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東京学生寮7月月例祭・食事会

東京学生寮7月の月例祭を辻井寮監祭主のもとに仕えられ、教話を行った(ポイント 後掲)。続いての食事会。

今回は中国からの留学生女性4人。多くの種類の中華料理を作っていただいた。その中でも台湾風煮込みは凄かった。レバーはもちろん豚足や手羽元、極めつけはアヒルの血が入っていた。見た目はレバーそのもの。でも味は思ったほどくせはなく、美味でした。

最後に前寮監中山亀太郎先生のご子息から毎年送って頂いている茨城の西瓜をいただきました。感謝、感謝。(*^_^*)。

 

 

 

教話のポイント

「神様のものさし」で、はかる方法。
1 思い込み、固定観念を外す。そのために常識疑う。 2 視点をずらす。
3 複眼的に見る。上から下から逆から見る。

夏の全国高校野球大会
米大リーグの特別調査研究チーム、日本の高校野球を調査。
1回負ければ終わりのトーナメント方式は日本だけ。おかしいのではないか?。

高野連ある幹部、「負けに学ぶ」こと。
勝つことに意義があるのではなくて、負けに意義がある。全国約五千の高校が1回負ければ終わりの戦いをしてきている。勝つのは一校だけ。後はすべて負けを経験する。高校野球はこの「負けに学ぶ」ところに意義がある。

一言で言えば、「勝って驕るな、負けてくじけるな」である。実は負けたことが大事で、なぜ負けたか、そこにはいろんな理由がある。それぞれ1人ひとりがそのことを嚙み締めて、そこからまた一歩を踏み出していく。

人間、失ってはじめてその大切さに気がつく。まさに負けてみてはじめて、これまでの努力の意味がわかる。くじけたり、いじけたりしている場合ではない。

人生、順風満帆にくると自分の力を過信、得意になって足下をすくわれ、必ず失敗を引き起こす。そして失敗を恐れて何もできなくなる。

自分にとっての逆境、苦難、苦労は、必ず自分自身の試練となる神様のメッセージが込められている。いくら負けてもいい。何度、失敗してもいい。「失敗に失敗せず」、「成功に成功する」こと、最悪は失敗を恐れて何もしなくなる。

何か新しいことに挑戦する時、勇気がいる。苦しいこと、辛いこと、きついことも必ずある。だから楽な方へ行きがち。しかし人生、生きていき上でどうしてもやらなければならない時は必ずくる。

その時に「神様のものさし」を持って生きていく時の考え方として、以下のように考えてみる。

「苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しいのだ」
「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから困難なのだ」
「シュートなくしてゴールなし」、単純な言葉だが、含蓄がある。

失敗に失敗せず、成功に成功するには、
「成功しても幸せになれない。しかし幸せだと成功しやすい」と考えてみる。
もう一つ、「神様のものさし」ではかるコツとして、「だから」ではなくて、「だからこそ」という接続詞でつないでみる。

世界、社会の中で、平和や環境問題に取り組む。1人の力は非常に小さい。だからやめる、どうせ「社会なんか変わりっこない」ではなくて、「だからこそ」やるのだ。

「世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためにある」

香川ベルギー戦後のコメント。「2ヶ月前に監督が解任、交代。ましてや僕らみたいに年齢の上のものが集められた弱いチーム。今まで築いてきたものがゼロになってしまった。そのような状況でチームが1つなるのは非常に難しかった。が、しかし、『だからこそ』年齢の上のものも含めてチーム全員が1つになろうと本当に真剣に日々を送っていた」

マイナスの要因がある。「だから」ダメなんだと、諦める理由付け、言い訳をするのではなくて、「だからこそ」挑戦していく姿勢が大事。

最悪の言葉は、「どうせ無理」。これは、したことがない人がいう言葉。
ある提案に「うーん。それはちょっと無理。お金がない」。「だから」諦めるのではなくて、お金がないからこそ、できることがあるのではないかと考えて見ることが大事。

現代人特に若い世代は、ファジー、曖昧さに絶えられない。何でも白黒つけたがる。正しいか、間違いか。何でも100%でないと落ち着かない。近代の自由や自立の思想を間違えて受け取ってしまい、自分ですべてできる、しなければならないと思い込んでいる。この思い込みを外すためにも「神様のものさし」ではかる必要がある。

100%な人間はいない。金光教では神様も100%ではない。人が助からなければ神も助からない。

人間は足りないところがある。足らないからこそ、だからこそ足し合い、助け合う。ところが人は足りないから、だから足らないところを埋めよう、100%にしようとして責め合う。

以上、「神様のものさし」ではかっていくことを意識して考え、行動する。価値を固定したり、価値を比べたり、自分の思い込みで評価しない。
すべて起こってくること、否定的なこと、自分に都合が悪いこともひっくるめて、価値あるものとして受け入れていく姿勢が大切。

「当たり前のことが当たり前ではない」ことに気づき、問題が問題でなくなり、「当たり前のことにありがとうと言える」ようになってくる。

そして人間は自分で生きているのではなくて、神様に生かされて生きている。ゆえに自分の命は自分のためのものではなくて、互いに足らないところを足し合い、助け合い、自分の命はお互いの命のためにあるという天地の道理に気づいていく。そこに真の助かり、幸せがある。

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