2005年3月アーカイブ

健康診断

| コメント(0)

 1年に1回の健康診断を受けに立川にある多摩健康管理センターに行って来た。東京へ来てから毎年行っている。今年もほぼ同様の結果が出た。3つほどが必ずC評価である。C、「要観察」という部類で、数値上やや異常があるが、医者にまでは行かなくていいという。

 Dがつくと「要治療」となる。私の場合ぎりぎり医者に見せるほどでもないのではあるが、数値は高いので気をつけろというところである。原因はもうはっきりしている。ビールである。引っかかった項目は、「中性脂肪値」、「γ-GTP」、「尿酸値」だ。もう典型的なやつ。

 十数年も健康診断を受けていると、どの程度お酒をを飲まないでいるとだいたいこの数値が出るるとわかるようになってきた。今年は、3週前あたりから禁酒に入っていたが、諸事情で10日前ほどに1日だけ飲んでしまった。これが失敗。ここ数年引っかからなかった「γ-GTP」がオーバーしてしまった。

 これが努力しても下がらなくなったら病気となる。予防の一番は週二日の休肝日と、運動であるが、これがなかなかできない。もう少し暖かくなったら歩こうと思っている。それにしても桜が咲かない。何と3日に予定している花見が延期になるではないか。早く咲きすぎて中止になったことはあるが、遅すぎて延期になるのは寮へ来て一回もない。「まだ飲むな」ということか。

納得がいかない疑問 2

| コメント(0)

 いったい時の指導者は何をどう考え、本当に日本の将来をどのように考えていたのか。本気で最後の一兵、この世から日本人民が消滅するまで戦おうとしていたのか。そして開いた口がふさがらないのは、60年しか経ってない今もなお、いや経ってしまったからか、「よく戦った」とか、「やむ負えなかった」とか、達観した見地からか「勝ち負けの問題ではない」とか、「次は勝てばいいのだ」とか、何をほざいているのかと憤りを覚える。

 もちろん、1人ひとりの国民は、それぞれの立場でよく頑張ったと思う。が、それで片づけてしまってはいけない。それでは必ず同じ過ちをくり返すこと必定である。私たち1人ひとりがしっかりと歴史を学び、教訓として受け取り、それをまた次世代に伝えていかなければとんでもないことになる。

 今、東京大空襲や沖縄戦、ノモンハン戦、ガタルカナル戦、ビルマ戦などのドキュメント本などを読み始めている。私の納得のいかない疑問の解答のヒントがあれば、おいおい皆様にも紹介してまいりたい。

納得のいかない疑問

| コメント(0)

 今年は第二次大戦後60年、東京平和集会でも東京大空襲など先の戦争を取り上げる。そのため、今いろいろな本を読んでいる。そして読めば読むほど、沸々と怒りとともにわき上がってくるのは、なぜこのような無惨な戦争をはじめたのかという疑問である。

 なぜ負ける戦争をしたのか。いや負けるとわかっている戦争をしたのか。本当に勝つ気があったのか。貧弱な国力、軍事力しかない日本の太平洋戦争作戦地域は、北端はアリューシャン列島、南端がオーストラリア近くのニューギニア、ソロモン諸島、西端がインド、東端がハワイと多方面にわたる広大な地域である。保つわけがない。

 いや始まる前は勝ち気であっても、押され押されてさすがにサイパンあたりが攻略されたら、もう勝つことはできないと考えたであろう。なぜ、完膚無きまでやられるまで、あれだけの犠牲者を出しながらなお戦争を続行したのか。なぜ、自分自身で後始末もできない戦争をやり、負けたのか。全く納得がいかないのである。(つづく)

もっと勉強しておけば

| コメント(0)

 もっと勉強しておけばよかったと今頃思ってもしょうがないのではあるが、何とも読まなければならない本の多さに圧倒されている。ここでいう勉強というのは知識を増やしておくこともそうだが、読解力や表現力を若いときからつけておけばと悔やまれるのである。

 本をたくさん読んでいる人は、本を読むのも早いし、加えて理解力も鋭い。さっと呼んでその内容をすぐに人に説明できる人がいる。本当にうらやましい限りである。私の場合は、まず1回読んで、その後重要なところを線で引っ張り、それをさらにノートに写してようやく理解でき、頭に入ったかなという程度である。

 例えば、「平和」と言っても、それは政治の問題であり、法律の問題であり、思想の問題であり、さらには信条や生き方の問題でもあり、実践や運動の問題でもある。もうそれだけで何冊も読まなければならない本があるのに追っつかない。 

 これはもう個人的にどうしても限界がある。そのために専門家がいるのであるから、それぞれの分野でもっとわかりやすく示してくれと言いたくなる。ところがそのわかりやすいことを本当に理解しようと思えば、やはり多くの本を読まなければならないのである。結局若いときからもっと勉強しておけばと嘆くばかりの今日このごろである。

祝 楽天初勝利と歴史的大敗

| コメント(0)

 「田尾監督、涙の開幕1勝」「リストラ男たちが歴史を刻んだ」とある。楽天ゴールデンイーグルス、監督が大ファンの田尾さん、それに元中日の関川、山崎、酒井がスタメンに名を連ねる。

 それもあってパリーグで西部やオリックス、日本ハムなどファンをずっとつくりたかったがなかなか中日のように入れ込むことができなかった。ここに来てようやくパリーグのファンができたと喜んでいる。

 ところが今日は、0-26の歴史的大敗。やはり寄せ集めのチーム。プロはそんなに甘くないのだろう。プロ野球を見ていると、特に守備はそつなく守るのが当たり前なので簡単に見える。しかし、高校野球を見ていると、そのそつなくこなすのがいかに難しいかがよくわかる。

 野球の勝ち負けを左右するのは、投手力や打撃力がほとんど占めているように思われがちだが、本当の醍醐味は走塁や守備、中継プレイをいかにそつなくこなすかが鍵となる。つまり、打って、投げて、走って、取っての総合力、そして個人力、集団力、さらには体力にセンスに精神力、そのすべてに優れたところが勝つのである。そういう目で見るとまたおもしろく野球が見られる。

 楽天の100敗はあるのか?。史上初の中日2連覇は?。楽しみである。

勧誘 2

| コメント(0)

 これで当分はないだろうと思っていたが甘かった。今度は女性の留学生から内線のインターホーンで新聞の勧誘が来て困っていると言う。何と「宅急便です」と偽って入ってきたとのこと。

 すぐに部屋の前まで行くと、またまた「あちゃー」である。今度は私より年輩の男でがたいも大きく、もうやくざそのもの。内心どきどきしながらも毅然として「宅急便と偽るのは犯罪ではないか」と詰め寄った。

 最初は何かとはぐらかそうとし、そして言った言わない議論になり、ついには商売だからと開き直ってきた。何ともこの手の輩はいったいどうなっているのか。もうがまんがならず問題にしなければと思ったところに、何と前と同じ新聞販売店の店員が来て、ひたすら謝るではないか。

 前回といい、今回といい、あまりのやり方に私も相当きびしく詰問した。「うそを言って寮内に浸入し、商行為を行うのは明らかに犯罪である」と。その後はさすがにこうした勧誘はなくなった。

 実は新聞だけではなく、友達を装った分けの分からない電話や、電話会社をはじめ外壁工事やら、消化器の売り込みやら、シロアリ駆除からいろんな分けの分からないものまでの勧誘電話や訪問がある。巧みな言葉で詐欺ぎりぎりの勧誘に危うく騙されそうになったこともある。自己責任で騙される方が悪いという風潮は、ますますこうした輩をつけあがらせてしまう。次来たら、しっかりと対応していきたい。

勧誘

| コメント(0)

 新入寮生の入寮が始まるこの時期、強引な新聞の勧誘が時々ある。数年前、寮生のS君がけんかしていると他の寮生が血相を抱えて寮監室にきたことがあった。出てみると、新聞勧誘員のちんぴら風の兄ちゃんと言い争っている。

 何と怖そうな兄ちゃん。「あちゃー、まずい」と思ったが、ここは一つ寮監らしいところを見せようとその場に加わった。どうもその新聞勧誘員、寮庭奥側の集会室の裏をまわって進入したようだが、S君には管理人の許可をとって入ったと言ったらしい。

 私が出ていったことで、勧誘員のうそが判明。ちんぴらも謝りかけたが、何と開き直ってS君の喧嘩腰の態度を逆に責めはじめるではないか。これにはさすがに私もぶち切れそうになり、これは明らかに不法侵入と迫り、やっと謝り、帰っていった。

 その新聞販売店に電話をすると、それは新聞拡張専門の人たちで自分たちには関係ないようにいう。これまたぶち切れそうになり、「新聞をとったらあなた達が集金するんでしょ。もろに関係あるではないか」と言うと、すっ飛んできたが、不愉快きわまりなかった。(つづく)

センバツ高校野球大会開幕

| コメント(0)

 選抜高校野球大会が開幕した。それにしても今年の選手宣誓はまた立派なものだった。あれだけの人の前で、そして全国の人が見ている前で本当に感心する。あれが自分だったらと思うだけで、どきどきしてくる。

 その駒大苫小牧高校、初戦を突破した。私が通った大学と同じ校歌なのでどうしても応援に力が入る。今日は朝一で入寮者があった関係でテレビをよく見れず、その後センターへラジオを聴きながら出務したが、雨の中のいい試合であった。

 春雨の中の甲子園といえば、わが金光大阪高校を思い出す。東京からもバスでの応援団を繰り出し、金光教泉尾教会、玉水教会のお世話になり、一生忘れられない応援旅行となった。

 わが母校金光学園か、またまた金光大阪か、是非とも甲子園に出てもらいたい。あの甲子園のアルプススタンドでの応援は何とも味わったものでしかわからないすばらしいものがある。あの時は興奮してあっという間であった。その時を思い出し、暇さえあればテレビを見ている今日このごろである。

市議会選挙

| コメント(0)

 小金井市議会選挙が告示され、選挙戦が始まった。国政選挙と違ってしょっちゅう選挙カーが通る。それどころか寮の正門前に立って、演説をはじめる候補者もいる。

 小金井市は駅南口再開発でもめにもめている。議会が開発賛成派、反対派にまっぷたつに割れ、反対13票で予算が通らず、それもここ2年暫定予算で市政を執行しているようだ。 

 ところで演説である。もう目の前でしゃべっているのでよく聞こえる。私は「みんな選挙に行こう、民主主義国家における大事な権利の一つだ」と言いながら、これまで政治家の演説をじっくりと聞いたことがなかった。

 演説の最初は、南口開発構想のアイデアが大事だと強調し、おもしろいかなと思いきや、野党議員候補の税金未納問題ばかりを言い始め、何ともつまらなくなってしまった。野党を攻撃しているようであれでは逆効果では。

 まあ、市議会選挙だからこんなものかとも思ったが、そういえば国会議員も同じような責め合いをしてたっけ。結果政治不信しか残らず、低投票率のまま。選挙の時に言ったこと、つまり公約がどれだけ実現できているか採点票を作った方がいると聞いたことがある。どなたかそれをつくって配布してくれれば、選びやすいのだが。

昭和史を語り継ぐ理由 3

| コメント(0)

 保坂氏は「〈語り継ぐのは、次代の者の責務〉であると説くのは、ヒトとしての種内ルールを確立するのが目的である」とし、「20世紀は二度にわたる世界大戦、そして数え切れない多くの軍事衝突を体験したが、そこでヒトは国際条約や国際機関をつくり、外交(話し合い)によって紛争を解決するルールの確立の第一歩を踏み出した。

 しかしこの第一歩から第二歩に進むという状態になっていない。いやむしろ21世紀にはいって新たに「テロとの闘い」という名目を掲げて、後退の方向に向かっているのではと懸念したくなる」と嘆いている。

 さらに「天皇は元首」といった復古的な改憲論が出ているにつけ、「果たして昭和前期の時代から教訓を学んでいるのだろうか、ヒトとして種内のルールを確立する気構えがあるのだろうか、ヒトとしての種内ルールを確立する気構えがあるのだろうか、と問いたくもなる」と述べる。

 私はよく、今の民主主義の世の中、まさか戦前のような軍国主義にはならないであろうといった楽観的な意見をよく聞く。当然戦前のようなあからさまな軍国国家にはならないであろう。しかし、私は今の政治家やマスコミをどうしても信用することができない。あるつくられた状況の迫りに、あっという間に実質的な軍事国家に変貌するのではないかと不安で一杯である。保坂氏はじめ真の有識者の活躍に期待したいするところ大である。

昭和史を語り継ぐ理由 2

| コメント(0)

 保坂氏の友人はさらに、「ヒトは確かに進化し繁栄した動物として、幾多の世代にわたる学習をつみあげて文明をつくりあげてきた。ところが個々人は誕生から老化までの一生で、自身にインプットされた体験や知恵は死とともに消滅してしまい、ヒトそのものはいつの時代にあっても誕生はゼロなのだという。文明は進歩してもヒトの知恵には進歩がない」と指摘し、保坂氏も日々、イラクからの報道に接して、ヒトは「もっとも残酷な猛獣」だと述べている。

 これには本当に感心した。なぜこうも人類は愚かなことを続けてるのだろうとずっと疑問に思っていた。なるほど文明や社会がいくら進歩してもヒト自体がゼロならばさもありなんである。
 
 保坂氏は、「昭和史の史実やその背景を追っていていつも思うことは、昭和の幾つかの戦争は〈もっとも残酷な猛獣〉の典型的なケースではないかと指摘する。「どうして日本軍はこれほどの残虐な行為を働いたのかというおぞましい出来事に出会う」という。私もここのところが一番疑問に思うところだが、この問題はまたの機会として、保坂氏はそうとして理性的なルールの確立が責務という。(つづく)

昭和史を語り継ぐ理由

| コメント(0)

 14日付『東京新聞』夕刊に本教の交際者であるノンフィクション作家で評論家の保坂正康氏が首標のタイトルですばらしい記事が出ていたので、皆様にもその概要を何回かにわけて紹介したい。

 保坂氏はまず、「〈昭和史には無数の教訓が詰まっている。それを語り継ぐのは、次代の者の責務である〉と、私が主張するのは、相応の理由があるからである。戦争の愚かさや、時に政治のもつ残酷さを、私たちは脳裏に刻み込まなければならないと思うからだ」といい、その理由は、ヒトとしての種内ルールを確立するのが目的であると述べている。  

 そして生物学の研究者で保坂氏の友人が氏の著書を読んで、「生存競争の中で、動物は種内の仲間と激しく闘っても相手が負けのシグナルをだすと、致命的に傷つける前に優位者は攻撃をやめるという種内のルールが確立されていることが多い。猛獣といわれる動物でさえ、一定の闘争ルールがあるが、ヒトは生来的にもっとも残酷な猛獣ではないかという思いを強くもちます」との指摘を受けたことを紹介している。(つづく)

平和行進

| コメント(0)

 今日は、ワールドピースナウのピースパレードに参加した。日比谷公園に行くといつもより、人は少ない。少し拍子抜けしたが、労働組合系は明日デモ行進するらしい。さすがの動員力があるところが来てないので少ないのは分かる。

 しかし、その反面これはどこの団体だろうかというほどに若い人が多く、デモ行進の仕方ものりのりで素晴らしく、その主張も明快で一貫している。正直自分自身歩くよりも、ビデオを持って撮影したいと思った。

 わが金光教もこれまで平和集会で単独で行進している。長年無言の行進から昨年はじめて街宣車を出し、シュプレヒコールもし、声を張り上げて行進した。ただ、その行進の仕方はもう少し洗練された、若者も参加できるようになっていたかは、そうした外のグループの行進を見るつけ改善の必要があると思う。

 ぜひこうした一般のピースパレードに参加していただき、いろいろと学び、前もって練習するくらいの気合いで、わが金光教のピースパレードを昇華していただきたい。

卒業式

| コメント(0)

 夕方買い物に国分寺方面に歩いていくと、着物、袴姿のあでやかなお嬢さん方が何人も歩いている。みんな晴れ晴れとした表情で、この記念の日の思い出作りに楽しんでいるようだ。

 わが息子も今日が小金井1中の卒業式。ここのところ卒業壁画制作のためにずっと帰りが遅く、昨日は、8時30分頃帰ってきて、また先生に渡す花束を買ってくると出ていった。前日にすでに舞い上がっているのだ。私には全くと言っていいほど卒業式の思い出がない。  
 
 今日妻が参加し、なかなか感動的な式であったようだ。帰ってきた雄生が先生が大泣きしたと言う。3年間お世話になった吹奏楽部の顧問の先生に花束を渡すと突然泣いたらしく、私もその話だけで不覚にもじーんときてしまった。

 で、よく見ると制服のボタンというボタンが全部ない。なんと同級生や後輩の女の子たちがすべてもっていったとのこと。ほんまかいなと思いつつ、あ、私の場合の卒業式の思い出がない理由に気がついてしまった。「とほほ」である。

免許証更新

| コメント(0)

誕生日後1か月までが期限の免許証更新、先日ぎりぎり間に合った。岡山県時代は、東京のように更新はがきがこないことから、なんと2年連続忘れてしまい、1日びっしりの講習を2回も受けてしまった。

 このたびはじめて「優良 金」の部門ということで晴れてゴールデン免許証になった。これで講習を受けなくていいと軽やかに府中試験場まで自転車で行ったが、なんと法律が変わり40分の講習があった。

 皆さんご存じの飲酒や携帯電話での罰則強化に加え、さらに高速道路での二人乗り禁止、 違法駐車取り締まり強化、中型自動車免許の新設などが公布され、順次施行されるとのこと。あまりに悲惨な飲酒事故の多発で、罰則強化もやむを得ないか。

 2月の交通死者は12人で、都内1か月の死者数は統計を取り始めてからもっとも少なかったそうだ。死亡事故に結びつく特別な要因は見当たらず、警視庁交通部はその原因の分析をすすめているようだが、ことこのことに関しては、講習でも罰則でも徹底的に取り組んでほしい。

夢見る使い捨て労働者 3

| コメント(0)

 こうした「二極化」は、「勝ち組、負け組」という言葉に象徴されるようにみんなすでに気がついている。しかし、ことのほかおとなしいのである。「私は勝ち組」と思っているのだろうか。違う。勝ち組はほんのわずかの人だ。政治の総保守化、労働組合ががたがたに解体されてしまったからであろうか。ずっと疑問に思っていた。
 
 その疑問に最近ある回答を得た。岩波新書『安心のファシズム』で斉藤貴男氏が書いている。「騙されつつしかし多くの人々は自らの置かれた立場にどこかで感づいている。つもり積もった不満や不安を、だからといって権力を有する元凶にぶつければ報復が怖い。より立場の弱い人々に八つ当たりし、あるいは差別の牙を剥いて、内心の安定を図るようになっていく。この傾向に拍車をかけたのがインターネットの掲示板である。代表的な掲示板『2ちゃんねる』については、もはや説明を要しないだろう」。

 何とも寂しい、情けない世の中になってしまったものだ。政治や教育、文化の力はますますなくなっている。ここで何とかしなければこのままではとんでもない世の中になること必定である。

金光教赤羽宿舎出向

| コメント(0)

  この月末に10日間ほど世界の宗教研究者1,500人が一同に会し、「宗教ー相克と平和」をテーマに「国際宗教学宗教史会議世界大会」が開催されます。

 その宿舎提供として金光教赤羽宿舎も利用していただくことになり、本日その準備のため赤羽宿舎に出向、一泊します。

 そのようなことで、昨日の続きを朝書き込もうとしましたが時間がなく、続きは明日にまわります。事情ご検察の上、ご容赦下さい。

夢見る使い捨て労働者 2

| コメント(0)

 今やフリーターは、「組織に縛られず、好きなことをして楽しく生活する自由人」というよりも、「将来の不安におびえているが、その不安を感じさせないために、実現不可能のない夢にすがっている」という姿だそうだ。

 企業の側は、専門的・創造的能力あるものを必要な労働者として自社で育て、単純、サポート労働者はコストを下げるために派遣社員やアルバイトに置き換える。正社員はますます専門化し、その門が狭くなり、いくら高学歴であっても能力がなければ振り落とされてしまう。

 いくらよい大学を出ても、そのこれまでかけた教育に見合う職業につけなくなっている。大学を出ても自分にふさわしい就職口がなく、仕方なく大学院に進む人が増え、あるいは4年生大学卒業後に専門学校に通う人が増えている。しかし、その卒業後もなかなか希望通りとは行かず、フリーターで時間を稼いでいるという状態なのだ。

 その夢見る使い捨て労働者が、ざっと200万人を超えようとしているらしい。先の山田先生によれば、経済がまだもっているうちはよいが、このまま景気がよくならない場合、10年後にまさにこの使い捨て労働者たち自身が不良債権化してしまうと警告している。(つづく)

夢見る使い捨て労働者

| コメント(0)

 こんにち、グローバル化により、日本のみならず世界のあちこちで、賃金、立場、教育機会など様々なところで格差が拡がっているという指摘がなされ、その影響が東京寮にいる学生たちにも押し寄せてきている。 

 パラサイトシングルという言葉を生みだした東京学芸大学の山田昌弘教授は、その著書『希望格差社会』で、最大の問題は「量的格差(賃金など経済的格差)」、「質的格差(職種やライフスタイルの格差)」から「心理的格差(希望格差)」へとつながっていることであると指摘している。つまり、「苦労しても報われない」という希望喪失によるやる気の放棄である。

 かつてフリーターという言葉はそもそも「正社員になる実力があるけれどもならない」という非常に格好いい華やかなイメージの言葉であり、そうでない失業者は男性は「ぷー太郎」、女性は「家事手伝い」と呼ばれていた。しかし、いまやフリーターは正社員になりたくてもなれない人か仕方なくやっているのである。前述山田氏は、そのフリーターのことを「夢見る使い捨て労働者」という何とも悲しい表現で呼んでいる。(つづく)

歴史への疑問の始まり

| コメント(0)

 一昨日の井本先生へのコメントに思い出した。確か写真をふんだんに使っている「第二次世界大戦シリーズ」といった本だったと思うが、軍服を着た昭和天皇が東京空襲の後に街を視察している写真に衝撃を受けたことである。高校生だったか、大学生だったかその頃だ。

 私たちの世代は右翼までとはいかないが、そういう思想的なものでなく、単に「戦争物好き」がことのほか多い。雑誌の『丸』をよく読み、プラモデルのウォーターシリーズで日本海軍連合艦隊の軍艦の名前などにくわしいのだ。先日京都でのFNETセミナーに来ていた同級生の方も、戦争映画など戦争物が好きと言っていた。
  
 私も最初に読んだ本が右がかった『日本の歴史』という子供向けの分厚い本で、最初に読んだ雑誌が先程の『丸』、最初に買ってもらったレコードが『日本軍歌大全集』と、何とも「軍神広瀬中佐」とか、「木口ラッパ兵」とか、ことのほかくわしかった。かつて私を知っている人が、私を右翼と呼ぶ所以である。

 ところが、先の昭和天皇の写真を見たときが私の歴史への疑問の始まりだったように思う。確か岡山か東京へ行く長距離電車の中で読み、到着するまで何時間もこの事実はいったい何だったのかと心に深く刻まれたことを思い出す。

 戦争物が好きだからといって好戦的な国粋主義ではないが、その時代時代の影響はもろに受ける。故に大事なのは歴史教育だ。よく「○○史観」と言われるが、ある一つの価値観に基づいて歴史を構築し、その一つに偏ったときは必ずその社会は崩壊している。まだまだ昭和史は明らかにされてない。下手に国家主義的な風潮に流されている今日、つっこんだいい研究成果に期待したい。

テレビドラマに思う

| コメント(0)

 オリコンの自社アンケート・パネル【オリコン・モニターリサーチ】が、中高生、専・大学生、20代、30代、40代、男女計500人に、最終回を控えた連続ドラマ全般のユーザー満足度を調査したところ、初回放送直後のランキングとトップ3は変わらないことが分かり、ちなみに、1位は『救命病棟24時』、2位は『ごくせん』、3位は『優しい時間』となっている。また、『3年B組金八先生』は、7位、野球ドラマ『H2~君といた日々』が10位と今回トップテン入りを果たしたそうだ。

 子供も絶対に見るので、なんと「H2」と重なっている「優しい時間」以外、私も全部見ている。中でも1位の『救命病棟24時』は、残念ながら最初の方と最近しか見てないが、大地震の後の救急病院を舞台に被災者を取り巻く、医者、看護婦、政治家などを中心にドラマが展開している。多くの被災者が瞬時に生まれる大地震の中で、その1人ひとりの命の軽重の問題が中心テーマになっているように思う。

 軽重というと語弊があるが、医師が患者を助けるときに早いもの順か、助かる人を助けるか、あるいは消防士は助けを呼ぶ被災者を振りきって消火に当たったことについてなどが描かれ、それに思い悩み、精神的ショックを受けた医師たちも登場している。

 私なりにこのドラマを見ながら、テーマは「最善を尽くす」ではと思っている。自分ができる限界を知りつつも、その中で最善を尽くすことではないか。結果がどうであれ、自分自身をごまかすことなく成した行為は誇りを持つべきであろうし、できなくても自分を責めることはないと思う。

 緊急事態のこと、それぞれ精一杯だと思う。そうした状況に出くわしたとき、いかに人を責めず、自分を責めないあり方ができるか。それはやはり最善を尽くすことではないか。どこかで「最善をつくして1流たれ」という言葉を聞いたことがあるが、私もそうした誇りを持って生きていきたい。

東京大空襲

| コメント(0)

 本日付『東京新聞』1面「筆洗」の書き出しに、「60年にして東京大空襲にやっとスポットが当たったような気がする」とあった。先日、東京平和集会の企画会議でも少し議論になったが、東京平和集会では、不思議と東京という地域を意識した企画がほとんどなかったことである。

 本教内の平和集会として先行していた広島、長崎、沖縄などの取り組みが、地域性を重視していることを意識してか、また、平和が過去の問題ではなく、人権差別の南北問題や環境問題を意識的に取り上げたのか、そうした社会的な要請があったのか、おそらく様々な理由でこと分けて東京という地域を意識しなかったのだと思う。

 ところが、先程の東京新聞によれば、社会の方もそうであったようだ。「広島、長崎の原爆被害にも匹敵するこの惨禍が社会問題化されずにきたのか」と疑問を投げかけている。そしてその理由として、岩波ブックレット『東京大空襲60年 母の記録 敦子よ涼子よ輝一よ』のあとがきに記されている5点を紹介している。

①一家全滅の家族が多く、語り部が不在だった。
②遺族や罹災者が地方へ離散した。
③その日暮らしの人が多く戦後は生きるだけで精一杯だった。
④占領軍のプレスコードで無差別爆撃の実体解明が規制された。
⑤公的な調査や救いの手がなかった。
 とりわけ⑤の要素が強かったとしている。

 東京平和集会だけと思ったいたが、社会全体がそうであったことに驚いた。そうとするならば今回特に東京という地域に重点を置こうとしている平和集会も時機を得ていることになる。現在のところ、東京や関東一円での空襲体験などの取材調査をし、まとめたものを朗読劇で次世代に伝えたいと願っている。皆様にもご協力のほどどうぞよろしくお願いします。

シュロたわし

| コメント(0)

 久々の紀州ネタで「たわし」の話題で申し訳ないが、今朝妻が「たわしの90パーセントが和歌山で作られているんだって」と呼ぶ。めったにテレビを見ない妻が珍しくNHKの「生活ほっとモーニング」を見てのこと。

 じっくりと見れなかったのが残念であるが、「シュロ」という木の皮の繊維でできている。ヤシやソテツに似た木で勝浦でもあちこちに生えている。あれからたわしができるとははじめて知った。和歌山県のなかでも野上町を中心とする野上谷は日本で最大のシュロたわしの産地で、密度のつまったよいたわしを作るために職人がひとつひとつ手作りをしている。

 この昔ながらのシュロたわしは一本一本の繊維が細く、水につけると柔らかくなるので、体まで洗えてしまう優れものだそうである。肌がつるつるになり、使うほどに味がでるシュロたわし、東京でも売っているかな。早速にほしくなった。

引っ越し

| コメント(0)

 卒寮生の引っ越しがだんだんに始まる。昨日東京センターから帰ると、寮玄関ホールが段ボール箱で一杯、すごい威圧感である。寮生室の個室の中にようもようもこれだけ入っていたかと思うほどの量である。

 ほとんどの寮生は、レンタカーを借りるにせよ、赤帽の軽トラを頼むにせよ、1回で運べると踏んでいる。しかし、まずもって一回で運べた人はいない。近所に引っ越す人は何度か往復できるが、遠いところは気を付けた方がいい。

 私も中学から親元を離れて、勝浦教会~金光学園寄宿舎~金光の親戚~金光教東京寮~駒沢アパート~金光教学院~金光教宮黒公舎~門前北公舎~男子独身寮~教庁前夫婦寮~光公舎~金光教東京寮と11回の引っ越しを経験した。

 引っ越しでいつも思うのは、大物は思ったよりは割と簡単に運べるが、捨てようかどうしようか迷った小物が残り、なかなか片づかないことだ。なかなか物を捨てられない性分を持つ人間は、最後の最後に来て苦労する。大変であろうが、次の人のためにきっちりと掃除をしていってほしい。特に風呂場、エアコン、トイレ、換気扇よろしく。

送別会2

| コメント(0)

 送別会でのお寿司とオードブルの買い出しを終え、集会室に戻ると、寮長がパソコンを相手に悪戦苦闘している。聞いてみると、みんなのこれまでの出来事をパソコンに取り込んだ写真を写しだそうとしているらしいのだが、それがどうもうまくいかないらしい。

 すでに月例祭・送別会開始15分前、大丈夫だろうかと心配した。しかし、それは杞憂であった。このたびの送別会では、東京寮卒寮アルバムというすばらしい冊子と記念品としてそれぞれが写っているCD-Rが配布された。1年目、2年目とそれぞれにその年にあった項目と写真が並ぶ。

 その一年一年の出来事が列挙され、みんなの笑顔がすばらしい。ここに一つの終わりと、一つの別れのさみしさを感じつつ、次への飛躍を期待しながら、ただひたすらに将来の幸せを祈らせていただいた。

東京寮送別会

| コメント(0)

 今日は東京寮送別会であった。寮生、留学生併せて13人が巣立つ。この頃は本当に4年間ってあっというまの感がする。今日も1人ひとりについて短くコメントしたが、それ以上にそれぞれにいろんな思い出がある。

 K君が入寮前、「歯ブラシとかタオルはあるんですか?」と、まるでホテルに泊まりにくるような電話をかけてきたことが本当に忘れなれない。(?_?)

 東京センターの行事に参加するため、京葉線のある駅でYさんに大丈夫と言われて精算をしようとしたら、機械が止まり、怒った駅員が出てきてひたすら謝ったのも忘れられない。(T_T)

 水漏れミステリー、夜中の交差点ミステイク、もう1人ひとりのことを書き出すと書ききれない思い出がある。13人みんなのことをここで書ききれないが、それぞれにいろいろな思い出がある。

 みんなこの期間、不安を抱えながらも成長してきた。ここから輝かしい歩みを確たるものとしてほしい。世の中ますます不透明な雲行きである。様々な困難が押し寄せてくるであろう。その時は、寮の仲間を思いだし、元気いっぱい頑張っていた、ここでの空気、においを感じてほしい。「あるもの皆美しく、起こること皆よし」である。期待したい。

絵門ゆう子さんのエッセイの思う

| コメント(0)

 昨年の9月に当ホームページ掲示板で、芝教会115年記念「絵門ゆう子」講演会の様子を紹介させていただいた。その絵門ゆう子さんは、『朝日新聞』東京版に毎週木曜日「がんとゆっくり日記」というエッセイを連載されている。

 絵門ゆう子さんの文章は、なんと表現していいか、何ともいえない魅力がある。がんと向き合っての人生は私なんかには想像も絶する悩みを抱えていることと思う。文章は淡々と楽しく書かれているようで、そこには何事も隠さない本音の心情も赤裸々に語られている。

 その本物の言葉、文章にいやされ、励まされ、教えられ、元気をもらっている。3月3日付の「数秒の言葉で前向きになれる」とのタイトルのエッセイも、一言の言葉がいかに大事かが書かれいた。

 「(前略)ものを書いたり、人前で話したりする時、説得力を持たせ、わかりやすい話にするため、どうしてもスタンスをどこかにはっきりと置くこと、『○○というものは・・・・』と物事を大まかな分類でくくることをしがちだといつも思う。その最たるものは、人を4種類に分けて盛り上がれる血液型談義じゃないかと思うが、医師は、患者は、西洋医学は、民間療法は・・・・と、何かを何かに所属させて話すとわかったような気になるからだ。しかし、それによって語れるのは、あくまで傾向であり、真実ではない(後略)」

 まさにおっしゃるとおり。私も往々にしてというか、いつも物事を抽象化してわかったような気になっていた。もちろん抽象化の大事さも十分理解しているが、それはあくまでもすべての1人ひとりのところで起きている事実のために必要なことである。現実、現場にじっと座りきり、そこから目を背けず、逃げず、ごまかさず、そうしたスタンスを常にもちたいものである。

| コメント(0)

 3月、珍しく東京に雪が積もった。雪国出身のある寮生が「なぜ東京に雪が積もるだけでNHK全国ニュースに取り上げられ、ワイドショーで大騒ぎするのか」とあきれていた。確かに雪の地方は全く日常の当たり前のことなのである。

 ところが東京はそうはいかない。5センチから10センチで電車は遅れはじめ、10センチから15センチで大幅に遅れはじめ、それ以上積もると何十万、何百万人がもうパニック。公共交通機関はすべて止まり、車はスリップ、歩行者は滑って前に進めず、完全マヒ。

 なれない雪かきがこれまた大変。今日も午前中寮生の安全を考えて、階段と玄関ホールから正門までの数10メートルほど、通路確保のための雪かきをした。ほんのちょっと動いただけでも腰にくる。雪って集めて固まると何とも重い。

 私のような南国軟弱人間は、はなはだ辛い。10年に1回くらいしか積もらない。よしんば積もったとしても朝8時くらいにはもうない。小学校のころ、目覚めて外をみると一面銀世界。夢かと思うほど興奮した思い出がある。近所の友達が一斉に出てきて雪合戦を試みるが、何せ1ミリくらいしか積もってないのでもう泥合戦である。朝から母親にえらい怒られたのも忘れられない。

 今日の雪はすでに解けはじめた。以前3月大雪の時は、確か月例祭祭員の先生がこれなかったことがある。週末に月例祭・送別会を控え、この程度で終わりほっとしている。

平和祈願祭の意味

| コメント(0)

 本日、第2回平和集会企画会議があった。東京平和集会において、千鳥が淵戦没者墓苑での集いを行わないことにした意味については、当欄2月7日付「思うがままに」中『平和雑感』で述べた。そして現在は、天地金乃神様の御広前で平和祈願祭を執行している。

 そこではこれまで行ってきた慰霊の意味と祈願祭という神様に平和を願う意味合いも含んでいる。つまり「慰霊」と「祈願」とを分け隔てない考え方をとっている。それは、本教の慰霊が一般的なあり方である単にみ霊様を慰めることであるとか、鎮魂といった、魂を鎮めるといったものではないところからきている。
 
 東京平和集会での「平和祈願祭」は、金光教館のイーストホールに祭壇をもうけ、全世界の不条理にも亡くなられたみ霊様にご参集いただく。そして、み霊(死者)と参集者(生者)がともに心をひとつにして、天地の親神様に平和、立ち行きを願うのである。

 そこでは、過去(先祖)、現在(私)、未来(子孫)という時間や国家等の特定の枠や地域、さらには「敵・味方」、「正・邪」を超えた、すべてのみ霊様と私たちとがひとつになって神様に祈願するするということであり、そのことで慰霊と祈願はトータルとしてとらえられている。

 本年もそのコンセプトをもちつつ、祭員の数や祭壇の向きや形などに工夫を凝らしていく予定である。

宗教家への痛烈批判

| コメント(0)

 2月23日付東京新聞社説・発言(投書)欄に、自殺問題に関して、「心に届かないお説教」と題した、ある宗教家の投書に対してのある教育サポーターの方の痛烈な批判記事が載っていた。

 一部抜粋すると「あの内容では、現に苦しみを心に抱え、自殺を考えている人の心には、到底届かないように感じました。『人生には、苦しみがつきものだ』『来世で幸せになれるとは限らない』『人は生まれた瞬間から死を宣告されている』『自殺は愚かでもったいない行為』『苦しくても親からもらった大切な命を最後まで使い果たすのが人間の義務』・・・・。確かにもっともなお言葉です。いや、だからこそ『そんなことはわかっている』と、自殺を考えていた時期の私なら言っていたでしょう。
(中略)実際に必要なのは、仏教で言うところの『慈悲』、キリスト教なら『愛』、そういった『他者の痛みを深く思いやり、手を差し伸べる』気持ちではないでしょうか。
 せめて『自殺は正しい選択だとは思いませんが、自ら死を選ぼうとするのは、どんなに苦しくつらいことかと思います』と、他者の痛みを宗教家として受け入れる言葉があってほしかったです(後略)」。

 何とも強烈な批判だ。私自身も非常に反省しなけれはならない指摘がここにある。御用がら若い人からの相談をよく受けるが、なかなか相手の気持ちを理解することは難しい。相手の話の表面上だけ受け取って、理解したつもりになり、こちらの考えを一方的にしゃべることがよくある。つい、怒り口調になってしまうこともある。そうした上の立場からこうあるべきと教え諭すあり方は、今や全く相手には通じない。

 また逆にただ聞いているだけでは、なかなか相手の本音がつかめない。本当に何が言いたいのか。何を理解してほしいのかを真剣に考えながら傾聴する必要がある。そしてその気持ちを理解でき、なるほどあなたはこういうことで悩んでいたのかと共感したときに、そこに神様が生まれ、助かりへと向かうだろう。ただ、この宗教家の方は、発言されただけでもすごい。感心しきりである。

「Fnet」のFとは?

| コメント(0)

 (昨日からつづく) しかし、「Fnet」の役員スタッフの皆様や息子が沖縄遺骨収集で大変お世話になった落合先生ご夫妻のあたたかいお出向かいに気合いを入れ直し、セミナーに望んだ。寮生のI君にも、「もうちょっと残って話を聞いていけば」と言えばよかったと思いつつ。

 1時間30分のお話し、一昨日に示したレジメのように少し欲張ってしまい、途中かなり速く飛ばしてしまった。それでも最後まで真剣にお聞き取りいただき、その後の懇談の時も鋭い質問が出された。まだまだ諸問題、諸課題は残るが、とりあえずは問題提起になったかと思わせていただいた。

 続いての懇親会、さすがフードネット(?)とあって遠く福井県や三重県からご当地のお刺身やお寿司、伊勢うどん、また、夜2時までかかって作られたという手料理が並び、盛会のうちに懇親を深めさせていただいた。 

 さて、皆様もそろそろ疑問に思っていると思われるが、いったい「Fnet」のFの本当の意味は何なのか。宴も終盤のころに質問すると、「雰囲気のFと思った」とか「伏見のF」、「福井のF」、いや「武生のF」とみんな冗談で言っているのか、あるいは本当に知らないのでは?と、悶々としていたら名付け親曰く、「これはFaith(信仰)のFとFace(顔)のF」。すばらしいネーミングだ。

 ますますのご発展をお祈り申し上げて、終わりたい。

2012年4月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2005年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2005年2月です。

次のアーカイブは2005年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: