Home > 7月, 2011

気仙沼ボランティア報告② (6/10~6/19) 6

 人間の記憶はいい加減な、いえ、私の脳みそはいい加減に出来ていて、前回3日目に松島へ出向と書いたが、何とそれは5日目の15日の出来事で、もう頭の中がぐちゃぐちゃになっている。

 そこで、今日からは日付を確認しながら書いていきたい。ボランティア3日目の13日早朝、昨日夜7時頃出発した寮生たちが、朝の3時に無事に東京学生寮に到着したとのこと。これが一番心配だっただけに、ほっとした。

 朝の御祈念時、参拝の皆さまに「皆様方の御祈念、お祈り添えを賜り、東京学生寮寮生7名は今朝3時に無事に帰寮しました」とご挨拶申し上げた。また、昨日は、夜のミーティング中、気仙沼大停電になり、皆様地震直後のことを思い出していたが、全くあわてる様子もなく、手慣れたものであった。

 さて、今日はSさんと地元の方は、Hさん方の室内高圧洗浄を1日かけて行った。私と気仙沼教会長ご長男、兵庫のI君、大阪のSさんの4名は、Hさん方の二軒隣りのAさん方の片付けを手伝った。

 Aさんの母屋は残念ながら流されてしまったが、はなれが一階の炊事場、お風呂、二階は物置になっており、そこにある食器、家財道具、衣類等をご主人と一緒に運び出した。

 
P6131093.jpg
P6131087.jpg 午前中は、1階の食器を運び出し、床に溜まったヘドロを掬い土嚢袋に詰め、一輪車で運んだ。Tさんのご友人のSさんは、へドロのついた食器を洗った。

 
P6131092.jpg
P6131098.jpg さて、次に掲げる写真に食器棚が映っている。その中程に壷があると思う。これは実はここに最初からあったわけでなく、母屋にあったものが津波に流され、ここにスポッとはまったそうである。お見事。次の写真の壷だが、そこで私は「不死身の壷」と命名した。この壷を大事にすると必ずや幸せになれると確信した。(つづく)

 


P6121057.jpg

P6131077.jpg
 

気仙沼ボランティア報告② (6/10~6/19) 5

P6151178.jpg(体験記4で書いた4千万円がなくなったといわれている銀行)

 さて、私が入って三日目は、松島で行われる東北教区の教師集会に気仙沼教会長が参加するため、嶋田先生と共に同行させていただき、途中通る南三陸町や松島北部等々を視察した。南三陸町に入る手前の道路は寸断され、通行止め。山間を大きく迂回する。

P6151182.jpg
P6151184.jpg 途中、大渋滞。そしてなぜか機動隊員が交通整理をしている。それも行くほどにカーブカーブに機動隊員が立っている。「おかしいなぁ、絶対に機動隊は交通整理などしないと思うけど、警察官足りないのかな?」と言いながら、のろのろと進んでいくと、何とその機動隊の青い装甲車が、側溝にタイヤを落としてしまって横倒しになっている。

 狭い道なので、おそらく離合に失敗したのだろう。余裕を持って出たので事なきを得たが思わず笑ってしまった。松島に入ると景色は一変。何と普通なのだ。海沿いでもほとんど被害を受けていない。会場のホテルの方に聞いてみると、「大小300弱の島々が津波の防波堤となった」とのことであった。防災工学の研究に大いに役に立つのでは。今後の研究に期待したい。

 昼前にホテルに到着。駐車場で東北教区の所長と挨拶、近くにお魚センターがあるとのことで、そこで昼食をとることに。私はマグロラーメンを頂く。これが相当美味。わが故郷勝浦にはない。

 そこに、ご本部当局の先生2人と、随行職員、東北教務センター職員が入ってきた。元寮生のA先生もいて、私の姿を見て皆さんびっくり。その後、会場に先生を送り、東北教区にも知っている先生が結構いるのでご挨拶申し上げた。

 集会講師の神戸のT先生ともお会いできた。T先生は、阪神大震災の時に教会お広前をボランティアの宿舎として解放された先生で、阪神大震災の時には私も大変お世話になったことがある。

 さすがに今回の集会は時間がかかっているようで、ようやく5時頃に終了。帰りは私の運転で、途中夕食をいただいて帰った。南三陸町を通る頃は日も完全に落ち、真っ暗闇。何もない瓦礫の中を走っていると三人乗っていても恐いくらい。一人では恐くて運転できないであろう。

 おかげで、往きの機動隊車が立ち往生していた迂回道路を走るとき、ちょうど自衛隊の車列の中に入り、先導車を着けての走行と同じようになった。大変ありがたかった。真っ暗闇の山間の道路の運転も初めてであったが、外灯のありがたみを改めてつくづくと知った。(つづく)

気仙沼ボランティア報告② (6/10~6/19) 4



 少し戻るが、陸前高田市の様子。嶋田先生から当時の状況などの説明を受ける。このバスは見事に上半分がない。どういうことになったらこうなるのか、想像がつかない。

P6121006.jpg
P6121014.jpgP6121012.jpg
P6121010.jpg 次に気仙沼市の南の方へと向かう。書き忘れていて申し訳ないが、金光教首都圏地震等災害ボランティア支援機構が活動を始めた当初から今日まで現地でご活躍中のTさんの友人で、昨日一般から参加しているSさん(女性)も合流している。

 途中4千万円強盗事件があった銀行を左手に見ながら進む。この辺りは、いかの塩辛の製造工場が多く立ち並んでいるとのことで、冷凍庫が全部流され、地震当初の臭いは凄まじかったという。

 昼食は普段なら観光客で賑わう大谷海岸の唯一開いているドライブインへ。気仙沼教会長の奥様先生手作りのおにぎりを頂く。折角だから男子寮生たちとラーメンを頂く。食べ終わり、海の方へと歩いてみると、壊れた足下のコンクリートの向こうに線路が見え、何とその隣は気仙沼線の大谷海岸駅であった。気仙沼線は3か月経たいまも全く手がついていない。復興どころか、復旧もままなっていないのがわかる。

 P6121024.jpg
P6121029.jpgP6121030.jpg その後、気仙沼に戻ったがまだ時間はある。夜中に走ってきて、また本日の夜中に運転して帰るので、夕食まで休んでおくように指示した。しかし、気がついたら全員近くの南町一丁目の民家に向かっていた。他の本教関係者が作業中とのことでそちらに合流した。  
 

 昨日2階の壁紙剥がしの作業をさせて頂いたお家の近くの側溝の石よけと側溝の掃除を手伝った。Sさんもスコップを持って活躍。寮生たちは学校等があるので、残念ながら作業は2日間で、あっという間に時間も過ぎ、御祈念の後、寮生ら7名は帰京した。

P6121034.jpg
P6121062.jpg
P6121063.jpgP6121052.jpg 御祈念が終わって、私だけがあと一週間残ることになっていることについて、ある寮生が教会長先生に「それでは、寮監をよろしく」と挨拶したのが、後々の語りぐさになった。よくできた学生だとみんなから褒められ、鼻の高いことであった。

 一昨日も東京学生寮集会室で報告会を開いたり、記録DVDを作成して情報を発信しようとしているなど、今回のボランティア体験で学んだことを忠実に実行しようとしている姿に、嬉しい気持ちで一杯だ。(報告会等の詳しい内容はまた連載後半で)。

« Previous