東京学生寮10月月例祭・食事会

東京学生寮10月の月例祭が辻井寮監祭主のもとに仕えられ、引き続いて寮監から教話(後掲)、その後食事会を開催した。今回は日本人女子学生3人。急に寒くなってきたので超久しぶりに鍋。あと大根のサラダとひじきの煮物が出された。

教話
今回平和についての話をするについて、その前にオスプレイ、横田基地について尋ねてみた。オスプレイを知っている寮生は全員、横田基地については半分強、そのオスプレイが横田基地に配備されたことを知っているの寮生はゼロ。当然小金井上空も飛ぶ可能性があることも全く知らなかった。

現政権が憲法改正を目指し、この国の形を変えようとしているが、学生年代の平和に関する関心度はかなり低いと言わざるを得ない。そこで引き続いて大要次のようにお話しさせて頂いた。

明治元(1868)年9月24日
「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟染めて立て、日々祈念いたし」

今年はこのご神願が開示されて150年。改めてこのご神願の意義を頂く年であり、また大きく日本の国の形が変更されようとしている今こそ頂き直す必要がある。

このご神願の意味は、天下太平とは、世界の平和、諸国成就祈念は、世界のすべての国々の人々が穏やかに、豊かに生きることができるよう祈念すること。総氏子身上安全は、この「総」、つまり特定の集団や個人の安全だけでなくて、国家、民族、人種、思想信条を越えた、また中国や韓国、北朝鮮の人々も自民党支持の人も共産党支持の人もすべての一人ひとりの身の上安全を願うということである。

この世界平和のご神願開示された150年前は、慶応4年と明治元年である西暦1868年であるがどういう時代であったか。ちょうどNHKで、大河ドラマ「せごどん」が放映されているが、薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 – 明治2年(1868年 – 1869年)が始まった年である。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。

明治元年にご神願が開示されたのは、これからの戦争はとんでもなく悲惨になっていくと予想されたからこそ、世界平和を願う幟が打ち立てられた。戦争の質がこれまでのものと全く変わってきたからである。

その1つの要素が戦争犠牲者の数である。1月3日、鳥羽・伏見の戦いは、旧幕府軍 約1万5千名、新政府軍 約5千名、その後の奥州戦争では、新政府軍は総員約2万名、旧幕府軍1万もいない。だいたい両軍併せて3万人で、犠牲者は約8千人である。徳川幕府が誕生するきっかけとなった「関ヶ原の合戦」は、東西それぞれ8万人で両軍併せて16万人中、犠牲者は戊辰戦争と同じく8千人である。時代、規模、戦闘期間の違いはあるが、兵器の進歩でかなりの犠牲者数が出ている。これからの戦争はとんでもないことになる、だからこその平和宣言であった。

ところが、残念ながら明治16年に教祖没後、 だいたい10年ごとに日本は戦争をしているが、犠牲者数は悲惨な数となっている。明治27年日清戦争(犠牲者数5万人)、明治37年日露戦争(15万人)、大正3年第1次世界大戦(850万人)、昭和6年満州事変から日中戦争、昭和16年に太平洋戦争( 日本人310万人 世界で1億近い)、教祖没後たった50年でとんでもない数の方々が犠牲になられた。

また、とんでもない額のお金を浪費した。日露戦争では莫大なお金をヨーロッパの大富豪から借金したが、いつ返済が完了したか。何と82年後の昭和61年である。この借金が原因でその後の日中戦争、太平洋戦争に突入せざるを得なかったという側面もある。

大勢の人々が無残な、むごい死に方で命を落とす。戦争がいままでのような戦争とは質が違う、だからこその明治元年の平和宣言であった。今日地球を何回も破滅してしまうほどの武器を持ってしまった世界人類は、もし第三次世界大戦が起これば人類破滅である。世界の未来を考えるならば、今どうすればよいか。その方向性を見失わないようにそれぞれ一人ひとり関心を持ってよく考え、神様に尋ねてもらって判断して頂きたい。

東京学生寮9月の月例祭・食事会と寮研修旅行

9月8日、寮月例祭が福田光一運営委員長代行をご祭主に仕えられた。教話では「大学当時バスケットのクラブ活動をしていたが、現在でも一年に一回は集まり、旧交を温めている。皆さんもここでの出会いが一生の思い出となり、ここでの経験が必ず皆さんの人生に生かされてくると思う。益々交流を深めてほしい」とお話しになった。食事会は当番2人によるタコライス。好みの食材をライスの上に乗せて頂いた。

 

 

10月7日(日)、8日(祝)は、寮研修旅行ご本部生神金光大神大祭参拝。ただ、ここのところ祝日も必ず大学の授業が入るようになり、結果的には寮生と留学生を代表して2人が参加。このたびは私の学院同期、尾道市向島の立花教会に宿泊のおかげを蒙り、8日は千光寺などを観光した。

 

 

 

東京学生寮8月の月例祭・食事会

8月4日、運営委員である練馬教会田中美和子先生ご祭主のもとに8月の寮月例祭が仕えられ、教話(後掲概要)を賜った。引き続いての食事会。今回も女子留学生の方達。エビやなすびの料理、ピラフやスープ等々、盛りだくさんの中華料理を一生懸命作っていただいた。今回もどれも美味。夏休み、残っている寮生大いに懇親を深めた。

教話概要
金光教の神様は、どんなことでも願いなさいとおっしゃる神様です。ただ私たち人間が一方的にお願いをするだけでおしまいではない。困ったことが起きれば願うのですが、一方通行ではないということです。人間が幸せに安心に暮らしてほしいと神様が私たちのことを願っていて下さるんです。神様の声は私たちに聞こえませんから、どう願って下さるのか分からないかもしれません。心を神様に向けて、人に話をするように、願いなさいと教えておられます。今日は学校でレポートの発表があります、うまくいきますようにとか、友達との仲うまくいかなけど、なぜでしょうとか。何か物事がうまくいかない時、困ったり悩んだりしていると、神様も共に悩んで、良い方へすすむように願っていて下さるんです。時に考え違いや思い違いをしている時には、神様は何らかの方法で気づかせて下さるんですね。人の口を通して教えて下さる事もあります。日頃から神様とのつながりを意識して生活をすることが大切なんですね。

長男が中学1年の1学期が終わる前の、個人面談の時のこと。期末テストの成績の事や、生活態度の事を聞かされるんです。真面目でおとなしい方なんです。廊下で順番待ちをしている時に、長男と話をしていて、テストの点数も悪くなかったし、特に問題ないよね、と言うと、「みんな怒られなかったって言ってたから、大丈夫だよ」話していました。担任の先生は二つ上の長女が入っていたバレー部の顧問の先生で、体育の女性の先生なんです。当時50代で体格もよく、とても口が悪いというか、思った事をはっきり言う先生なんですね。個人面談が始まって、よろしくお願いしますと言い終わらないうちに、いきなり「いつも先生の顔をチラチラと見て、様子をうかがって、何か言われるか心配しているだろ。もっと自信を持って大きい声を出せよ」と言われた。「いたずらしたり、悪いことをしたら、お母さんと先生が2人で校長先生の所へ行って、頭下げにいってあげるから、安心して叱られなさい。その代わり、警察に行くようなことは絶対にだめだからね」と言われました。

長男はあっけにとられてぽかんとしてたんです。私は笑って聞いてたんですが。大人しく、いい子でいるのでなくて、個性を引き出そうとして言われたんでしょう。自分のやりたいことを見つけて、間違っていてもそこで間違いに気づいて、反省する。そしてまた勇気を出して次にすすむようにと教えらたような気がします。その後に成績の話になり、中学へ入学して初めてのテストだし、ほぼ90点代だったと思います。きっと問題ないと言われるだろうと親ばか気分でした。9教科の点数の表を見せられ、「1学期始めのテストなのにこの点数ではだめだ。100点とって当たり前の問題だよ」と重ねて厳しく注意されて、真面目ですから顔がだんだんと引きつってきてました。これ位の点数なら大丈夫でしょうという私の自己満足もばっさりと切られて、妥協してはいけないということですね。親としての裏知恵ですが、高校受験のことも考えて、生活態度も重視されますから、普段から「悪いことしちゃいけないよ」と言ってたなと反省させられました。先生の立場としたら、ルールをきちんと守り、言うことを聞いてくれる生徒のほうが指導しやすいはずなんですけど、この担任の先生は一人ひとりの個性を出させてそれを発揮して欲しかったんでしょう。親子で身が引き締まるような経験をしました。

私たち人間は神様から一人ひとり違った願いをかけられていると思うんです。教祖様の5本の指の教えがあります。「5本の指がもしみな同じ長さで揃っていては、物をつかむことはできない。長いのや短いのがあるので物がつかめるので、お役に立てるのである」これはある子供の多い方が教祖様に「子供の性格が違うので困る」とお取り次なさった時に伝えられた教えです。教祖様は性格の違いや個性を大切にされ、人のお役に立つことの有り難さを教えて下さったんです。人はそれぞれ個性があって、お料理が上手な人、絵が上手な人、語学力がある人色んな人がいて世の中の人のために役に立つことができるんです。生まれながらに才能に恵まれた人も中にはいますが、挫折や努力をして成長していくものです。常に神様にお願いしながら、目標を追っていけば、必ず神様からの、この人にはこういう役にたって欲しい、こういうことで活躍してほしいという願いが分かってくると思います。様々な経験の中で、思い違いや間違いを通して「自分の事を知る」ことができるんですね。「自分が悪かったとお断りをしたら、神は叱って下さっても罰はおあてにならない。すぐに許して下さる。神は人間がかわいいとの思いでおられるのである」という心の広い神様に見守られていますから、色んなことに挑戦をして、自分が納得のいく道を探して、そのことが神様が願っておられる人のお役に立つことになるよう、目標を持って進んで頂きたいと思います。

 

東京学生寮7月月例祭・食事会

東京学生寮7月の月例祭を辻井寮監祭主のもとに仕えられ、教話を行った(ポイント 後掲)。続いての食事会。

今回は中国からの留学生女性4人。多くの種類の中華料理を作っていただいた。その中でも台湾風煮込みは凄かった。レバーはもちろん豚足や手羽元、極めつけはアヒルの血が入っていた。見た目はレバーそのもの。でも味は思ったほどくせはなく、美味でした。

最後に前寮監中山亀太郎先生のご子息から毎年送って頂いている茨城の西瓜をいただきました。感謝、感謝。(*^_^*)。

 

 

 

教話のポイント

「神様のものさし」で、はかる方法。
1 思い込み、固定観念を外す。そのために常識疑う。 2 視点をずらす。
3 複眼的に見る。上から下から逆から見る。

夏の全国高校野球大会
米大リーグの特別調査研究チーム、日本の高校野球を調査。
1回負ければ終わりのトーナメント方式は日本だけ。おかしいのではないか?。

高野連ある幹部、「負けに学ぶ」こと。
勝つことに意義があるのではなくて、負けに意義がある。全国約五千の高校が1回負ければ終わりの戦いをしてきている。勝つのは一校だけ。後はすべて負けを経験する。高校野球はこの「負けに学ぶ」ところに意義がある。

一言で言えば、「勝って驕るな、負けてくじけるな」である。実は負けたことが大事で、なぜ負けたか、そこにはいろんな理由がある。それぞれ1人ひとりがそのことを嚙み締めて、そこからまた一歩を踏み出していく。

人間、失ってはじめてその大切さに気がつく。まさに負けてみてはじめて、これまでの努力の意味がわかる。くじけたり、いじけたりしている場合ではない。

人生、順風満帆にくると自分の力を過信、得意になって足下をすくわれ、必ず失敗を引き起こす。そして失敗を恐れて何もできなくなる。

自分にとっての逆境、苦難、苦労は、必ず自分自身の試練となる神様のメッセージが込められている。いくら負けてもいい。何度、失敗してもいい。「失敗に失敗せず」、「成功に成功する」こと、最悪は失敗を恐れて何もしなくなる。

何か新しいことに挑戦する時、勇気がいる。苦しいこと、辛いこと、きついことも必ずある。だから楽な方へ行きがち。しかし人生、生きていき上でどうしてもやらなければならない時は必ずくる。

その時に「神様のものさし」を持って生きていく時の考え方として、以下のように考えてみる。

「苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しいのだ」
「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから困難なのだ」
「シュートなくしてゴールなし」、単純な言葉だが、含蓄がある。

失敗に失敗せず、成功に成功するには、
「成功しても幸せになれない。しかし幸せだと成功しやすい」と考えてみる。
もう一つ、「神様のものさし」ではかるコツとして、「だから」ではなくて、「だからこそ」という接続詞でつないでみる。

世界、社会の中で、平和や環境問題に取り組む。1人の力は非常に小さい。だからやめる、どうせ「社会なんか変わりっこない」ではなくて、「だからこそ」やるのだ。

「世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためにある」

香川ベルギー戦後のコメント。「2ヶ月前に監督が解任、交代。ましてや僕らみたいに年齢の上のものが集められた弱いチーム。今まで築いてきたものがゼロになってしまった。そのような状況でチームが1つなるのは非常に難しかった。が、しかし、『だからこそ』年齢の上のものも含めてチーム全員が1つになろうと本当に真剣に日々を送っていた」

マイナスの要因がある。「だから」ダメなんだと、諦める理由付け、言い訳をするのではなくて、「だからこそ」挑戦していく姿勢が大事。

最悪の言葉は、「どうせ無理」。これは、したことがない人がいう言葉。
ある提案に「うーん。それはちょっと無理。お金がない」。「だから」諦めるのではなくて、お金がないからこそ、できることがあるのではないかと考えて見ることが大事。

現代人特に若い世代は、ファジー、曖昧さに絶えられない。何でも白黒つけたがる。正しいか、間違いか。何でも100%でないと落ち着かない。近代の自由や自立の思想を間違えて受け取ってしまい、自分ですべてできる、しなければならないと思い込んでいる。この思い込みを外すためにも「神様のものさし」ではかる必要がある。

100%な人間はいない。金光教では神様も100%ではない。人が助からなければ神も助からない。

人間は足りないところがある。足らないからこそ、だからこそ足し合い、助け合う。ところが人は足りないから、だから足らないところを埋めよう、100%にしようとして責め合う。

以上、「神様のものさし」ではかっていくことを意識して考え、行動する。価値を固定したり、価値を比べたり、自分の思い込みで評価しない。
すべて起こってくること、否定的なこと、自分に都合が悪いこともひっくるめて、価値あるものとして受け入れていく姿勢が大切。

「当たり前のことが当たり前ではない」ことに気づき、問題が問題でなくなり、「当たり前のことにありがとうと言える」ようになってくる。

そして人間は自分で生きているのではなくて、神様に生かされて生きている。ゆえに自分の命は自分のためのものではなくて、互いに足らないところを足し合い、助け合い、自分の命はお互いの命のためにあるという天地の道理に気づいていく。そこに真の助かり、幸せがある。

東京学生寮6月月例祭・食事会

6月2日、東京学生寮集会室で、藤原務正先生ご祭主のもと、6月の月例祭が執り行われ、その後教話を賜り、引き続いて食事会を開催した。
教話の概要(辻井栄里主事まとめ)は後掲。食事当番は女性2人。カフェ風ドライカレー、夏野菜たっぷりカレー、ポークハヤシに、サラダバーと盛りだくさんでした(^_^)v。

 

教話

『世界中には沢山の宗教が存在しているが、その共通点は目に見えない霊的なものを信じることである。

「神様ってどこにいらっしゃるんですか?見せて下さい。」と言われても、
「はい、これが神様ですよ。」
と見せることはできない。

しかし、その見えないものを信じることが宗教である。

宗教にもいろんな宗教がある。

まず、裁く宗教。
教えを守っていたら、幸せになり天国へと導かれる。しかし、教えに背くと地獄に落ちる。と説いている宗教。

また、個別の願いは聞いてもらえない宗教や、
一つの願い事のみしか聞いてくれない神様。

例えば、湯島天神は受験や学業成就の神様であり、ここで恋愛のお願いをしても聞いてもらえないわけで、同じように、水天宮は安産祈願の神様で、やはり他のお願い事は聞いてもらえない。

金光教の神様=天地金乃神様は天地そのものが神様であり、人間は皆神の氏子(子ども)、神様は人間の親と捉えている。
人間(子ども)から神様の縁を切ることがあっても、神様(親)の方から縁を切ることはない。

また、どんな願いも聞いて(受け付けて)下さる神様である。

受験だろうが、仕事のこと、人間関係のこと、なんでも個別に聞いて下さる神様だ。

神様のことをこのように話を聞いて、頭で理解するのはとても大切なこと。

しかし、それ以上に大切なことが

神様を心でわかるようになること

では、心でわかるようになるにはどうすればよいか…

それは、祈ること

天地金乃神様は天地自然が神であるから、どこで祈ってもよいのだが、やはり目当てになるものがあった方がよろしい。

幸い皆さんはこの寮の、ここ集会室に立派な御神前があるので、ここで祈りの稽古をするのがいいでしょう。

しかし、それを見られるのが恥ずかしい場合は、自分の部屋に小さな天地書付を置き祈ってもよい。

形が整ってくると、心も整い、次第に神様が心でわかってくるようになる。

何事も習得するにはお稽古が必要なのと同じく、信心も日々のお稽古が大切です。』

東京学生寮5月の月例祭・食事会

5月12日、寮監祭主により、月例祭が執り行われ、その後教話、食事会を開催しました。教話は、このたび新しい寮生を迎えたところから、昨年10月、11月の月例祭・食事会の時に掲載している寮監の教話資料「金光大神の信心に基づく自立的自由人の道の道たる道」を配付して、まずその概要を説明しました。天地の道理を一言で言えば「当たり前のことが、当たり前ではないこと」、お道の信心を一言で言うと「当たり前のことに、ありがとうと言えるようになること」についてお話ししました。

食事会の前に、新寮長から「皆さん、母の日にお母さんに感謝しましょう」とのお言葉がありました。このたび日本人男性2人が食事当番、参鶏湯風スープ、生春巻き、豆腐のサラダを作って頂きました。次の日の一斉芝刈り・草取りで、食事会で残ったスープにうどんを入れて頂きました。

 

 

 

 

 

開寮記念祭・新入寮生歓迎会

4月14日、東京学生寮集会室において開寮記念祭・新入寮生歓迎会が開催されました。今年も班対抗「誰の答えでしょう?」ゲームで盛り上がり、交流を深めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京学生寮お花見大会・第1次新入寮生歓迎会

3月31日、何とか桜も間に合い、今年度のお花見大会・第1次新入寮生歓迎会を開催しました。

ただ、残念ながらこのソメイヨシノは、寮がこの小金井に移転してきて来年で60年、実はその前から植わっていたとの証言もあり、かなりの老木です。最後の写真にありますように、枝が突然折れて落ちてきたことがあり、専門家もここ数年で限界とのことです。来年が最後になるかどうかまだわかりませんが、毎年楽しみにしてくれている方数多あり、とりあえず現状報告までしておきます。

 

 

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