人間は「万物の霊長」と呼ばれ、地球上の生物の中で最も能力があり、高等動物であり、進化の最終段階であり、最も優れている存在とイメージしている。人間が勝手に言っているだけのことではあるが。
26日付『東京新聞』朝刊3面(「時代を読む」欄)に、哲学者内山節氏の「生物多様性を否定する人間」という久しぶりにおもしろい記事が出ていた。「人間はきわめて弱い動物として、地球上に誕生したのではないか」と。
「考えてみれば走力は動物の中でも下位の方だし、木に登る力も猿にははるかに及ばない。もちろん空も飛べないし、泳ぎながら魚を捕るほどの能力もあるわけでもない」という。なるほどと思う。ウイルスにもバクテリアにも弱いし、牛のような消化力もない」。
では、どうやって生き延びてきたかというと「それは多様な関係を作り出すことによってであった」という。そして「人間同士で助け合ったり、共同作業をして安定的な生存を手に入れる」ことができたとする。
ここに「人間の本質」があるとすると、現在は「人間の本質的な危機の時代」と指摘している。まさに生物多様性とは、天地のあらゆるものの関係性の修復であろう。「生物は決して孤立しては生きていない。それぞれが生存のために必要な関係を作りながら存在している」。まさに金光大神様の教える天地の道理そのものだと思う。
「人が人を助けるのが人間である。(中略)人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか」とすでに1世紀前に教えられている。万物の霊長とは、決して高等とか優れているということではない。生物多様性を保全する責任ある存在という意味ではないかと思う。人間の危機は地球全体の危機でもある。
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