第41回 沖縄遺骨収集に参加 5
次にこれも昨年同様、沖縄本島南部の南城市糸数にあるアブラチガマといわれる自然洞穴を見学した。全長は270メートル。はじめは日本軍がガマの中に通路や小屋、ポンプ井戸をつくるなど陣地壕として整備した。
その後、沖縄陸軍病院の分室が開設され、ひめゆり学徒隊16名を含む病院スタッフが入り、連日運ばれてくる傷病兵の治療・看護をしたそうだ。多いときには地元住民を含め千人以上避難していたそうだ。
昨年のガイドさんの話も衝撃を受けたが、今年のガイドさんのお話も強烈であった。入り口からやや入ったところに井戸があるのだが、そこからさらに奥の高いところに寝ていた人が約20メートル下のこの井戸に吹き飛ばされ、幸い水があったので生き延びたというお話は想像を絶する凄まじさである。是非現場で実感して頂きたい。
そして広いといっても電気も何もない洞窟。いや、周りが見えないからこそまだぎりぎり精神が壊れなかったかという証言もあるそうだ。この世の地獄。途中何度か懐中電灯を消し、当時の状況を想像して黙祷するが涙が止まらなかった。
地上に出てきて、ガイドさんにその感想をお話ししたら、当時の体験者の方にお話を聞いて日々勉強しているとのこと。また、「最近の世の中の動きを考えると若者たちにこうして本当の戦争を伝えることは大切で、貴重な機会を得て幸いです」とお礼を申し上げると、そのガイドさんのおじいさんに当たる方がまだご存命で、その方が「現在の状況や雰囲気が、当時の戦争前の状況とよく似ている」と語っているそうだ。
時間がなくて具体的にどういうことか聞けなかったことを悔やんでいるが、まさか戦争が起こるとは思っていない若手たちはかなり衝撃を受けたようだ。
続いて、昨年は寄ることができなかった島尻郡南風原(はえばる)町にある沖縄陸軍病院壕跡にいく。数年前に整備された20号壕と呼ばれる壕を見学、その後南風原文化センター内にある展示室を見学した。先のアブラチガマの自然壕と違って人工の壕群。1号から何号まであったのか、総延長2キロもあったそうで、これをツルハシ一本の人海戦術で掘ったという。
その後近くにある平和の鐘をつかせてもらい、その両脇には憲法9条碑と予備軍医として陸軍病院に従軍した長田紀春氏の詠まれた歌碑がある。確か映画『ひめゆりの塔』で沖縄陸軍病院か、南部に撤退したのち、後藤久美子氏が取り残された南風原の陸軍病院壕で手術をしているシーンに写っていたように思う。
20号壕の見学料をお支払いすると入場券がわりに栞がもらえる。そこに長田氏の歌が書かれている。
「切り落とせし兵の脚をば埋めにゆく 女子学生ら唇噛(くらか)み駆ける」
「腹わたの出(い)でし深傷(ふかきず)手もて押さえ、歩み来し兵倒れ動かず」
これが、本当の戦争である。(つづく)
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