反戦講演会 2

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 反戦講演会、トップは鶴見俊輔氏。新聞紙上でしか知らなかったが、聞きしにまさる人だった。何度も耄碌したと言いながら淡々と話し始め、実は自身で『耄碌帳』という本を出しているように、老獪と言っていい話しぶり。さすがに歴戦の勇士である。

 鶴見氏は、「べ平連」を立ち上げた中心的な人物。そしてその反戦運動中大失態を犯したという。それは、ベトナム戦争脱走兵を援助活動中、ある脱走兵がスパイであったことだった。しかし、「べ平連」はそのことをとがめず追放することはなかった。運動史としては珍しい組織的運動であったという。

 また、氏が深くかかわった日本人脱走兵の援助は、近代史として今後につながる運動のあり方を示したという。それは、たまたまアメリカが好きでわたっていた日本人が、生活費や大学へ入れるとの軽い気持ちで徴兵に応じたもの。休暇で日本に帰ってきたとき、両親が強く反対した。親思いの本人はそれを受け入れた例とのことである。

 最後に氏は、間違いなく悪くなる日本において、いよいよの時は体を張って抵抗し、日本の刑務所に入ることが夢という。実は、アメリカ留学中、アメリカの刑務所に入ったことがあり、「日米刑務所の比較研究という新たな学問分野を開いてから死にたい」と、冗談とも本気とも思える決意を述べて終わった。(つづく)

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このページは、つっさんが2005年4月12日 12:33に書いたブログ記事です。

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