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平和集会と教義

 金光教東京平和集会に向けて本格的に始動。今日は「平和祈願祭」部会と朗読劇を予定している広場の部会があった。社会活動部門を担当している関係で二つの部会に顔を出している。

 さて、少しもめたのは「平和祈願祭」。ここ2年は「平和協議会」で明らかになってきた、み霊様と我々が共に神まさに平和を祈願するという意味合いで、慰霊と祈願はわける必要がないとの考え方で執行してきた。

 しかし、我々生者にとってみ霊様は共にあるものではなくて、対象としてある存在であり、慰霊祭と祈願祭は違うものであるとの考え方も当然ある。本教にとって儀式は、教義に基づいたものを形化したものであり、その教義観よって全く違う形が想定されるのである。

 その教義が教祖の教えに基づくことができれば問題ないが、教祖の教えとともに、歴史的な様々な習俗や習慣に影響される。教祖自身も当然その影響を受けている。つまり、基づくところがないので教義として確立できないのである。

 とすれば、その時代時代の考え方も考慮しながら、あるべき形を模索していく必要があろう。この問題、特に戦没者の慰霊はどうも本教だけの問題ではなさそうである。最近は若手の宗教学者が例えば福岡大空襲を調査することで、慰霊とは何かといった研究が出てきているようである。世界の真の平和に向けて、よりふさわしいあり方を求め続けることが肝要ということか。

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