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12月寮月例祭・講演会

 

 

 

 

12月1日、運営委員で北沢教会長の中畑吉子先生ご祭主のもと、寮月例祭が執行され、その後恒例の寮講演会が開催された。

このたびの寮講演会講師は、2011年入寮、2015年卒寮のOG、藤原茜氏、平石碧海氏のコンビ。二人の掛け合いでのお話しを頂いた。

お二人との出会いは忘れもしない東日本大震災が起きたまさにその前後に寮の面談で来ていた時のこと。3月11日の午後1時からお母さんと共に来ていた茜さんと面談し、そのまま帰られた。その後、14時46分に地震が起き、帰れなくなったお二人は再び寮に来て頂いて、ちょうど空いていた職員寮の何もない部屋に泊まって頂いた。電気は一応つけることができたが、何もない。お客さん用の布団も一組しかなく、息子のこたつを持って上がり、急場をしのいで頂いた。

一方平石碧海さんは、大学の試験と寮の面談を12日に控え、11日に上京し府中のホテルに荷物を置き、調布にある試験会場の下見に西武線の駅を降りたとたんに地震に遭遇、そのまま動けなくなった。警察も対応してくれず、あるお店の店先で、そのお店から聞こえてくるテレビの声を情報として聞いていたそう。

しかし、だんだんと日も暮れ、その店の方ももう閉めるという段になって事情を話すと、府中のホテルまで車で送ってもらい、事なきを得たそうだ。その間父親とは一度電話が通じており、父親から私へ電話がかかり、娘が立ち往生しているから迎えにほしいと要請があった。私もあまり言ったことがない聞き慣れない西武線の駅名を頭にたたき込んで、車をスタートさせたら妻が窓から手を振っており、親切な方にホテルまで送ってもらったとのこと。安心した。

しかし、当然大学の試験も中止なり、地震の恐怖でもう寮の面談にはこないのではと心配していたが何と予定通り来て頂き、無事面談は終えた。結局その時受ける予定の大学は日を改めての試験に臨んだが不合格。第二志望は合格とのことであったが、ここでももう東京へは来ないだろうと思っていたら、何と入寮。茜氏、碧海氏が出会うこととなった。

ただ、碧海氏はやはり自分の目指したい道に進みたく、実家の予備校に通って地元の国立大学を目指そうと一旦は決意。予備校の校長からも私に相談の電話があった程であったが、このあとの気仙沼でのボランティアの経験で考えが変わり、そのまま東京の大学に通うこととなった。そしてその後の茜さん、碧海さんコンビによる大活躍が始まったのである。

講演では、入寮のきっかけや入寮までのいきさつ、寮に入ってよかったことなどを気仙沼でのボランティア、沖縄遺骨収集の体験談をもとにお話し頂いた。

講演内容の根本のところのお二人に共通する点は、寮の願いにある金光教人として「世界人類に貢献」していく生き方は、朝目が覚めること、蛇口をひねればお水が出てくること、スイッチ1つで電気がつくこと等々「当たり前のことを当たり前ではないこと」と喜び、感謝し、逆に「当たり前ではないことを当たり前にしていく」、つまり戦争や暴力、貧困、差別、パワハラ、セクハラといった当たり前ではないことを人間として当たり前の生活、社会にしていく、その行動を起こしていくことが大切さであると受けとらせて頂いた。

その後、恒例の中畑建一さん焼き鳥やおでん、お寿司を頂きながらの懇親。焼き鳥は、集会室入り口外の超寒いところで講演開始二時間以上も前から準備して頂き、この辺の居酒屋さんでは食べられないほどの美味しい焼き鳥を頂いた。感謝、感謝であった。

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