Home > 4月 3rd, 2011

原子力発電に思う

 今からもう30年も前になるが本部教庁布教部時代、現代社会問題研究で「原子力問題」もよく取り上げて議論をしていた。ちょうどその頃の中近畿教区主催の青年教師研修会が福井県美浜町で開催された。

 せっかくだから前の日に美浜原子力発電所を見学しようと訪れたことがある。実は、わが故郷の那智勝浦への立地計画が頓挫して、その代わりに建設されたのがこの美浜原発と聞いている。

 小学生の頃、原子力発電建設反対の漁船団が組まれ、なぜか大漁旗に軍艦旗、日の丸を高々と掲げて、軍艦行進曲の音楽で海上デモ行進が頻繁に行われていた。また周辺に林立していた赤い旗は何だろうと疑問に思った記憶がかすかにあり、今にして思えば右も左も建設反対で一致していたのだろう。

 中近畿教区の研修会でもこの問題を話題にした。アメリカでは、原子力発電は危険なもので事故もあり得るという前提で考えており、地域住民にもあらかじめ危険度を何段階に分けて説明している。しかし、日本では事故はあり得ない、絶対に安全であるというのが大前提となっているのはおかしいと。

 しかし、日本の原子力発電所はその後何度か事故を起こしたが大事には至らず、安全神話は生き続けた。そしていつの間にかあまり問題にしなくなってしまった。この問題が悩ましいのは、私たちも原子力の恩恵に浴していることだ。なかなかあからさまに反対しづらい。

 私自身も原子力発電はつなぎで、21世紀ともなれば太陽エネルギーを最大限利用した安全な発電が科学技術によって生み出されるだろうと楽観的だった。今となってはとんでもない間違いであった。あまりにも安易に電気を使いすぎていた。基本的な生活のあり方まで猛省を迫られていると思う。