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第28回金光教東京平和集会 5

さて戦争反対を訴えていくためには、自らのこともしっかり見ておかなければならない。実は1945年、昭和20年の終戦より7年前の1938年、昭和13年に日本軍は長期にわたり中国のある都市を爆撃し続けた。

20100718_7 この写真は中国を爆撃中の日本陸軍の飛行機。

クイズ④ 中国のある都市に無差別大爆撃で長期間にわたって攻撃しました。さて、その都市名は何番でしょう。

1番、南京、2番、長春 3番、重慶

正解は3番。

 

 

20100718_6 日本はあの悪名高きドイツのゲルニカ空爆の数ヶ月後に重慶に無差別攻撃をかけた。左の写真は、重慶爆撃によって亡くなられた人々で、普通の民間人。この爆撃で多くの中国人が命を奪われた。

ここで、今年亡くなられた作家の小田実さんという方の体験に学びたい。
小田さんも中学生の時に大阪空襲を体験されたが、この日本の重慶爆撃と比べて示唆深い体験を話されている。

 

 

 

 

 

20130115_3 中学生の時に終戦前日の大阪空襲を体験して死にかけた小田さんは、戦後アメリカでこのニューヨークタイムスに掲載された左の大阪空襲の写真を見た。そして同じような写真を見たことを思い出す。

それが先ほどのクイズ④の重慶空爆の写真。小田さんは子どもだったということもあるが、その時はその下で何が起こっていたか、想像もしていなかったそうだ。

そして気がつく。アメリカの子どもたちも日本のこの大阪への空襲の写真を見ても、その下で何が起こっていたか、想像もつかなかっただろうと。

しかし、小田さんはこの大阪の空の黒い雲の下にいて、地獄をを見た。同じように自分の国の攻撃で中国の人たちも地獄を見た事実があったことを知る。

そして小田さんは言う。

「私の反戦の思いは非常に簡単だ、結局相手方の立場に立ってみるということ。自分がされて嫌なことは人にするな。自分が殺されたらいやだろう。だったら殺すな、殺されるな」と。

このように「相手の立場に立つ」ということは本当に大事なことだと思う。(つづく)