寮生研修旅行・ご本部生神金光大神参拝 3

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 午後1時半から、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の会議室において、神田照家先生のお話を承った。先生は、「原爆で犠牲になった14万人の人々は、言いたいことも何も言えずに亡くなってしまった。この方たちは,何か言いたかったのではないか。声なき御霊様たちは今でも私たちに言い残したいことがあるのではないか。その声を少しでも聞かせて頂くために、私が卒業した旧制廣島高等学校生の被爆体験記を中心にした追悼記の編集を手がけ、1995(平成7)年被爆50年に『廣高とヒロシマ』を刊行し、これまで続編を4冊発行した」。

 写真はそのうちの、『ヒロシマと廣高』-被爆52年・回顧と追悼-(平成9年)と『廣高と原爆』-被爆55年・回想と追悼-(平成12年)の2冊。神田照家先生が編集委員代表としてそれぞれ編集後記を執筆されている。この貴重な2冊を東京学生寮に寄贈して下さった。

  IMG_0533.JPG 「体験記と言っても,本当に悲惨な体験をされた方は、なぜ自分が生き残ったのかという負い目を感じており、思い出したくもない、話したくもない体験であり、精神的にも傷を負っている。ゆえになかなか『ヒロシマの心』というのは伝わりにくい。しかし、このままではこの歴史的事実や無念の気持ちで亡くなられたであろう犠牲者の方たちの存在さえも忘れ去られてしまうではないかと、大戦後50年の月日を経て、ようやく書ける気になったばかりの方たちの協力を得て刊行できたものである。

 皆さまのような若者がこうして関心を持って下さるのは大変ありがたいことで、こうして難儀の現場に身を置き、そして実感して頂き、実感とはそこに魂を込めることであり、二度と原爆を作ってはならない、二度と戦争を起こしてはいけないという『ヒロシマの心』を心として皆さまの周りの若い人たちにも伝えていってもらいたい」。

PA091657 (640x480).jpg PA091658 (640x480).jpg 神田先生は80歳を越えられているが、非常に力強くお話賜り、寮生一同もその迫力に自分たちの使命や責任を自覚したようであった。寮生たちはまさに東日本大震災の難儀の現場に身を置いて帰ってきたばかりであったので、地震と戦争との違いはあるが、その犠牲者たちの声なき声を聞かせて頂く大切さは同じものであり、ちょうどいい時期を得、万事のお繰り合わせの中で、十分に腹入れできたと思う。

  最後に今日お話して頂く予定だったHさんがある広島市内の小学校でお話になったテープを賜り、11月6日の寮月例祭後にみんなで聞かせて頂いた。 (つづく)

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このページは、つっさんが2011年12月 1日 18:26に書いたブログ記事です。

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