2011年9月アーカイブ

熱田教会信徒会講演会 3

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 こうした寮生とどうかかわっていくか。私自身、子供の子育てや寮生たちとの関わりの中で、不登校や軽い引きこもり等々精神的な問題を抱える人たちと生活を共にし、一緒に悩み取り組むことで多くのことを学んだ。まずはこの問題に深く関わる前提となる2つの「子育ての大いなる誤解」についてとその問題の原因と対策について紹介したい。
 

 そのことが、子供や寮生たちと深く解り合えることになり、結果的に信心の継承につながると信じるからである。

子育てに対する2つの大きな誤解
①子育ては、お子さんが二十歳を過ぎて「思いやりのあるやさしい大人」に育ってほしいというのが本当。ところが、実際はそれこそ赤ちゃんの1、2歳の時からずっと思いやりのある子でいることが必要としている。つまり、赤ちゃんの時は、ぐずらない子や泣かない子。そして、その後は「よい子」という名の「聞き分けのよい子」、「手のかからない子」。結局親にとって都合のいい子を強要しているのではないか。

②喜怒哀楽や「悔しい」、「惨め」とかの感情は、自然に備わると思っているが、感情は自然に備わるものではなくて、育てなければならないもの。

の二つである。
 
 そう考えると思い当たるふしがある。現在大学4年生の長男と高校3年生の娘がいるが、小さい頃からよく「泣くな!」、「それぐらい辛抱しろ!」と高圧的に叱り飛ばしてきた。娘なんかは、よく外の駐車場に立たせていた覚えがある。これは「しつけ」というよりは、やはり親にとって都合のいい「聞き分けのよい子」を強要していたように思う。

 そうすることで子供たちは、「悲しい」、「寂しい」、「腹立たしい」、「悔しい」、「ひとりぼっちで不安な気持ち」とかマイナスの否定的な、ネガティブな感情を抑え込んでしまう。子どもにとってみれば、ネガティブな感情を持つと怒られるものだから持ったらダメだと封印してしまう。結果、逆の嬉しいとか楽しいというプラスの感情も育たなくなってしまうのだ。

 それから、朝から晩まで、「早く起きろ」に始まって「早く寝なさい」で終わるまで、その間、「早く顔を洗って」、「早く服着て」、「早くご飯食べて」、「早く学校へ」、「早く宿題やれ」、「早くお風呂に入りなさい」と毎日毎日「早く、早く」の連続。これでは何かを感じたり、思ったり、考えたりする余裕はない。
  
 また、子供が2歳頃だったと思うが、動物が一杯出ている図鑑を見せて、これは「猫ちゃん」、これは「クマさん」とか、「じゃあこれは何かな?」と質問し、子供が「ぞうさん」と答えると「正解」と喜び、案外覚えるのが早いので、ついついライオンやカンガルーまで教え込もうとした経験がある。

 ここに子育てのひとつの落とし穴があって、どうも小さい頃から知識を覚え込まそうとし、これは「ぞうさん、大きいね」とか、「カバさん水浴びて気持ちよさそうだね」という感情、情感を案外伝えていない。これは現在の知育偏重教育に小さい時からはまっているのかもしれない。(つづく)

熱田教会信徒会講演会 2

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 大変長らくの間お待たせいたしました。前々回の「熱田教会信徒会講演会」の続きから再開します。約1時間の講演の要旨です。

講演要旨
 1991年に新築された寮は全25室、1993(平成5)年に職員家族・単身寮を増築、現在家族寮に学生寮生姉妹が住むなど、全員入居すると30数人が入寮できる。また、アジアからの留学生を受け入れ、昨年までは遠くトルコの方も入寮していた。

 旧寮時代は、皆さんご存じの方も多いと思うが、幼い頃の事故で両手片足を失った中山亀太郎先生が寮監をされていた。99歳8か月で亡くなられたが、駅の券売機に小銭を入れることと、袴の帯を後ろで結べないことの2つ以外は全て何でも自分で出来た先生。

 その中山先生時代は、全20室の2人部屋で定員が40人、共同トイレ、共同風呂だった。私が寮生の頃、中山先生はすでに70歳を越えられだんだんに体調を崩され、その頃から「アパート化」と言われる寮生間の交流が薄い個人化の問題があった。

 現在の寮は、バス、トイレ、キッチン、エアコン、給湯器完備で完全個室。名称は学生寮であるが構造はアパート形式。そこで寮祭や講演会等行事に力を入れている。特に毎月の月例祭後の食事会は、3、4人の食事当番を割り振り、20数人分の食事を作ってもらって交流を深めている。 

 ただ、今から5年ほど前くらいまでは、食事会ではだいたい食べ終わったら自分の食器を持ってすうっと自分の部屋に帰っていく人もあり、いつも残るのはベストメンバーという時代。よくしゃべる子が話して、後はただ聞いているだけという時代、トランプやダーツやそういうゲームを持ってきて楽しんでいる時代とそれぞれ入寮生のキャラにより色々雰囲気があった。

 ただ、全体的に表面上は楽しんでいるようだが、どうも私から見れば「何とか面白いことを言わなければならない」とか、「ださいことを言ったらしらけてしまうので、それが怖くてあまり真面目なことや本音を出せない」とか、楽しくなければいけないといった雰囲気で、「楽しくなければ」ということに汲々としており、本当に楽しいのだろうかという感じがしていた。

 ものの本やそうした寮生たちを見ていての最近の若者像をまとめると、
・「KY」、空気を読む。
・本音を封じる。
・親や周囲の期待に応えようと「よい子」を演じている。
・他人と合わせる努力に汲々としている。
・人に嫌われることをなによりも恐れている。
・チャレンジ精神は薄く、安定志向。
というところか。

 ただ、私も今から考えれば自主性や自由を重んじると言いながら、それを言い訳にしてそうした空気を読み、それでよしとしていたように思う。(つづく)

 

 先ほど、東京センターから水津先生の車にお世話になり、3時間かかって帰寮しました。これだけかかったのは初めて。時折の大雨と強風で車が大きく揺れ、地震かと思うほど。それでなくても車が多い時間帯に加え、おまけに途中接触事故が3件、ところどころの冠水のために大渋滞でした。

 熱田教会信徒会講演会の途中ですが、明日22日急用が入り、それから25日の松島での復興祈願祭参拝のために、また諸事情から23日から気仙沼に入ってから参拝させていただくことになりまして、当ブログまたしばらくお休みさせていただきます。

 どうぞ、台風15号によるこれ以上の被害が出ませんように。また、今日気仙沼から夜行バスで帰寮予定の息子たち寮生が、道中の無事安全、交通安全のおかげを蒙り、無事帰寮いたしますようにお願い申し上げます。

 

 

 

 

熱田教会信徒会講演会 1

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  9月18日日曜日は、名古屋市の熱田教会において開催された、秋季霊祭に併せての「信徒会講演会」講師としてお話をさせていただき、昨日は、世田谷区にある上北沢教会秋季霊祭の祭員の御用をさせていただいた。

 熱田教会の信徒会長は、私が金光教東京学生寮寮生時代の二つ後輩で、年2回ほど上京したときに当時の卒寮生が集まって一杯飲む仲。教会長夫妻は、ご本部当時本部教庁の前にある光公舎で隣同士。お互い新婚で、うちの長男と先生の長女が出産予定日が一緒で、誕生日が一日違い。当時は何とまだ五右衛門風呂。最初の頃は薪をくべて風呂を焚いていた。

 もちろんドラゴンズファンで、当時ご霊地にいた中日ファンを集めて応援楽団をくみ、何と岡山球場内野席の中日ベンチ真上でトランペット等を吹いて応援した。おそらくプロ野球史上内野席の鳴り物は最初で最後ではなかろうか。監督は星野。4番はゲーリーだったと思う。

 また、教会長のご長男と青年信徒K君の2人は、気仙沼で一緒にボランティア活動をした仲。さらにご信徒のOさんは金光教話し方研究会の講師で、7月の講師養成集中講座で教わった。非常にご縁の深いお教会に私のようなものを講師としてお招き賜り、深く感謝申し上げたい。

 講題は「信心の継承」で、①寮生たちに日頃からみ教えをどう伝えているか、②寮祭等イベント時における寮生との接し方、③気仙沼ボランティア活動での寮生との接し方、の3点について話してほしいとのこと。

 私、このお願い状を読み頭がくらっとなった。うーん、これを一つひとつ話せば到底1時間では無理。話をつづめると大事なことが伝わらないかも。一つに絞ろうか、しかし、何とかご期待に応えねばとして悩みながら寮内をうろうろしていたときに、たまたま寮生3人と出会った。

 思わず「今度、熱田教会に講師を頼まれて、こうこうの内容で悩んでいるだけど」と話すと、「いつも話していることで大丈夫ですよ。しっかり継承できてます」とお世辞にも言ってもらったのでだいぶ楽になり、3つのポイントを全て話して何とか1時間でと考えた。(つづく)

宗教教団の義援金

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 9月13日付『産経新聞』に「宗教界だからできること」という気になる記事が出ていた。義援金についてである。

 「(前略)新宗教を含めた多くの教団が、『1億円寄付』『5億円を拠出』といった広報文を積極的に何通も出している。実際、多くの教団のホームページや広報誌には、自治体などに義援金を渡す場面の写真が多く掲載されている。
 常日頃、『布施は金額の多寡ではなく気持ちの問題。慈悲の心を表すもの』と言っているのに、義援金に関しては堂々と規模を明示し誇示しているところが、どこかしっくりこない。(中略)心の救済や生きる道を説くのが宗教であるとするならば、世間に訴えることは他にあるはず。(中略)社会に根強くある宗教不信。義援金ばかりに力を入れているようでは、不信は募るばかりだろう」。

 本教も積極的には広報していないがどこかで見たような。一般の方から見れば、いい気分はしないだろうと常々思っていたら、やはりこうした記事が出た。教内の信奉者にとってはいいことかもしれないし、被災者の方々に知ってほしいという気持ちはわかるが、一般の方には売名行為でしか見えないだろう。

 先日『東京新聞』の投書欄でも公益法人の税の優遇制度をかなり批判していた。宗教教団は、当然ながらその公益性と財の公明性などを明確に提示する必要があると思う。効率主義や経済至上主義を批判しながら、その近代にどっぷり浸かっていては救済どころか社会にとって害悪になりかねない。

東京学生寮9月月例祭・食事会

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 11日日曜日午後7時から東京学生寮月例祭を仕えさせていただき、その後食事会を開催し、後半は「気仙沼ボランティア報告会」をもった。今月は私が祭主と教話の御用、東日本大震災とこのたび台風12号による被災からの一刻も早い復旧と復興を神様にお祈り申し上げた。

 

 教話は大要次のようなお話をさせていただいた。

 

▼このような形で私の実家である那智勝浦町が全国区となるとは。見知った町並みの一番ひどいところはまさに気仙沼で見た光景と同じ。これまで阪神大震災、中越地震、東日本大震災とボランティアを経験してきて、これまでの「信じられない、言葉もない」という気持ちだけでは到底言い表せないものを感じた。

 

 たった数十年の間に大地震、火山の爆発、水害等が発生し、海外も含めるとほぼ毎年のように多くの方たちが犠牲になっている。これはもう「信じられない事」でなくて「当たり前にある事」なのではないか。そう考えるとこうして日常何事もなく当たり前に生きていることが逆に「当たり前ではない」ことを、このたびの台風被害で痛切に感じた。

 

 さて、こうした自然災害によって「なぜ、神様は多くの人たちの命を奪うのか。神様は何をお考えなのか」について、むろんこれは容易に答えることができる問いではない。その問いに日々答えようと努力している中で、私として今としての受け止め方は、天地自然は人間にとっては「恵み」であると同時に命を奪う「厳しい」存在でもあるということ。

 

 だからこそ、神様はその中で「人と人とが助け合って生きてほしい」と願っていること。神様はいつも人間に寄り添い、人間が難儀をして悲しみ、苦しんでいる姿を見て、一緒に悲しんでくれていること。にもかかわらず人間は、豊かになればなるほど傲慢となり、何でも自分の力でできると過信し、自ら難儀を生みだし苦しんでいる。人間のそうした姿に神様は嘆かれているのではないかと思う。

 

 神様の存在を忘れている近・現代教育を受けている私たちとして、「人を助ける」ということの中にも人間主義が潜んでいる。例えばリベラリズムに代表する考え方として「自立した個人が、しかる後に困った人、弱者の人を助ける」といったイメージがある。

 

 私は真の自立とは、人と人とが助け合って初めて人として自立できる、もっといえば、神様のおかげ、天地自然の働きを受けて、初めて人として成り立ち、そして助け合ってこそ初めて人間としての真の自立ができるのだ。

 

 その順序を間違え、大前提をないがしろにするところから人間が自ら首をしめて難儀をしているのではないか。そこを克服していくためにはいつも言っている「お陰さま、お互いさまで、お先にどうぞ」の考え方が大切だと思う。▲

 

 

 その後の食事会は、寮生のSさんと女房の二人が担当した。「海鮮ピザご飯」なるものに初めて挑戦し、好評を得たようだ。

 

 今回は気仙沼ボランティアを経験した芝教会の青年信徒やバザー当日であった大崎教会から、ちょうど帰郷中だった金光教ボランティア機構現地代表のT氏やご信徒の方が焼きそばや炊き込みご飯をもって来てくださり、大盛況のうちに交流を深めた。感謝。

 

 後半は、もう何回目になるか、「気仙沼ボランティア報告会」を開催し、まずは1月以上気仙沼入りにしていた寮生K君から映像を流しながらの報告があり、次に何と今月の参拝者7割強の寮生等が気仙沼ボランティアを経験しており、それぞれお一人おひとりに体験談を発表していただいた。

 

 日に日に逞しくなる寮生たちを見て本当にたのもしく、こうした活動を用意してくださった関係各位に深く感謝申し上げたい。

台風12号 (4)

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 南牟婁教会からも無事のメールがあり、十津川教会からも勝浦教会に電話があったそうです。そこで、やはりあのテレビに映っていたのは十津川の先生だったとのこと。後ろ姿がそっくりでしたから、やはりそうでした。

 このようなことで、那智勝浦町もその名を轟かせ、全国区になりましたが何とも複雑です。多くの皆さま、中・高校時代の同級生、東京寮OB、金光教学院の同期やご本部時代の先生方、東京で知り合った信奉者の皆さま、また、このブログに訪れていただいている皆さまに、お心のこもったお見舞いの電話やメールを賜り、深く感謝申し上げます。ご心配をおかけしました。どうぞ、今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

台風12号 (3)

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 先ほど、北山教会の大橋先生から「今日、ケーブルテレビとかネットが回復」したとメールが届きました。テレビが見られるようになり、「ニュースを見てこちらの方がびっくりしています」とのことでした。本当によかったです。

 北山教会のある下北山村は、「周りの市町村に申し訳ないくらい、大きな被害」がなかったそうです。また、「十津川教会は依然電話もつながりませんが、緊急電話(衛星を使っての電話)が配備され、皆さん無事のようでした」とのことです。

 今朝のTBSの「朝ズバ」で衛星電話を配備した消防屯所が映ってました。電話をかけていた人の後ろ姿がテレビに映ってましたが、十津川の先生に似ていたような気がしました。ともあれ、十津川教会も無事とのことで安心しました。

 また、三重県の南牟婁教会にも何度も電話をかけjましたがつながりませんでした。しかし、練馬教会の田中先生がメールがつながったとのことで「雨漏り程度の被害」だったそうです。どこかのニュースでも映ってましたが、近くの神社は床上浸水で、大橋先生によると「教会近くの低いところでは床上浸水」もあったようです。
 
 ただ、まだまだ孤立した方が大勢いるとの報道で、これ以上犠牲者が出ないよう一刻も早い復旧を祈ってます。

台風12号  (2)-1

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 先ほど勝浦教会から、「金光教大阪災害救援隊の竹内先生(大阪・鶴橋教会)、菱田先生(東京・下谷)が救援物資を届けに来て頂いた」と電話があった。まだ断水中とのことで、「お水や食料は非常にありがたい」と感謝していた。

 迅速な動きに誠にありがたく、深く感謝申し上げたい。一つひとつの教会をまわっておられるとのこと、道中、滞在中の無事安全、交通安全をお祈り申し上げます。

 

台風12号  (2)

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 現在入っている情報では、金光教和歌山県紀南連合会の教会は、新宮市の新宮教会、南紀教会、串本町の串本教会、那智勝浦町の下里教会は無事、新宮市の熊野教会はお広前が床上浸水とのこと。

 また同連合会に所属する奈良県の十津川教会と北山教会は連絡がとれず、恐らく孤立している模様。道路が奈良県側も和歌山県側からも三重県側からも寸断されているようで、電気、水道も恐らく止まっており、自衛隊がとりあえずの水と食料をヘリコプターで運んでいるとはいう。しかし、何千人単位の方々が住んでいるところもあり、心配である。

 孤立した皆さまの無事をただただ祈っている。相当の不自由を蒙っていると思われるが、何とか辛抱していただき、一刻も早い復旧を図ってもらいたい。

  

台風12号

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 昨日、夕方無事気仙沼から帰ってきて、そして夕方のニュースを見てびっくり。台風12号の被害がこれほどとは。それも地元那智勝浦町や新宮市。気仙沼では地元の町会長さんから早く勝浦へ帰ったほうがいいとお気遣いいただいたが、その時はまだこれほどまでの被害は出てなかった。

 何せ気仙沼ではテレビや新聞をほとんど見ず、総理大臣の交代を知ったのも数日後、台風12号がどこをどう通ったかもあまり知らなかった。昨日夕刻は「東京・勝浦間」はおかけで電話が通じた。勝浦教会はお結界の裏の部屋と裏へ向かう廊下部分が雨漏りがひどく、屋根か盛り上がっているとのこと。

 被害の大きかった那智川の河口は歩いて10分程度のところにあり、地元間の電話は普通とのことで信徒の方が心配である。また、那智勝浦町全域が断水中とのことで、長引くと特にお年寄りは大変。

 新宮方面も電話が通じず、メールを知っている南紀教会は何とか大丈夫とのことであるが、ほかはまだわからない。何とか早く普通の生活に戻れるよう、またこれ以上被害が出ないよう祈るばかりである。とりあえず、一報まで。

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