平和祈願祭の意味

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 本日、第2回平和集会企画会議があった。東京平和集会において、千鳥が淵戦没者墓苑での集いを行わないことにした意味については、当欄2月7日付「思うがままに」中『平和雑感』で述べた。そして現在は、天地金乃神様の御広前で平和祈願祭を執行している。

 そこではこれまで行ってきた慰霊の意味と祈願祭という神様に平和を願う意味合いも含んでいる。つまり「慰霊」と「祈願」とを分け隔てない考え方をとっている。それは、本教の慰霊が一般的なあり方である単にみ霊様を慰めることであるとか、鎮魂といった、魂を鎮めるといったものではないところからきている。
 
 東京平和集会での「平和祈願祭」は、金光教館のイーストホールに祭壇をもうけ、全世界の不条理にも亡くなられたみ霊様にご参集いただく。そして、み霊(死者)と参集者(生者)がともに心をひとつにして、天地の親神様に平和、立ち行きを願うのである。

 そこでは、過去(先祖)、現在(私)、未来(子孫)という時間や国家等の特定の枠や地域、さらには「敵・味方」、「正・邪」を超えた、すべてのみ霊様と私たちとがひとつになって神様に祈願するするということであり、そのことで慰霊と祈願はトータルとしてとらえられている。

 本年もそのコンセプトをもちつつ、祭員の数や祭壇の向きや形などに工夫を凝らしていく予定である。

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このページは、つっさんが2005年3月 3日 19:31に書いたブログ記事です。

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