例えば、「もったいない」を広辞苑で引くと、「①神仏・貴人などに対して不都合である。②過分のことで恐れ多い。かたじけない。③そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」とある。現代人は③の意味しか理解しておらず、その根源にある①、②の意味を忘れてしまっている。
金光教教典抄の『天地は語る』は、全ての営みが神様が支えられているという「天地の道理」が書かれてあり、まさに天地の声、天地が語られている。文字面を読むだけでなくて、底に流れている神様の御心、神様の気持ちを感じ取らなければならない。
もう一つ例を挙げるなら、人間の心を現す言葉として「心」、「魂」、「霊」という三つの言葉がある。漢字が違うということはそれぞれ違う意味があるのではと考えてみる。そこで、私は「心」とは、自分でコントロールできる範囲のもので、自分で意識できるものである。「魂」は、その心の奥底にある無意識的なもの。
そして、さらにその奥底に、心を支えているものとして、分け御霊(みたま)といわれる「霊」があるのではないか。「心」は自分で意識してコントロールでき、「魂」までは何とか自分の心の努力で磨ける。しかし、人間の努力だけではどうしようもないこともあることが事実であり、そこは神様にお縋りするしかない。
人間にはどうしても自身の努力と神様のお力の両方が必要だ。そこで神様に願い、お縋りすることで分け御霊が発動し、わが心が神様の気持ちを感じ取り、そして感応し、わが心の全体が「和賀心」となって幸せになれるのではないかと。神様の気持ちがわかれば、人の気持ちも理解できる。あらゆる事柄の根源に神様を頂くことがここにあるのではと考え、そうしたことを寮生たちに伝えている。(つづく)
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