この私が何のためにこの世界にあるか」を問う。つまり自分自身の存在の根拠とその役割を問うていくのが宗教の根本ではないかと。

 無限の宇宙の大生命である天地金乃神様と自分のいのちのつながりを確認し、「人間のものさし」でなく「神様のものさし」をもって世界真の平和を願う神様の願いに生きる使命を果たしていくのが宗教の必要性だと思う。

寮11月 月例祭・食事会

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 昨日は、寮月例祭・食事会。最近は関東教区青年教師会からの願い出で青年教師の皆さまに教話をしていただいているので、今日は久しぶりに私が祭主・教話の御用をさせていただいた。

 教話は、大戦後65年に当たり、改めて平和の尊さを次世代に伝えて行くべく、歴史から教訓を導く大切さを沖縄遺骨収集や今日の世界・アジア情勢に触れながらお話しした。食事会は、ここのところだいぶ寒くなってきたので、キムチ鍋と水菜と卵の食べるラー油かけサラダであった。

 午前中は、一斉草取り、芝刈り。その後食事当番で買い出しに行くとき、ある寮生が「今日は寮監が出てこないのでは」と言っていたと教えてくれた。日本シリーズを心配してくれているのだ。

 第6戦の途中、女房が「今日もし勝ったら、明日集会室でみんなで見ることができるじゃない」と。今日勝って、明日勝てばみんなが祝ってくれるではないか。全く考えてなかった私は、そこからの15回まで疲れる、疲れる。へとへとになってしまった。やっている人は結構涼しい顔をしているのでプロは本当にすごいと感心しきり。

 さて、食事会に入るとすぐに誰かが、今年寮100周年で寮友会(OB会)から寄贈していただいた60型巨大テレビをつける。なんと6対3で勝っているではないか。喜んだのもつかぬ間、逆転される。しかし、和田の神懸かり的三塁打でまたまた追いつく。しかし、頼みの浅尾ちゃんが・・・。

 そしてなんと女子寮生にバリバリのロッテファンがいた。国立理科系に通う理知的な女性と思っていたが、人は見た目ではわからない。筋金入りだ。手に汗握る延長戦に突入、応援合戦。願いむなしく完敗。へなへなになってしまった。

 でも、今回は大勢の寮生とわが家族一同に介してのテレビ観戦ができて、またこの時期まで長く野球が見られて幸せな年であった。また、なんと駒澤大学が東都大学1部2部入れ替え戦で、1部最下位の国士舘に連勝。久々に1部昇格。来年の春が楽しみだ。感謝。

甚だ不愉快な情報

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 甚だ不愉快な出来事が続いている。事柄そのものよりも、それをどう扱い、どう見るかという情報が不愉快なのである。特にテレビマスコミ、司会者や一部コメンテーター、出演している政治家の言も甚だ不愉快である。

 尖閣諸島沖での漁船衝突事件の映像流出問題は、一体誰の問題であり、何が問題なのか。マスコミはここぞとばかりに煽り立てるが、日本政府ばかりを批判し、弱腰外交と言い放っているだけにしかとれない。その先の展望が開かれるような提言や情報がほしいのだ。

 日本が強き一辺倒でいって、中国政府が「それでは参りました」と言うことを聞くと思っているのが不思議でならない。もちろん現政府のやり方もベストではない。色々と問題があったことは確かだし、言うべきことは言わなければならない。ただ、単なる感情的な政府批判を繰り返しても何の国益にもならないのではないか。

 今朝の番組で、ある政治家は、「日本国民は領土問題に無関心すぎる」と、あげくに責任を国民にかぶせてきた。とんでもないと思った。「日本人がどうの、中国人がどうの」とまるで戦中の国民の物語に巻き込むなである。無関心なのではなく、冷静に対処すべきだと考えている日本人も多数いるのだ。

 日本人の中にもいろんな人がいるし、中国人の中にもいろんな人がいる。それを一括りにして敵対するのは愚の骨頂、結局は両国のためにならない。ここはよくよく立ち止まって考え、アジア全体や世界的な視野をもって政府もマスコミも対処ほしいと切に願っている。

 

道を譲る

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 武蔵小金井駅に向かう歩道は狭い。今日東京センター出務のために駅まで歩いた間に、何と前から来る三人の方とぶつかりそうになった。右へよけようとすると向こうも右側に、左によければ左と譲り合うタイミングがあわない。

 さほど急いだわけでもないが、その中の一人のお年寄りには悪いことをしてしまった。私がいつも提唱している三つの「お」の一角、「お先にどうぞ」がなってないのだ。相手が前に来たら歩きながらよけるのでなく、立ち止まらなければはならない。

 もう一つ、狭い歩道を二,三人が横になってタラタラ歩かれると、どうしてもイライラしてしまう。これは一人で歩いていても、電信柱がある極端に狭いところでは後ろから来た人や自転車に迷惑をかけることがよくある。

 だからこの頃は、まずはなるべく端を歩き、前から来ると立ち止まる。それから後ろにも気を配りながら、急ぎ足で人がやってきた時は、いったん立ち止まって道を譲ろうと努力している。なかなかこの立ち止まるということが難しいが、「お先にどうぞ」のささやかな一つの実践である。 

 昨日の中日対ロッテ、何と長い試合であったか。それもとんでもない試合。途中何度も見ていられず、思わずテレビを消したことも何度か。延長になってようやく「ここまでよくやった、もう負けてもいい」と開き直って直視した。

 9回裏ロッテ、西岡の大ファール。一塁を回ってガッツポーズの映像が流れ、思わず「負けた!!」と叫んでしまった。直後の画面で塁審が手を挙げている。「え、え、ファール?」。スローを見てようやく納得。浅尾の顔も真っ青。しかし、その後をよく抑えた。

 延長10回の無死2、3塁もサブローをよく抑えた。これがなければ今江の敬遠も高橋の好投もなかった。そして1死満塁、福浦のサードライナー。変わったところに球は飛ぶの鉄則で、代わったばかりの堂上直のところへライナーが。何と三直ゲッツー、「よっしゃ!!」今日はもらったと思った。  

 さすが投手王国。昨日の陰の立役者はネルソンと河原であろう。3回でマウンドを降りた山本昌を受け、8回途中までピシャリ。ここで1点でも取られていたら終わっていただろう。これで2勝2敗。仕切り直しである。

道の道たる道とは?

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 かつてはよく「道の道たるところ」と言われていたそうだ。その道とは何か、それが一言で言えないから、あるいは一つに決めることができないために、「道の道たるところ」という表現でもって信心を培い、伝えてきたようだ。

 教団という視点から行くと、道の道たるところは「教統」であり、理念としては「生神金光大神取次の道」あり、具体的な姿は教主金光様御結界取次の業であろう。教義的には、「生神の道」、「神人の道」、「あいよかけよで立ち行く道」など、それぞれ少しずつニュアンスは違うが色々の言い方ができ、どれも間違いではない。 

 つまりは、一人ひとりそれぞれが道の道たるところを把握、自覚し、力強く歩んでいく道が、お道の道の道たるところであろう。そこにお道の本質があるのかもしれない。そうとして、私自身としてはどうか。とても一言では表現できないが、先師の方の表現もお借りしつつ、今として次のように表現している。

 道の道たる道とは、神様のみ心のままに、神の願いに生き、すべてを神に、すべてに神を現し、「おかげさま、お互い様でお先にどうぞ」の三つの「お」を 実践することによって、自分の思い通りではなく、本然のいのちが喜ぶ願い通りのおかげが頂ける道である。

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