昨日は、麹町教会報徳祭に併せて長谷川雄次郎大人春子大刀自夫妻40年祭、長谷川親男大人10年祭に参拝させて頂いた。親男先生は奇しくも10年前の今月今日麹町教会報徳祭日に神上がられた。私が20年前に上京してから10数年本当にお世話になり、いろんな面で薫陶を受けた。
失礼ながらただの酔っ払いと思ったこともあったが、時間が経てば経つほど先生の功績の偉大さが身にしみて理解できるようになってきた。並大抵の人ではなかった。それ故に様々な軋轢もあったようだ。
その親男先生がお亡くなりになったことで敢然と教師を志し、現在教会長として御用くださっている兆伸先生の挨拶も立派であった。その時に次のような言葉を紹介された。「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」と。
まさに親男先生は、その全生命、全生活を自分のため、あるいは自分の教会のためだけでなく、教団、教区をはじめ、世のお役に立つ御用に邁進されたと思う。後進が育つまでもう少しこの世で活躍して頂ければと今にしてなお悔やまれるが、最近の親男チルドレンの活躍は御霊ながらに後押しして下さっているのではと思う。さらなる展開を願っている。
前教会長は良行先生ですよ。挨拶されたでしょ。沖縄にはずいぶん大勢で行ってきたんですね。昨日は一日センターにいましたよ。今日は教区委員会だそうで。忙しそうですが3/8の「教報」の資料お願いできませんか?
先日はお疲れ様でした。その時に申したとおりで、大変失礼しました。訂正しました。