東京学生寮9月月例祭・食事会

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 11日日曜日午後7時から東京学生寮月例祭を仕えさせていただき、その後食事会を開催し、後半は「気仙沼ボランティア報告会」をもった。今月は私が祭主と教話の御用、東日本大震災とこのたび台風12号による被災からの一刻も早い復旧と復興を神様にお祈り申し上げた。

 

 教話は大要次のようなお話をさせていただいた。

 

▼このような形で私の実家である那智勝浦町が全国区となるとは。見知った町並みの一番ひどいところはまさに気仙沼で見た光景と同じ。これまで阪神大震災、中越地震、東日本大震災とボランティアを経験してきて、これまでの「信じられない、言葉もない」という気持ちだけでは到底言い表せないものを感じた。

 

 たった数十年の間に大地震、火山の爆発、水害等が発生し、海外も含めるとほぼ毎年のように多くの方たちが犠牲になっている。これはもう「信じられない事」でなくて「当たり前にある事」なのではないか。そう考えるとこうして日常何事もなく当たり前に生きていることが逆に「当たり前ではない」ことを、このたびの台風被害で痛切に感じた。

 

 さて、こうした自然災害によって「なぜ、神様は多くの人たちの命を奪うのか。神様は何をお考えなのか」について、むろんこれは容易に答えることができる問いではない。その問いに日々答えようと努力している中で、私として今としての受け止め方は、天地自然は人間にとっては「恵み」であると同時に命を奪う「厳しい」存在でもあるということ。

 

 だからこそ、神様はその中で「人と人とが助け合って生きてほしい」と願っていること。神様はいつも人間に寄り添い、人間が難儀をして悲しみ、苦しんでいる姿を見て、一緒に悲しんでくれていること。にもかかわらず人間は、豊かになればなるほど傲慢となり、何でも自分の力でできると過信し、自ら難儀を生みだし苦しんでいる。人間のそうした姿に神様は嘆かれているのではないかと思う。

 

 神様の存在を忘れている近・現代教育を受けている私たちとして、「人を助ける」ということの中にも人間主義が潜んでいる。例えばリベラリズムに代表する考え方として「自立した個人が、しかる後に困った人、弱者の人を助ける」といったイメージがある。

 

 私は真の自立とは、人と人とが助け合って初めて人として自立できる、もっといえば、神様のおかげ、天地自然の働きを受けて、初めて人として成り立ち、そして助け合ってこそ初めて人間としての真の自立ができるのだ。

 

 その順序を間違え、大前提をないがしろにするところから人間が自ら首をしめて難儀をしているのではないか。そこを克服していくためにはいつも言っている「お陰さま、お互いさまで、お先にどうぞ」の考え方が大切だと思う。▲

 

 

 その後の食事会は、寮生のSさんと女房の二人が担当した。「海鮮ピザご飯」なるものに初めて挑戦し、好評を得たようだ。

 

 今回は気仙沼ボランティアを経験した芝教会の青年信徒やバザー当日であった大崎教会から、ちょうど帰郷中だった金光教ボランティア機構現地代表のT氏やご信徒の方が焼きそばや炊き込みご飯をもって来てくださり、大盛況のうちに交流を深めた。感謝。

 

 後半は、もう何回目になるか、「気仙沼ボランティア報告会」を開催し、まずは1月以上気仙沼入りにしていた寮生K君から映像を流しながらの報告があり、次に何と今月の参拝者7割強の寮生等が気仙沼ボランティアを経験しており、それぞれお一人おひとりに体験談を発表していただいた。

 

 日に日に逞しくなる寮生たちを見て本当にたのもしく、こうした活動を用意してくださった関係各位に深く感謝申し上げたい。

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このページは、つっさんが2011年9月13日 15:02に書いたブログ記事です。

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