2010年9月アーカイブ

補陀洛渡海

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 一昨日、昨日と残念ながら映ってなかったみたい。一昨日放映のあった補陀洛(ふだらく)寺は、補陀洛渡海で有名な寺。補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳だ。その極楽浄土を目指して、僧侶が生きたまま小舟に乗り込み、那智の浜を船出した。

 平安時代から江戸時代まで25人の僧が渡ったそう。テレビでも言っていたが、16世紀後半、金光坊(こんこうぼう)という僧が渡海に出たものの、途中で屋形から脱出して付近の島に上陸してしまい、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起こった。

 後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」とよばれるようになり、那智勝浦町の地図にも乗っている。もちろん、金光教の金光とは全く関係ないのではあるが、小さい頃から気になっていた。

 私が大学生くらいだったと思うが、井上靖がこの事件を小説化した『補陀洛渡海記』という本を教えてもらい読んだことがある。なかなか面白い小説で皆様もぜひ読んでみてください。江戸時代には住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという形に変化したようだ。

 那智の浜は現在は海水浴場となっている。小さい頃、お盆が過ぎて海に入ると御霊が足を引っ張るとよく言われていた。那智の浜の波打ち際に立ってみると何かスーッと吸い込まれそうになる感覚を覚える。また、日の出時分に行くとまさにその海の向こうに極楽浄土なる世界があるような景色。皆様もぜひ一度お越し下さい。

 NHK衛星第2放送、朝8時と夜7時45分に放映されている「街道てくてく旅 熊野古道を行く」という番組、現在わがふるさと那智勝浦町通過中です。明日29日は、那智の補陀落寺で中継がありますが、晴れたらもしかしたら私の父が映るかもしれません。 

 実は私とちょっと関わりがあるのですが、ここで詳しく書けないのは残念です。新卒寮生の皆さまならわかりますよね。(*^_^*)

 

 

 

 

 

「万物の霊長」

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人間は「万物の霊長」と呼ばれ、地球上の生物の中で最も能力があり、高等動物であり、進化の最終段階であり、最も優れている存在とイメージしている。人間が勝手に言っているだけのことではあるが。

 26日付『東京新聞』朝刊3面(「時代を読む」欄)に、哲学者内山節氏の「生物多様性を否定する人間」という久しぶりにおもしろい記事が出ていた。「人間はきわめて弱い動物として、地球上に誕生したのではないか」と。

 「考えてみれば走力は動物の中でも下位の方だし、木に登る力も猿にははるかに及ばない。もちろん空も飛べないし、泳ぎながら魚を捕るほどの能力もあるわけでもない」という。なるほどと思う。ウイルスにもバクテリアにも弱いし、牛のような消化力もない」。

 では、どうやって生き延びてきたかというと「それは多様な関係を作り出すことによってであった」という。そして「人間同士で助け合ったり、共同作業をして安定的な生存を手に入れる」ことができたとする。

 ここに「人間の本質」があるとすると、現在は「人間の本質的な危機の時代」と指摘している。まさに生物多様性とは、天地のあらゆるものの関係性の修復であろう。「生物は決して孤立しては生きていない。それぞれが生存のために必要な関係を作りながら存在している」。まさに金光大神様の教える天地の道理そのものだと思う。

 「人が人を助けるのが人間である。(中略)人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか」とすでに1世紀前に教えられている。万物の霊長とは、決して高等とか優れているということではない。生物多様性を保全する責任ある存在という意味ではないかと思う。人間の危機は地球全体の危機でもある。

 先日、東京センター新所長での初所内懇談会があった。新所長は4年前までは、所員、次長と歴任されていたため、各部門の現状を確認した。その後の懇親会では早くも新所長らしく、突然所員全員から意見聴取。現代社会の動向や教団動向において課題としているところを出し合い、議論した。

 主な意見として、教団課題としては、教師のおかげの自覚の足りなさや、そもそもおかげの体験がなく使命感がない等、教師の資質についての厳しい意見。教団布教と教会布教が対立概念としてとらえられてしまっていることについての危惧。社会の紐帯機能としての地域社会は完全に崩壊し、今や家族、家庭も危機に瀕している。教団においても教会の自立だけでは今後立ち行かず、教会の統合や教団と教会の間の中間的な役割を果たすシステムの必要性が出された。

 私は、現代世界において国際正義の樹立が課題と発言した。一時期互いの存在を認めて共存するという相対主義が唱えられたが、いわゆる文化相対主義では紛争や人権侵害の抑止にならない。相対主義を超えた文化横断的な正義や地球的な共存倫理への努力が必要ではないか。国際平和を誠実に希求する日本人や世界・人類の助かりを願う金光教人は特にその努力が必要だと話した。

 時間が足りず、具体的な話にはならなかったが、次回の所内懇につなげていきたいとのことであった。帰る道すがら所長が「実は尖閣諸島での中国との問題も話し合いたかった」と仰っていたが残念であった。

 私は、このたびの日本政府の対応に弱腰外交を批判する声ばかりであるが、対中強硬派を勢いづかせたのは完全に失敗であったと思う。しかし、そのまま突っ張れば中国海軍が出てきて、日本も自衛隊を出すという最悪のシナリオとなっただろう。

 中国人企業家の宋文州がTwitter で、「日中が対立しても双方が損をするだけ」と書いていたそうだ。「中国外交の勝利」と言っているが、中国も国際的イメージは下がったとの指摘がある。「正義は力」は永遠の対立しかない。

「白菜に花を咲かせた男」

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 ある古い書類の捜し物で段ボール箱をひっくり返していたら、1990(平成2)6月号『中近き』66号(金光教中近畿教務所発行)という冊子が出てきた。なぜ大事にとっていたのかはすぐに思い出した。

 「巻頭のことば」のタイトルが「白菜に花を咲かせた男」。その男が実は私。執筆者は「のび太」となっているが私の同輩。大阪出身で金光教学院は少し後になるが、ご本部布教部時代には男子独身寮で隣同士の部屋だった。彼は教学研究所で御用をしていた。

 その男子独身寮で、秋のご本部大祭のお下がりをいただき、みんなで鍋をしようとしたときからこの話は始まった。ご大祭のお供え物のお下がりは、本部職員等に配付される。その時のお下がりに大きな白菜が入っていたのでみんなを部屋に呼んだのだ。

 ところが、ある方が同じ白菜を持ってやってきた。結局、私のは1個丸ごと残ってしまい、狭い洗面所の足下に置きっぱなしになってしまった。誠にご無礼な話ではあるが、いつかいただこう、いただこうと思いながらそのままになってしまった。

 そして色は茶色くなり、だんだんに腐ってくる。しかし、ご本部大祭のお下がりであるから捨てるわけにはいかない。まだ中は大丈夫と思いながら、またまたそのままにしてしまった。ある時ふと気がつくと大きな白菜がソフトホール大くらいの大きさになった。

 ひと冬を越し、次にふと気がついたときは何とゴルフボール大になっている。そしてだんだんに暖かくなり、ふと見ると、何と何とそこから芽が出ているではないか。そしてその芽は少しずつ少しずつ伸び、何と春のご大祭を迎える頃には菜の花と同じような1㍍以上の長さに成長し、とうとう花を咲かせたのである。 

 全く日の当たらない、裸電球1個の薄暗い中で、養分はおそらく私が顔を洗った水のしずくのみ。黄色と紫色が混ざったそれはそれは妖艶な色の花であった。私は何ともかわいそうに思い、無礼をわびながら寮の畑に植えた。が、急に強い日差しの元へ出したためだろうそこから白菜はよみがえらなかった。

 「のび太」氏はこのエピソードを紹介しながら、白菜を教団にたとえて、教団の危機意識として文章を展開しているが、私は、自身のご無礼と恥を棚にあげて、根源のいのちの存在、いのちの働きについて、このエピソードを今でもよく話している。

 例えば、スーパーに陳列されている野菜や果物は、すでに収穫されたもので私たちはすでに死んだものと見ている。お肉やお魚はもちろんのことすでに死んでいるものと考えている。しかし、野菜たちはまさにまだ生きているし、肉や魚もそれ自体としては死んでいるが、腐る過程ではそこに細菌といういのちが生きている。

 物は当然いわゆる命として生きてはないが、例えば木は木として何千年も生きていると言われているし、加工品も元々生きている地球そのものの体の一部から成り立っている物である。物も根源のいのち働きからのものであり、お役に立つ働きとしてのいのちがあるのではないかと思うのだ。

 だからこそ、すべてのものを大切にしなければならないのであり、「すべてを大切にする」ということは、さらに「自分に役に立たないものであっても粗末にしてはいけない」という倫理規範に結びつく行動ではないかと思うのである。金光学園の合い言葉「自分を大切に、人を大切に、ものを大切に」を改めてしみじみと思い返している。

「いのちのつながり」から見る

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 今年は国連国際生物多様性年であり、来月名古屋でその会議が開かれる。いのちは、他のいのちによって成り立つ。この食物連鎖による生態系の中ですべての生があった。しかし人類のみ、その需要をはるかに超えて乱開発し、生態系を乱した。

 「環境」を、ヒト中心において考えてきた過ちからである。改めて、「つながるいのち」、「いのちの恵み」の大切さを知るために、生物多様性の観点から、単に人類生存のための持続可能な利用だけではない問い直しが迫られている。

 そのヒトである私たち人間社会はどうか。特にわが国では経済や社会構造の変化から、1年間で3万人以上の方が誰にも気がつかれず孤独死しているのが現実である。ここにも「いのちのつながり」はない。

 また、尖閣諸島周辺での中国漁船衝突事件により、その背景にある国と国との境界線の問題でまだゾロ日中関係が悪化し、文化交流まで大影響を受けている。ここでも互いの主張のみで、「いのちのつながり」はない。

 確かにどの問題もその解決は容易ではない。しかし、ますますグローバル化が進む国際社会と地球生態系全体の中で、そのすべての領域において、「分断」、「対立」、「訌争」ではなく、「連帯」、「協同」、「共生」原理による社会構築が必要であり、それがあるべき地球社会ではないかと思う。

 なぜ、「共生」か。それは共生のないところには、「共滅」しか待ってないのだから。

世紀の大誤審!!

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 昨日は、神宮球場中日対ヤクルト戦を観戦した。東京教会のおかげで普通では買えないバックネット裏の席。金光学園の同級生で、なぜかお互い名古屋に関係ないのに中日ファンの、なんと同じ小金井市に住んでいるI氏親子と久しぶりに一緒だった。

 必勝を期した山本昌先発、勝ったと思ったが審判に負けてしまった。新聞では「微妙な判定」、中日スポーツは「疑惑の判定」と書いているが、どう見ても世紀の大誤審である。長い長いペナントレース、たった1球の判定でその雌雄が決まることがよくある。そうなってほしくはないが、昨日のはまさにその1球であった。

 私たちの位置は、ちょうど一塁ベースからからホームベースへの線上を伸ばしていったところ。藤井の身体は完全に白線の外にあり、打球も確実に白線の外であった。いったい何が起こったのか。一塁審判がフェアと内側に手を振ったときには目を疑った。

 当然、ブランコも、小田もファールと抗議する。落合監督も抗議にいったが、あっという間の退場劇。どうも違和感を覚えたのは監督一人で、選手もコーチも誰もその周りにいなかった。抗議の仕方がもっとあったのでは。

 今日のテレビニュースを見ても完全にファール。審判も人間、誤審をする。それはそれで仕方がないが、野球のビデオ判定は今どうなっているのか。残り試合、負け数からみて阪神が事実上のトップ。名古屋ドームでの阪神戦が本当の天王山となる。世紀の大誤審がただの誤審で終わりますように。

就職氷河期

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 今日の『東京新聞』に、「高校求人倍率0.67倍 来年卒業予定 氷河期並みに悪化」とある。大学卒の求人も厳しい。この東京学生寮に私が就任して初めての卒寮生の時、超氷河期と呼ばれていた。息子が幼稚園の頃だ。その頃、息子が大学生になる頃はよくなっているだろうと漠然と考えていたことを思い出す。

 ところが、全くよくなってないのだ。現寮生たちも就職活動が大変。100や200の会社を回るのは当たり前という。いいところに一発就職したり、教職について学校が決まったりする報告を受けると嬉しいが、なかなか厳しい子が多い。この頃は、大学を卒業した後に専門学校に行ったり、大学院に進む子が増えてきた。

 超氷河期と言われた頃から20年足らず、一体全体何をやってきたのか。これはもう個人の資質や努力の問題を超えている。まさに社会問題であり、政治の責任だ。どうも日本人は、失敗を失敗と認めず、問題を問題とせず先送りする。そこから教訓など導き出せるはずがない。

 菅新政権が発足した。小沢、反小沢などと言っている場合ではない。政権をたらい回した無為無策の自民党政権に戻していいのか。まだゾロ政界再編と言っているが、日本新党から新生党、新進党、民主党までどれだけの政党が生まれ、消えていったか。そこにどのような主義主張があったのか。

 与野党超えて無為無策、失政を失政と認め、直視し、そこから教訓を導き出して、問題解決へと向かってほしい。このまま、また足の引っ張り合いを続ければ、日本そのものがつぶれてしまうであろう。管総理は「1に雇用、2に雇用」と連呼した。是非とも成果を挙げて頂きたい。 

この頃の政治に思う

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 小沢氏が首相になれば豪腕ぶりを発揮して、この閉塞感を打ち破ってくれるかもしれないという。また、渡辺美智雄氏も人気があり、その理由も大胆な変革、つまりはその実行力を期待しているのだと思う。

 しかし、私はあまいと思う。日本の総理大臣は権力が極端に制限されている。独裁政治、全体主義政治を恐れてのこと。内閣、党、そして国会を通さなければ法律一つ作ることができない。結果、何もできないのだ。比較的権力があるといわれる知事や市長でさえ、東京都や名古屋市を見ればそう簡単にいかないことは理解できるだろう。

 つまりは、数の力が必要。渡辺美智雄氏も少数政党だから言えるのだ。もし、実行しようと思えば、多くの人の賛同がいる。しかし、大勢集まるとそれぞれ利害、思惑の対立が生じる。大胆な変革案も結局は骨抜きにされ、皆が納得するには「まあこの辺のところで」と妥協が成立する。

 渡辺美智雄氏が権力を握ったときに、ほとんど成果を挙げられなかった。その繰り返し。小沢神話も完全に崩壊した。最初からただの神話であった。それを現実に見せられなかっただけでも、よかったと思う。

 もちろん、大胆な変革を否定しているのではない。声高に批判の応酬に明け暮れるのではなく、それこそみんなで知恵を絞って考え、極力しあって実行してほしい。真に国民、国家のためのことを思うのなら、そろそろ政治のあり方そのものも変わっていくべきだと思う。

民主党代表選に思う

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 いやー、久々にドキドキしてしまった。別に私が緊張しなくてもいいのだが、小沢さんがもしかして勝つかと思った。それにしても、絶対に負ける勝負はしないと言っていた小沢さんが、ここに来てなぜここまで焦ったのだろう。

 「国家国民ため」?、これはない。小沢氏の主張が、なぜ小沢でなければならないのかが全く伝わってこないのだ。特に取り巻きがひどい。ある番組で、「マニフェスト実現の財源は?」の質問に即答できず、突っ込まれてやっと言い出したが、もしその財源が本当にあるとして、「ではなぜ朋友の鳩山総理の時に提言しなかったか」との質問に全く答えられなかった。結局は我がため、我が親分のための行動しか映らないのだ。

 もう国民をバカにせず、早いこと気がついてほしい。きれい事を言ってももう見抜かれているのだ。だったら最初から本音でズバズバいけばよかったのだ。あの柔道の何とかさんという方もかなり嫌われてしまっていた。1部の小沢ガールズの形式張ったコメントたるや聞くに堪えない。私が期待している福田さんは、最後の最後で小沢支持を表明したが、まだ見識ある言動であった。

 せっかく政権交代したのだ。実は内輪もめしている場合ではないのだ。参議院はねじれ状態、よほどうまく運営しないとまとまるものもまとまらず、またまた政治空白ができてしまう。マスコミはまた人事で楽しんでいるが、挙党一致、挙党一致って「アホとちゃうか」と突っ込みたくなる。同じ党が一致するのは当たり前、自民党政治からの脱却と言いながら自分たちで自民党やってどうするの。本当に「国家国民のため」を思うのなら、推して知るべしである。

娘の文化祭の思う

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 先日、娘が通っている高校の文化祭に行った。娘は、高校からは軽音楽部に入っている。最初はエレキギターから始まったが、バンド編成事情からドラムへと転身。自分でアルバイトをして消音ドラムを買った。

 軽音楽部には、30近くのバンドがあるらしく、誰でもが文化祭に出場できない。先日そのオーディションに受かったと聞いた。但し1日だけ。上手なバンドは2日出られるという。まだ結成4か月くらいだから、女性バンドでは学年で一番下手とのこと。

 高校へ行く途中、妻が「ビデオ持ってこなかったの」と聞いてきた。私は正直、聴くに堪えられないのではと思い、端からビデオで撮ろうという気もなかった。会場となる体育館は暗幕で覆われ、むんむん。体育館正面にはダンス部の踊りのスペース、反対側に軽音楽部用のステージが設けられている。

 正面側でAKB48の曲が大音響で響き渡り、10数人の女子高校生が踊り出した。反対側から遠目に見ていると、そこに娘が「次、こっちで始まるから」と寄ってきた。バイト先の先輩や中学校の友人も来てくれている。ダンス部の曲目が終わり、「アンコール」の連呼。妻が「もうスタンバってるよ」との声に振り替えると、娘がすでにドラムの席についていた。

 エレキとベースとドラムの3人構成。またまた親バカぶりを発揮するが、曲が始まって驚いた。上手なのだ。「しまった、ビデオを持ってくればよかった」と本当にびっくりした。司会のエレキの子の会話の乗りもいい。たった15分の演奏であったが来てよかった。

 そして私も高校時代を思い出した。こう見えても昔は一時期ロックンローラーを気取り、高校の文化祭ではエレキでならした。「アンコール」との声の嵐の中で、自分たちの持ち時間をオーバーして生徒会から電源を落とされた経験がある。前にもここで書いたと思うが、1学年下のワイパフ教会の安武くんがベースを担当してくれていた。

 無性に自分もやりたくなった。今さら親父バンドではないが、しかしギターはもうほとんど忘れてしまった。そして、ふと不思議に思ったことがある。実は私も本当はギターでなくてドラムに憧れていた。また行進曲も好きで、トランペットにも憧れていた。

 トランペットは息子が中学校3年間、吹奏楽部で頑張り、娘が今ドラムをやっている。これといって勧めたわけではないが、無意識にいろいろ言ってたかもしれない。いやもし言っていれば、子どもたちはやっていないだろう。

 「勉強しろ、しろ」と言っても、子どもは絶対に勉強しない。うちみたいに何も言わなかったら、ますます勉強しないから難しいところではあるが、親がしゃかりきになるとだいたいが失敗する。親の子どもに対する願いは、「さりげなく」がいい。子どもは親の全体、本音、本質をすでにお見通しなのだから。 

祝 中日首位奪還

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 正直、今年はもう無理と思っていた。首位をもぎ取ったというより、相手の失速によって頂けたという感じ。巨人の投手陣は崩壊、阪神ももう一つ勝ち切れてない。中日も例年通りなら首位を突っ走ってもおかしくない。

 井端が離脱。センター、ライトのレギュラーが決まっていない。内野は堂上が何とか埋めているが、外野手のツーポジションがあいているチームは他にはないだろう。投手陣も吉見が離脱。朝倉、川井、小笠原がもう一つ。ここに来てチェン、山本昌、山井、中田、そして中継ぎ陣はがんばっているものの、岩瀬が危うい。

 セリーグ3強というが、「強」ではないだろう。本年前半にあったあのセリーグ屈辱の交流戦を振り返れば瞭然、この時点からチーム状態はあまり変わってない。これではなかなか日本シリーズでもパリーグには勝てないのではと思ってしまう。

 しかし、勝負は勝負。ここまで来たら一気に勝ち越して首位を突っ走ってもらいたい。今期で自信をつけ、歴代最強のチーム作りを目指してもらいたい。センター福留、ライトイチローというような夢がかなえば、中日歴史上最強チームにはなるが、大島、野本、藤井あたりに一皮むけてもらいたい。

 一昨日は衛星放送で試合を見たが、ある巨人ファンの方からメールを頂戴したりして、かなりダメージを受けた。昨日は非戦・平和ネットの会議で残念ながら衛星放送で放映されていた横浜戦を見ることができず、夜のニュースを見ていたら、45歳、最年長で完封した山本昌投手が特集コーナーで紹介された。思わずもらい涙、勇気をいただいた。ガンバレ山本昌。

家族カレンダー

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 妻が早くも来年度の家族カレンダーを購入した。このカレンダーを知ったのは、子どもが小学生の時、PTA主催の講演会講師の言葉であった。確か、「家族の団結は、家族それぞれの一日のスケジュールを家族全員が知っているところから始まる」との内容だったように思う。

 その時、早速に家族カレンダーを購入した。名前を書く欄があって、それぞれのスケジュールを記入する。しかし、子どもがまだ小学生だったので、それほど書くこともなく、その1回きりで終わってしまった。

 あれから10年ほどの時が過ぎ、息子は大学3年生、娘が高校2年生となった。今夏、この2人の忙しさたるや、まともに4人揃った日が何日あっただろうか。妻も東光合唱団20周年コンサートや秋にある秋桜コンサートの準備・練習で、この時期、外に出る機会が多く、一番家にいるのは私。

 息子は、全国学生大会、小金井市消防団の合宿、東経大野球サークルの合宿、娘は、高校部活の合宿、ご本部教師子弟つどい、東京センターの信奉者キャンプ、それぞれ短いので2泊3日、3泊4日の行事があり、これに私の母の5年祭で勝浦にも帰省したので、もうほとんどあちこち飛び回っている感じ。加えてアルバイトもしているので、いよいよ全員の行動を把握していないと、食事がいるのかいらないのか、その準備も大変。

 そのようなことで家族カレンダーのことを思い出し、8月後半遅まきながらパソコンでカレンダーを作成した。9月から本格始動と思ったが、作ろう作ろうとしてはや9月も10日過ぎてしまった。

 今夏、記録的な猛暑に中で大過なく、それぞれに万事にご都合、お繰り合わせをいただき、誠にありがたいことである。寮生たちも元気で戻ってきて、玄関ホールには、寮生のみんなへと、それぞれに外国へいったおみやげや、ご当地のおみやげを置いてくれている。これからだんだんに新学期が始まる。さらなる活躍を期待している。

東京学生寮9月月例祭・食事会

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 昨日は、寮9月の月例祭・食事会を執り行った。祭主は寮運営委員で神明教会の田林美千代先生、教話は関東教区青年教師会から申請教話として、白金教会の和泉一義先生であった。(後掲・教話要旨)食事会は、この暑い夏にスタミナをつけてもらおうと盛大なる焼き肉パーティを催した。


教話要旨
 7年前に関東教区の青壮年教師有志が中心となって「みのり」という農作業をするグループを立ち上げた。そのきっかけは、ある教会連合会の親子で遊ぶある行事で、土をいじった子供に対して親が「土は汚いから触ったらダメ」と、叱った言葉を聞いたからだ。

 土は汚いという感覚に違和感を覚え、土は私たち生命の根源であることを自然に教えることができる何かいい方法はないか。そこでみんなで農作業をするのはどうかと考えたのが最初である。幸い、あきる野市に住むあるご高齢の信者さんが所有している土地を借りることができた。その方にご指導を頂きながら、今ではジャガイモ、サツマイモ、里芋、トウモロコシ等を栽培し、毎年多くの収穫のおかげを頂いている。

 この取り組みは、ただ野菜を作るということではなく、天地の働きを肌で実感してもらうことと、私たちが毎日口にしている食べ物は、そう簡単にできるものではないことを知ってもらうこと、そのために畑に祭壇を設け、その年の最初の作業日には鍬入れ祭、最後に収穫祭を仕えさせていただいている。

 作物の一番大切な根っこに肥料を施したり、草を取り除いたりする農作業の苦労を通して、作物が根ざしている神様のお働きを知る。それと同じようにみんなの人生において、自分自身の一番大切な根っこである心に肥料を施すように、その心の根っこに根ざしている神様のお働きを受けて、様々な苦労を乗り越え、夢をもって目標に向かってここからの学生生活を送ってほしい。

「輔教集会」開催される

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 2日は東京センター「教区委員会」、昨日は東京センターで「輔教集会」が開催された。輔教である妻も参加。センター職員の一人が社会活動関係で三宅島に出張、もう一人が宗教学会と職員の数が足りず、私も班別司会等の役割を頂いて参加した。

 輔教集会の講師は、江田本部教庁育成部次長で「神人の道とは」とのテーマでお話しされた。江田先生は、私の息子が「全国学生会」で、娘が「教師子弟のつどい」で大変お世話になっている。特に息子は、岡成育成部長共々かなり心酔しており、お育てを頂いている。

 江田先生は、今なぜ「神人の道」なのか?について、立教150年生神金光大神大祭時教主金光様の「神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」とのお言葉と、

 それから平成22年度の教団基本方針である「世界・人類の助かりに向けて、金光大神の信心を求め、現す」-この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進め、『神人の道』を開く-を受けてのことであり、その道のあり方を教祖金光大神様のご理解や4代教主金光様のお言葉、ご自身の信心体験などから、この道のあり方についてのお話があった。

 続いて班別懇談、全体質疑があったが、さすが関東教区の輔教の皆さま、「教主金光様はなぜ『神人の道』と仰ったか」、「輔教制度は宝の持ち腐れ。組織化、全教化を図るべし」、「現代日本社会の人の命に関わる問題は待ったなし。本教として即応する体制が必要」等々、予定の時間を1時間近くオーバーするほどの充実した集会であった。

 今日はこれから寮月例祭・食事会。こちらも充実した今月今日になるよう願っている。

新装築20周年改修工事へ

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 東京学生寮は、1991年に新装開寮しておかげさまで来年20周年を迎える。1歳だった息子が早21歳。あの頃の寮生たちのほとんどにすでに子供がいる。当然建物もだんだんにがたがくる。屋根はここで塗装しておかなければ限界らしい。

 そこで現在業者さんにお願いして、屋根や外壁の塗装、樋やベランダ、廊下の補強修繕、玄関ホールや集会室修繕等々の見積もりをとり、改修計画を立ててもらい、来年早々工事に取りかかれるよう準備している。このたびご本部から専門の職員が来寮し、諸経費が適切か、見落としがないか等、見てもらった。

 ご用が立て込んでいて日帰りということで、寮に着くやすぐに作業服に着替えてスタンバイ。追っつけ業者の営業の方や作業責任者の方が来て早速外へ。まずは屋根ということで専門職員と作業責任者の方が2人屋根に登った。

 私にものぞくだけのぞいて見てといわれ、2階廊下にかけられた梯子を登って見たが、下から見るよりは急角度。怖い。しかし、さすがプロの二人は入念に調べ上げながら屋根全体を回る。横に30室近くの部屋がある上の屋根なので相当に長い。時間もかかった。

 降りてきていろいろと説明を受けたが、プロの方はやはり見るところも違うし、作業責任者の方との会話は専門用語が飛び交う。私だけではとてもとても気がつかなかったところまでご指摘いただき、大変ありがたいことであった。

 今日は、業者の営業の方と作業責任者の方がご霊地金光まで行って施主になる担当者に説明をしている。営業の方は大会社にもかかわらず非常に頭の低い方で、真剣に説明してくれている。またこの20年カスターマーズセンターの方にも大変お世話になっており、今回も是非よい仕事をしていただければと願っている。

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