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第36回 沖縄遺骨収集奉仕参加 7 2009年1月

 さて、遺骨収集終了後の月曜日は夕刻5時の飛行機までいつもの平和観光。ここのところの定番コースをひとまずおき、中澤修平氏のホームページ『南部戦跡に膝をつきて』「2008年2月15日(金) 【 嘉数高地などを慰霊巡拝、午後は司令部壕調査 】」を参考に、まずは沖縄戦最初の激戦地嘉数高地へと向かった。写真等非常にくわしいのでご一読を。

 私たちも、那覇市から1時間もかからずに到着。高地だから山だろうとのイメージで向かったが、どうもそうではない。カーナビの住所検索を頼りに車を走らせると「嘉数高台公園」の標識が見えた。

 (ちなみにレンタカーのカーナビは、なぜか地図検索以外のたとえば「住所」や「電話番号」のところのランプが消えて検索ができなくなる。説明書を読んでもわからず、電源を切ったり、車を止めたり、さらにはエンジンを切ったりしてもだめ。4日目という相当たってから楠木先生がレンタカー会社に電話をすると、何と「車を止めて一度サイドブレーキを引く」と復活するとのこと。これなら早く聞いておけばよかったと。慣れない二人人であった)

 普通の公園のようなところに70歳くらいの地元のおじさんがいて、あいさつを交わす。公園内に入るとすぐに何百段もある階段を登る。登り切ると展望台がある。階段を上がっていくと先程のおじさんがいて、もう一人あがってきた観光客らしき女性の方に色々と説明している。

 私たちも説明を聞かせてもらう。眼下に普天間基地が見える。2004 年8月13日に沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落・炎上したその大学を指さして位置を教えて下さった。本当に真横。今まで事故がなかったことが不思議なくらい。しかし、いまだに基地はある。

 またおじさんは、そこから見える大海原を見渡しながら「もやっているでしょう。昔はこうではなかった。見事に青々として綺麗だった。このままで行くと地球環境は本当に危ない」と力説下さった。このおじさんは何か運動している方と思いきや、タクシーの運転手さんで毎日朝一必ず運動のためにきているとのことであった。

 確かに東京の空まではいかなくても、ずいぶんと景色がどんよりと見えた。冬の空気が綺麗な今日の東京、まさに空の青色がおかしい。地上に近い空のぐるりは雲一つない、にもかかわらずグレーの曇り空と同じ色だ。沖縄でさえそうなってくると本当に危ないのではと実感した。(つづく)

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