第41回 沖縄遺骨収集に参加 2
朝8時過ぎ、集合場所の糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園内の本部テントに到着。早くも那覇教会のご信徒たちにより準備が始まっている。ご準備、後片付けと毎年ご苦労を頂いている。感謝の言葉しかない。
そして、だんだんに全国から懐かしい顔が集まってくる。一年ぶりの再会に喜びのあいさつを交わす。午前9時、各班別に集合、整列。今年も100名あまりが参加している。林先生ご挨拶の後、元気のいい嶺井さんのご指導で準備運動。今年も始まるぞとの実感が沸く。
続いて各班付きの機動隊員と班長で捜索地帯の確認と打ち合わせ。私、1班の班長を拝命して早5年。今年の1班は総勢18名、わがグループと常連のD先生ご夫婦、そして千葉や名古屋からの一般から多くの参加を得た。不肖班長から注意点を申し述べ、写真撮影ののち、1班の捜索場所に歩いて移動した。
今年は健児の塔からさらに先に進んで、摩文仁の丘の断崖向こうの裏側から元の位置に回り込むように捜索する。30分ほど歩いて捜索出発地点に到着。平地を探して荷物を置き、若い男性はそこから海方向に下って捜索。女性は平地近くにある壕を捜索することにして始めた。
それから15分も経たないうちに名古屋からの一般参加者Oさんが、写真のやや大きな骨を発見。あまりの早い発見に、もしかして馬の骨かもしれないので全機動隊長のベテラン中澤さんにご確認頂いてから判断したいと伝えたが、内心は馬の骨だろうと思っていた。
中澤さんに来て頂いて早速に見てもらうと、何と写真のように中澤さんが常に持っている骨の標本図と全く同じ形の肩胛骨であった。ある方向から見た感じで判断してしまい、汗顔の至り。名ばかり班長さを早くも露呈してしまった。
程なく大腿骨が突き刺さった状態で発見。また、近くの壕で捜索したこれも千葉から初めて参加の女性陣が背骨など次々と収集された。寮生たちも銃弾や馬の蹄鉄や軍靴などを次々に掘り出し、何度も捜索された場所だと思われたところから次々とご遺骨や遺品が発見され、驚くばかりであった。(つづく)
Trackback URL
Comment & Trackback
Comment feed
Comment