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寮9月月例祭・食事会 3

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3 使命を生きる。ご神願成就 世界真の平和 全ての1人ひとりの助かりの実現

 先に述べた自分から出発すると私は何のために生きているのか、果たして私の人生に意味があるのかという問いを生む。確かに大事なことではあるが、私という存在はすでに意味が与えられ、その使命に生きることが宿命付けられていると考える。

 ただ、もう一つさらに「人間のものさし」ではかる一般とは違うところは、あなたのため、人のため、会社のためといった何々の「ために」という言葉は使わない方がいいということである。

 何々のためには不遜である。いったん表現してしまえば必ずやそこには恩着せがましさが生じる。人のためといいながら結局は自分のため、自分の利益しか考えていない謙虚さという名の傲慢でしかないのだ。こういう人は皆さんの周りにもいるのでは。

 どなただったが、必要なのは「ために」ではなく、「気遣い」の心と教えて頂いた。自他の心身を気遣うこと。気遣いや心遣いのほかに「思いやり」や「心配り」もそうだと思う。心にただ思うことだけではなくて、「遣い」、「やり」、「配り」があってこそ形になる。その行動こそが私たちに与えられた使命となるのだ。

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 理屈ばかりになったが一つだけ具体例を。自分にだけ「なぜ?」という難儀な出来事でもそこには必ず神様のメッセージがあるということについて、私の息子が高校野球で甲子園を目指してがんばっていたが、1年生の夏と2年生の夏、ノックを受けての守備練習中、何と2回もイレギュラーしたボールが鼻に当たり、骨折手術を受けた。

 手術といっても二本の火鉢のような金属を鼻に入れて、医師が手でぐりぐりしながら矯正していく。もう痛いといったらこんなに痛いことはないほどだったという。それも2回も。 

 ノックしていたのは同じ遊撃手で一つ先輩の福田周平君。ソフトバンクに高校ドラフト1位で入団した子だ。同じショートなのでかなり日頃から練習をつけてくれていた。

 一回目の時は、監督が「1年生の時でよかった。これが2年生なら大変だった」と。その後に控える夏の合宿に参加できないということは、レギュラー捕りがかなり難しいということになるのだ。

 それが2年生でも同じことになり、息子も私も相当落ち込んでしまった。完治には2ヶ月くらいかかり当然合宿には間に合わない。あるときハッと、リトル時代どこかのチームの子が仮面をかぶってやっていたことを思い出したがその仮面はかなり高い。

 どうしようかと悩んでいたときにまたハッと思い浮かび、キャッチャーミットをかぶって練習すればいいのだと。そして合宿に参加した。

 実際にそのように練習したが危なっかしくて監督からNGを出され、それからは黙々と走るばかり。合宿後は監督から「二度も当たれば怖くてもう野球はできないだろう」と言われ、だんだんとレギュラーを外されるようになった。私もきついことを言って息子を泣かせてしまったこともあった。

 それでも淡々と練習を続ける息子。実は後日金光新聞の『信心真話』の原稿に書くために一杯飲みに行って息子を取材し、このときの心境を聞いた。

 この時はかなり落ち込んだが、練習しているうちに吹っ切れたという。これまではレギュラーを外されないようにと汲々として野球をしていたが、これからは楽しもうと。好きな野球ができるだけでも本当にありがたいと思えるようになったという。

 で、実際そういう心境になると野球が楽しくなってきたそうだ。ある神奈川県の強豪校との練習試合でかなりいい守備を連発し、相手チームの保護者の方からもお褒めのお言葉を頂いたほど活躍した。

 そこから一変、全くエラーもしなくなり、一塁への送球もビシッと決まりだした。そこからはだんだんにレギュラーとして試合に臨むようになり、最後の夏も甲子園までは届かなかったが、2番遊撃手の大活躍した。

 そうなのだ。実は鼻の骨折が心を変え、体を変えた。実は肩をかなり痛めており、痛いと一言でも言うとレギュラーを外されるからだましだましやっていた。その肩を鼻の骨折によって休ませることができた。

 二度の骨折でも全く後遺症もなく、また肩の調子もよくなり、さらには野球が怖くなるどころか楽しくて仕方なくなるまで大みかげを蒙ったのである。

 人間のものさしだけを使っていれば、そのまま沈んでいたかもしれない。知らず知らずのうちにお道の信心を聞いていたおかげで、「野球ができるだけでもありがたい」という神様のものさしではかる心境を得ることができた。そしてそこには息子に対する神様からのメッセージが確実にあったのだ。  

 是非皆様も卒寮するまでに「神様のものさし」を持つことができるように、しっかりと信心、勉学にいそしんでほしい。寮の願いは「世界、人類の貢献しうる人材の育成」である。少しでもよりより世界、社会になるようその使命を自覚して日々取り組んで頂きたい。(つづく)