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寮9月月例祭・食事会 2

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2 「超越」 物事の程度・基準・範囲などをはるかに超えること
二つ目に何事も「超越」という概念を意識して物事をとらえていくとこと。

①何事もあるがままに受け止める。起こるがままに。ありのままに。物事に無駄ごとはない。
 「何事もあるがままに」と口では簡単に言えるがなかなか難しい。人生自分に都合の悪いことは必ず襲ってくる。例えば病気、災難、試験に落ちること、またこれといって具体的には降りかかってこないとしても、理由なき空虚感、焦燥感、将来への不安は誰しもが抱えている。

 このいわゆる難儀の中に神様からのメッセージが必ずあると考える。そこには自分を成長させてくれる材料があり、それは一つの試練であり、必ず意味がある必然的偶然ととらえていく。

 ただ、大きな難儀が襲い、本当に辛い思いをしている渦中にある時は、そんな余裕はないこともよく理解できる。しかし、だからこそ今どんな境遇にあうとも、どんな人生にも意味があり、あなたが、またあなたを必要としている誰かがおり、祈りがあり、願いがある。それをあなたに発見されるよう待っている。あなたもそのためにできることがある。だからどんなに苦況にあっても投げ出す必要はない。

 前に時間意識について触れたが、宇宙ができて137億年、地球ができて50億年、人類誕生4万年の流れが自分に来ているという意識。先祖代々のいのちを今に頂いて、さらに未来に続いている命を生きている。皆さん1人ひとりが今という歴史一の時間を生きているのだ。

 辛い境遇にあったとしても、時間が経てば「あれもおかげあった、これもおかげであった」という境地に必ず達することができる。ゆえに今の今は色々あるとしても、人生最高の時を生きているという意識である。

 もう一つ今の今ここにいる場所の意識、「空間意識」である。宇宙の中では点にもならない自分の居場所ではある。しかし、逆にいえば宇宙の全勢力・エネルギーが結晶している場所であるともいえる。自分自身が今いる場所が世界一の場であると考えていく。自分自身が行くところに神様が生まれ、神いますところ必ずや幸が生まれるととらえる。
 
 適切な時に適切な場所にいて適切なことをしている。最高の時に最高の場所にいて最高のことをしている。何事も「あること全て美しく、起こること全てよし」としていくことである。

②「逆も真なり」「複眼思考」
 これは一般でもよく言われていることであり、皆さんに何度も話してきているので簡単に触れるが、こう考えることによって、思い込み、固定観念を外すことができる。当たり前と考えていることは決して当たり前ではないととらえていく。自明と思われることでも決して自明ではない。

 気仙沼の仮設住宅で、ある被災者の方が発した「地震の前の暮らしは、夢のような生活でした」との一言は本当にハッとさせられ、一生忘れられない宝の言葉となった。すでに奇跡は起きているのだ。九州日田教会堀尾保治先生の「奇跡の毎日を生き、奇跡の場所におらせて頂いてる」とのお言葉そのものである。

 先に述べた人間のものさしの特徴である二分法や二者択一の排除の論理ではなく、対立する概念を超えていく。例えば「難はみかげ」、「無用の用」、「無知の知」といったように全てを肯定していく思考である。 

③手段と目的を入れ替える。
 これも何度も話してきたが、例えば歩いて学校に行く場合、学校が目的で歩くことが手段である。これをひっくり返して考える。歩くために学校があると。すると歩くことも運動や散歩という目的となり、つまりは手段が消えて全て目的となる。全てが目的となると手段も目的という概念もなくなる。「無的の信心」に通ずる。全てに無駄ごとはなく、全てを受け入れていくということである。

 超越とは、まずは自分の有限性、無力を自覚すること。そして自分を根源から支えてくれている根源的な生命との根源的な出会いをしていくことである。「疑いを離れて広き真の大道を開き見よ、わが身は神徳の中に生かされてあり」なのだ。(つづく)

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