東京大空襲
本日付『東京新聞』1面「筆洗」の書き出しに、「60年にして東京大空襲にやっとスポットが当たったような気がする」とあった。先日、東京平和集会の企画会議でも少し議論になったが、東京平和集会では、不思議と東京という地域を意識した企画がほとんどなかったことである。
本教内の平和集会として先行していた広島、長崎、沖縄などの取り組みが、地域性を重視していることを意識してか、また、平和が過去の問題ではなく、人権差別の南北問題や環境問題を意識的に取り上げたのか、そうした社会的な要請があったのか、おそらく様々な理由でこと分けて東京という地域を意識しなかったのだと思う。
ところが、先程の東京新聞によれば、社会の方もそうであったようだ。「広島、長崎の原爆被害にも匹敵するこの惨禍が社会問題化されずにきたのか」と疑問を投げかけている。そしてその理由として、岩波ブックレット『東京大空襲60年 母の記録 敦子よ涼子よ輝一よ』のあとがきに記されている5点を紹介している。
①一家全滅の家族が多く、語り部が不在だった。
②遺族や罹災者が地方へ離散した。
③その日暮らしの人が多く戦後は生きるだけで精一杯だった。
④占領軍のプレスコードで無差別爆撃の実体解明が規制された。
⑤公的な調査や救いの手がなかった。
とりわけ⑤の要素が強かったとしている。
東京平和集会だけと思ったいたが、社会全体がそうであったことに驚いた。そうとするならば今回特に東京という地域に重点を置こうとしている平和集会も時機を得ていることになる。現在のところ、東京や関東一円での空襲体験などの取材調査をし、まとめたものを朗読劇で次世代に伝えたいと願っている。皆様にもご協力のほどどうぞよろしくお願いします。
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