「終戦60年」との表現

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 昨年8月、来年度計画案をたてる東京センターの所内会議で、2005年の「終戦60年」をさてそのままその表現でいくか、「敗戦60年」や「戦後60年」という呼び方の方がふさわしいのではないかで大議論があった。

 「終戦」という呼び方は、確か以前にも指摘したとおり、戦争に負けたという事実をぼやかし、天皇が決断して戦争を終わらせたというイメージを持たせるために、日本独特の言い回しにより、それを通称としたいきさつがある。

 「戦後」という表現は、世界では未だ戦争中であり、アジアや日本では未だに戦争後遺症は残り、また毒ガス兵器や軍施設後での有毒物被害が未だに続き、戦争は一度起こしたら50年や60年では終わらないと事実からふさわしくない。

 私は「敗戦」を主張したが、先の戦争は残念ながら負けたけれども、今度は負けないというイメージでとられるという強硬な反対意見が出され、その会議では結論がでなかった。

 そこで新聞、雑誌、インターネットで調べた結果、保守系メディアは終戦、それ以外は、敗戦や戦後という表現であったと思う。

 参考にならないので悶々としていたときに、その後、ある時サッカーをみていてそのアナウンサーがいったかどうか、第2次大戦後60年という表現が閃いた。略して「大戦後60年」だ。この表現でいくと問題はすべてクリアになる。

 そこで私が担当のものは大戦後60年と表現していたら、なんと7日付朝日新聞夕刊2面「経済気象台・企業の社会的責任」というコラム冒頭に「大戦後60年」と書いてあった。この記者も私と同じように悩んだのかどうか、今後朝日新聞がそのような表見でいくのかどうか注視したい。

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このページは、つっさんが2005年2月 8日 14:41に書いたブログ記事です。

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