Home > 6月 2nd, 2010

鳩山総理辞意表明

今息子が事務室に入ってきて、「鳩山総理が辞めた」という。私、「それみたことか。言ったとおりになっているやろ。予想通りに動いている」と答えた。こうなるともうやめざるを得なかった。
一番残念がっているのは自民党だろう。昨日の大島自民党幹事長が「やめるな」と言うような発言にはあきれ果ててしまった。なんとわかりやすい政治だろう。素人目にもこうなることは、昨年12月に普天間基地問題を先延ばしし、3月頃に5月までに決着すると言った時点でダメだと思った。
日本政府とアメリカ政府と沖縄住民、この3方がすべて利益を得ての解決はあり得なかった。こと外交問題である。商売と違って「三方よし」とはいかなかった。最悪は普天間基地がそのまま残ることである。しかし、ばさっとはいかない中では「三方一両損」でいくしかない。
しかし、その三方の中で沖縄住民にはこれまで大変な負担を強いてたのであるから、沖縄には最大限配慮するとともに、何とか国外への道付け、方向性をつける形での必死の努力を見せてほしかった。「腹案はある」などと、口先だけでは誰も納得しないのは当然だ。
それにしても私がずっと不満に思っていたのは、政治家はもとよりマスコミの論調、特にテレビの報道である。普天間基地問題は外交問題であり、国内問題ではない。相手はアメリカである。マスコミの論調はアメリカが全く出てこず、どこの国のマスコミかと疑う。
鳩山総理がオバマ大統領に会ったとき、食事中の5分か10分しか会談ができなかったことがある。普通は「わが国の総理に失礼だろう」とまずアメリカを批判すべきではないか。どこのマスコミも自分のところの総理のだらしなさを批判した。それは二の次だろう。精神までも属国化してしまっているのかと情けない。
それからもう一つは、なぜかこの問題は沖縄の問題になってしまい、日本の問題となっていないのだ。日米外交問題が日本政府と沖縄問題となってしまったり、政権内の問題と矮小化してしまっているのはどうしても合点がいかない。ここのところの動向にあきれ果ててしまってこれまでここで触れる気もしなかったのだが、次こそは「頼むで」という感じである。もし、菅さんが総理大臣になったら、わが予想も完璧となるがさてどうなるか。