気仙沼ボランティア報告② (6/10~6/19) 9

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  15日は、南三陸町、野蒜、松島と被災地を見て回ったことについて、間違って先に書いた。16日は、山口県のSさん、兵庫県のAさん、金光町の女性のMさんと私の4人でボランティアセンターに行った。

 私は気仙沼でのボラセンは初めて。朝8時30分嶋田先生運転のS車でボラセンへ。初めて参加の受付で氏名等を申告。ガムテープ名札とゼッケン、飲料水を頂いた。だいたい70人くらい集まっていた。

P6161217.jpg 9時から朝礼でスタッフから注意事項を聞き、引き続き割り振りが始まる。スタッフから「屈強若者10人前へ」と声がかかると手を挙げて前に出る人があっという間に10人。続いて5人で瓦礫と土砂運びとのこと。もう2ヶ月活動しているSさんはベテランですぐに1人連れてこられ、私たちもすぐに決まった。

 資材テントでスコップ、一輪車などを調達、救護班から薬が入っているダンボールをもらい、そして配車係の車で現場まで送迎をして頂いた。かつて新潟中越地震の時にも小地谷市ボランティアセンターで活動したことがあるが、その時よりもはるかに組織化されている。

P6161218.jpg まず、ボラセンのスタッフが、振り分け班、資材班、救護班、配車送迎班に分かれている。新潟時は、配車車はなく、資材もすべては揃ってなかったし、救護班はなかった。さらに救護班はすべての活動場所に午前、午後と巡回してくれていた。だいぶ進んでいると思った。

P6161223.jpg 現場は気仙沼市南郷の民家。室内の泥かきはすでに済んでいたが、そのお宅の裏庭の元からあった土砂に津波で流された瓦礫が混ざり混んでおり、それをスコップで土嚢袋に詰め、一輪車で表に運び出す作業であった。

  P6161210.jpg 私たちに合流してくれた方は地元のOさんで、この方のお家の一階も津波でやられたそうですが、こうやってボランティアに参加されていて頭が下がりました。何と76歳とのことですが、私よりよほど戦力になっていた。

P6161209.jpg 私にとっては作業はきついものであった。天然の干物状になった魚が出てきたり、時には臭いも大変でした。1時間程して東京からの屈強若者が二人応援にきてくれ、助かった。もう3か月近く現場で作業しているSさん、Aさん、女性のMさんの動きも素晴らしいものであった。

 何と、隣がジャス喫茶で、外まで音楽がなっており、私の好きなロックンロールを流してくれたおかげで、最初は到底一日では無理と思っていた作業が無事に作業は終了した。集めた土嚢も山のようになった。(つづく)

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このページは、つっさんが2011年7月10日 18:38に書いたブログ記事です。

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