Home > 3月 27th, 2011

津波

 津波については当欄で何度か触れたことがある。南海大地震が襲った時、近い山に逃げた人は助かったが、遠い山に逃げた人々は津波にのみ込まれたと。これを聞いたのはわたしが小学校の頃。今にして思えば、もう少し具体的にどの山と聞いておけばよかったと思う。いや、その時は話してくれていたはずだが、さすがに覚えていない。

 その私も確か小学校5年生頃に、津波を経験したことがある。小学校は海には近いが、だいぶ高台の山の上にある。ちょうど学校に行っている時で、けたたましくサイレンが鳴った。地震の揺れがどの程度だったか全く覚えていない。ただ、誰かが「潮が引いているぞ、津波がくるぞ」と叫んでいた記憶がある。

 南北に建っている小学校の北の端まで行けば、少しだが海が見える。今までに見たこともない位置まで海底が見えた。しばらくすると遠くの沖合から、数十メートルもあろう高波がやってくるのを確かに見た。

 その後、全員教室に入るようにとの指示で、津波が襲ってくるところは見ることができなかった。その時は、小学校から海側にあたる船のドックなどある大勝浦地区だけが被害にあったと記憶している。

 さて、今回級の津波が来ると、三方が海であるわが家はひとたまりもないであろう。確かに勝浦ハザードマップでは南海大地震の時、津波がわが家の位置まで軽く到達しているのがわかる。となると逃げるしかない。

 そこで問題なのがどこに逃げるかである。いちばん遠い山に逃げるのは、結局津波に追いつかれるからダメ。一番近くは走って2、3分のところにある小山だ。母のお墓がある。この山は一時避難所になっており、一番上にはヘリコプターが降りれるよう一応整地されているが狭い。母のお墓の位置で普通の民家の二階程度。標高10メートルくらいか、15メートルはないかも。この山には多くの人が殺到するだろうし、果たしてこの高さで大丈夫かの問題がある。

  いちばん安全なのは、先ほどの小学校がある山。広いし、高い。何よりも体育館等があり避難場所になるところである。しかし、ここまで行くのに走って7、8分というところか。津波が地震後5、6分で来てしまうかどうかで生死を分ける。いずれにせよ、何はともあれ、いかに早く避難するかが今回の大きな教訓である。
 

娘の不登校をおかげに

20110327

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