第37回沖縄遺骨収集に参加 4

| コメント(0)

 午後からは、平地部分をさらに東に向かって進んだ。平地部分にも大岩や小さな壕が点在している。その一つ一つを丁寧に探しながら進む。しかし、その日は残念ながらご遺骨の発見には至らなかった。まだ体が馴れておらず、節々が痛くなり、動きが緩慢になる。

 機動班によると、明日も同じこの場所とのこと。夕刻4時が迫ったので全員に集合をかけ、第1日は撤収することにした。学院同期の甘木教会の安武光先生が所属する3班は、1班の場所からさらに東の方向での作業。多くの骨片が出たとのことであった。

 第1日夜は関口さんらもお疲れのとことと思い、夕食はエッカホテルでとり、第2日に備えて早めに休んだ。天気予報ではなんと最高気温が24度まであがるとのこと。いよいよ沖縄らしくなり、暑くなりそうだ。

 第2日も快晴。海が一層青い。今日は同じ場所に地元元気な沖縄隊の4班と、ベテランのアメリカ人二人が合流、気合いが入る。わが班が昨日も入ったことから1班の班長である私がなんと指示を出す。まずは全員で御祈念を頂いて、昨日と同じ道を降りた。

 今日は昨日とは逆に、摩文仁に向かって西へと進む。進むやすぐのところに大きな壕や大岩、大石が現れ、みんな必死で捜索する。私はちょうど途中の平地からさらに海岸線へと崖になっている上際を進むが、危なくてなかなかまともに前に進めない。

 そこに黒アゲハチョウが現れた。これまで何度も書いてきたが、沖縄では御霊が黒アゲハチョウに宿って戻ってくるという。私も経験したが、沖縄遺骨収集では何度もこの黒アゲハチョウの進む方向にご遺骨が発見されてきた。

 私はその黒アゲハチョウの向かったところに進もうとするが、とても上からは行けそうにない。何とか途中までは頑張ってみたがこれ以上はどうするか迷った。班の本隊とは結構離れたようだ。内心ご無礼を詫び、人が歩いてできた人道に一端は戻った。

 そこに東京から一緒の嶋田先生が戻ってきた。私が「そっちの方向に黒アゲハチョウが飛んでいったから必ずあるはず」と言ったが、昼も近いので一端は戻るとのことで、私は先がどうなっているか見るために少し進むことにした。

 すると黒アゲハチョウが現れた方向から1班の機動班の橋本さんがやってきて、ご遺骨発見とのこと。4班の機動班の方が探し当て、結構出ているので応援を頼むとのこと。私は笛を吹きながらみんなに合図しながら、またしても黒アゲハチョウのお導きと畏れ入った。

 嶋田先生を呼び戻すとなんと人が通ってできた道のところから出てきているとのとこ。さっき嶋田先生は、そこを足場にして小さい穴のところを掘っていたとのことで全然気がつかなかったと。ここは4班の班長も事前調査で何度も通っていた場所で、「まさかあるとは思わなかった」と。嶋田先生がわからなかったのは無理もない。多くの人が踏み歩いていたところだ。 

 12時も迫ったのでまずは、拠点とした荷物を置いている場所まで戻って1班、2班みんなで昼食をとった。見晴らしが悪く弁当を食べる場所としては最悪だが、ご遺骨発見の報に活気づいた。

 午後からは早速に女性陣達がしゃがみ込んでの丁寧に石や土を取り除いていく。そして次々と大腿骨、骨盤、肋骨、頭骨の一部などを彫り上げていく。あごや歯も出てきた。これは確実に一人の人だと思う。爪切りや小刀も出てきた。大腿骨の大きさから私は女性ではないかと想像した。(つづく)

コメントする

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.27-ja

2017年2月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

このブログ記事について

このページは、つっさんが2010年2月28日 18:42に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「第37回沖縄遺骨収集に参加 2」です。

次のブログ記事は「第37回沖縄遺骨収集に参加 終」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: