沖縄遺骨収集事前学習会

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 第39回沖縄遺骨収集に寮からの参加者が8人、神奈川教会のご長男、次男の2人、何回か御一緒した春日部教会小笠原先生夫婦と私たち関係者は12人。ありがたいことである。寮からは毎年初参加者がいるので、事前に学習会をして臨んでいる。

 前年の事前学習会では、1953(昭和28)年制作、今井正監督のDVD『ひめゆりの塔』を鑑賞した。DVD化されてはいるがさすがに音声が聞き取りにくかった。ただ、なぜか1995(平成7)年の神山征二郎監督のはDVD化されてないため、やむなく古い方を見たが、今回は中古のVHSを購入して鑑賞した。ひめゆりの塔は全部で4作制作されているらしく、それぞれ視点も違うと思われるのでいつかは全部見てみたい。

 沖縄遺骨収集参加の意義はもう何度も書いてきているところだが、事前学習会の意義は、参加の意義を強固にすることはもちろん、教科書程度の知識で参加するのと、しっかりと歴史の事実を踏まえ、勉強した上での参加とではその体験度が全く違うというのが1つ。

 2つ目は、戦争とは、「殺し、殺され、焼き、焼かれること。痛くて、臭くて、心細くて、腹が減り、辛くて、苦しくて、悲しいもの」という本当の戦争を知るということ。

 そして3つ目は、戦争の功の部分をも見るというと語弊があるが、戦争に学ぶことも必要だと思うからだ。でないと、単に「戦争はいやだ」、「戦争反対」だけでは、またぞろ戦争に向かうからである。古今東西全ての戦争は「平和のために」なのだ。 
 
 戦争で犠牲になった方たちは、まさに身を賭して、国家のために家族のために死んでいった。その自分をさしおいても人を助けようとした精神は尊い。そして幸いにして崖っぷちから生還した人たちは、死の世界を覗き見たことによって生の重み、生の尊さを知ったと思う。

 もちろん、戦争を美化しているのではない。生の重さ、人を思う大切さ、今の普通の生活の大切さを知るためにも戦争を直視し、1人ひとりが人ごとではなくて、自分のこととして責任を持ち、その持ち場立場で「世界人類に貢献する」リーダーになってもらいたく、現在の生活、今の世界、社会を考えてほしいからだ。

 その上で関連して問題提起。どうも、この国の無責任体質は戦前、戦後と全く変わらない。例えば戦争を指導したリーダーたちが免罪になる風潮がどうしても理解できない。それでは300万人も犠牲者を出して「負けた責任」はないのかと。私は万死に値すると思う。

 しかし、「負けた責任」というとそれでは「勝てばいいのか」という議論になる。もちろん勝てばいいというものではないが、そういった「戦争絶対悪」の陥穽というか、「戦争が悪かった、戦争は人を狂気にさせる」といって、個人の責任が問われず、免罪になってしまう。

 ゆえに、あえて負けた責任を問いたい。もちろん戦争は絶対にしてはいけない。しかし、絶対悪というとそこに落とし穴ができる。つまりは「平和のために戦争」という論理に隙を与えてしまうのだ。そうならないためにも「戦争」をあらゆる視点から考える必要があると思う。

 これは現在の「原発問題」や「沖縄基地問題」など全てに通ずる。善悪の判断や価値判断だけでは前に進まない。改憲、護憲もそう。物事の本質を見極め、少しでもよりよい方向へと歩んでいくための努力が必要だ。

 話が長くなってしまったが、2月18日、19日の第39回沖縄遺骨収集も是非万事にご都合、お繰り合わせを頂き、それぞれにケガ、過ちなく、多くの体験を踏んで来てもらいたいと願っている。

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このページは、つっさんが2012年2月12日 18:04に書いたブログ記事です。

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