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第41回沖縄遺骨収集に参加 1

 今年の私たちのグループは韓国からの留学生を含む寮生5人、青年教師1人、青年信奉者1人の8名。 沖縄遺骨収集前日、羽田8時フライトの朝一の飛行機で出発。まずは金光教那覇教会に参拝。東京は大雪なのに、すでに沖縄桜は満開で迎えてくれる。
  
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 毎年遺骨収集と共に、前日と後日の二日間は目一杯平和学習のために施設等を回る。第一日は晴れていれば普天間基地が見える嘉数高地(沖縄戦最初の激戦地)に行く予定であったが、曇っていたので嘉手納基地まで、途中中日ドラゴンズキャンプ地を左に見ながら北上。

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 初めて参加のSさんは、永遠と続く米軍基地の金網やその向こうで遊ぶアメリカ人の子供たちを見て驚いていた。ここまで広大な基地があるとは。これを見ただけでも来た甲斐があったと。

 私は10数回沖縄にきて嘉手納基地も数回来ているが、ここで米軍機を見たのは始めて。基地に着く直前、車の右側車窓に全く音のしない戦闘機が飛んでいった。私は少し興奮気味に「え、無人飛行機、もしかして最新鋭のステルス戦争機」と一人ではしゃいでしまった。写真は米軍の輸送機が飛び立ちところ等。

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 次に対馬丸記念館(http://www.tsushimamaru.or.jp/)を見学。対馬丸は、昭和19(1944)年8月22日、沖縄からの疎開者を乗せて航行中、鹿児島県・悪石島付近で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められた。このとき、乗船者約1800名のうち学童775名を含む1418名(氏名判明者数)が一瞬のうちに帰らぬ人となった。

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 対馬丸記念館の願いは、「無念にも尊い命を失った学童たちに代わり、21世紀の子どもたちが夢と希望と平和にあふれた世界に“漕ぎ出せる”ようにすること」だ。

 対馬丸記念館のパンフレットに掲載されている「いま『対馬丸』を語ること」には、以下のようにかなり「報復の連鎖」という言葉を意識している。最初なぜかと疑問であったが、展示をしっかりと読ませて頂くと理解できた。

いま「対馬丸」を語ること
(前略)
人々の「想い」、それは平和への強い「希望」です
戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます
悲しみの大きさを、「希望」にかえる努力をしないと 憎しみが報復の連鎖をよびます
しかし、報復の連鎖で悲しみは癒されるでしょうか?

いま「対馬丸」を語ること、それはなんでしょう?

いまも世界では報復の連鎖が 子どもたちから新たな夢と希望を奪っています
この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること
これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された 私たちへの「課題」ではないでしょうか。(2004年8月22日 財団法人対馬丸記念館)

 実は、この対馬丸を沈めた米潜水艦ボーフィン号は、ハワイ真珠湾のアリゾナ記念館に隣接する潜水艦博物館に「真珠湾攻撃の復讐者」としてその本物が展示されているのだ。愚かにもまだゾロ戦争へと舵を切っているかにみえる今日、肝に銘ずべき内容だと思う。

記念館見学後、裏山にある慰霊碑に参拝。そこにはいろんな慰霊碑や祈念碑が建ち並んでいる。
(つづく)

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