3月17日1年祭当日早朝6時、気仙沼教会お広前での御祈念にみんなで参拝。奥原教会長から教話をいただく。ボランティア期間中は毎朝お取次をいただき、毎回新たな気持ちでボランティアへと向かう。
午前7時30分から朝食。現在は気仙沼教会研修室でいただく。美紀子先生には朝早くから本当に申し訳ないことである。
この日は私たちは午前9時から気仙沼プラザホテルに向かい、会場設営、足りない椅子の運搬等のお手伝いやドアーの開閉、会場整理等の御用の打ち合わせをした。
午後になると東北各地や全国から大勢の方々が集まってくる。遠く九州からG教会のN先生や金光学園の大先輩であったK教会のI先生の姿もありびっくり。また、何とご本部時代祭場での「前夜のつどい」で活躍いただいたN教会のM子先生に約30年ぶりに出会い、その変わってない姿に私もあっという間に20代に戻った気分になった。
東日本大震災1年祭の様子は『金光教首都圏災害ボランティア支援機構』ホームページ中
3月17日「現地報告」http://shutoken.konko.jp/support/fieldreport.html#/list/20120317 参照。
第3部の金光藤蔭高校の太鼓と特に金光大阪吹奏楽部の『故郷』と『神人の栄光』にはもう涙、涙で、祭後に金光教本部教会部長の安武秀信先生の素晴らしい挨拶があり、感動のうちに終了した。
後片付け等のお手伝いの後、夜の懇親会まで時間があるので、南町1丁目の会長Aさんが出している仮設店舗「紫市場」のお店でコーヒーをいただき、オリジナル料理もご相伴にあずかった。その後、気仙沼プラザホテルで120名ほどの大懇親会。私は左側の一番奥側にいたので反対側の舞台がかすむかと思うほどの人数であった。
学生会OB会を代表して会長の才田さんが挨拶したが、遠くの方へはほとんど聞こえてない模様。(*^_^*)。懇親会ではかつて学生会OB会前会長としてご活躍いただいた故結城先生のご子息ともご挨拶できよかった。
多くの人と久しぶりに出会ったが、あっという間に時間が過ぎてしまい、残念であった。そこから多くの方が夜の街へと繰り出していったが、私は次の日には朝から機構便の運転手ボランティアがあるので、これまた本当に残念であったが早めに就寝し、18日は4人乗車で予定通り無事帰京した。
そうそう、1年祭出発前にお広前に行くと、一番前の席でご家族が御祈念をされていた。力強い拍手の仕方からどこの教会の先生家族かと思っていたら、何と寮の卒寮生で現在は武蔵小杉教会にお参りしているNさんご家族であった。そして先日「ラジオニッポン」で放送された私の「元気をもらった気仙沼でのボランティア」を聞いたと仰っていただき、私にとって初めてだったので大変嬉しく、ありがたいことであった。
それから、その「元気をもらった気仙沼でのボランティア」でご登場いただいた地元南町住民のAさんと偶然出会い、Aさんのことが全国で放送されたと伝え、再会を喜びあった。一緒に撮った写真をこのブログに出す承諾を忘れてしまい、掲載できないのが残念であるが、Aさんにいただいた神社の金杯を「ちゃんとわがご神前にお供えしている」とその写真を見せると、神様が違うことを気にしてか、「おら、知らねえよ」と何度も仰るがおかしかった。失礼。
水の話になりますが、今天然水はサーバーからとる天然水よりもペットボトルで飲料されることをお進めいたします、現代のゼコウロウヤクと云われるメーカーサイズダウン天然水はポリィフィノールの粒子が小さく脳に酸素を送りやすい天然水であります、是非とも飲料水として仕様されることをお進めいたします、