東京学生寮創立100周年開寮記念祭 5

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 しばらく懇親の後、前寮監ご子息の中山和郎様のご挨拶につづいて、卒寮生各年代代表からご挨拶を大要次の通り頂いた。

中山和郎様 「父は、戦前の牛込東五軒町時代の金光教報国会東京学生寮寮監の御用をさせていただき、その後50年前の1959(昭和34)年立教100年の年から29年間この小金井の場所で寮監をさせていただき、全人生の約3分の1を学生の皆様と過ごさせていただき、本当に幸せであったと思います。その間のことをこのたび寮友会の方で出していただいた『笈を負う覚悟-綱領の精神 追悼偉大なる徳者中山亀太郎先生小伝」で詳しく紹介していただき、感謝しております。ここから110年、120年とさらに東京学生寮が展開いたしますようお祈り申し上げます」。

高橋行地郎氏(1960年・昭和34年入寮) 「『豚小屋』、『デモ』、『3億円』三つのことを申したい。あの佐藤宿老は神道金光教会学問所を豚小屋と呼び、豚小屋から人が育つと仰った。東京学生寮は昭和34年この地に新築されたが、なぜか2年目で雨漏りをするという状態だった。しかし、現教務総長を始め多くの人材が育った。
 次に『デモ』であるが、寮からも多くの寮生が参加した。その時に中山寮監は寮生の無事を真剣に祈ってくれていたことを後から知った。私も責任ある立場に立つことになり、ようやくその時の先生のお心を知ることができた。お礼が大変遅れたが、ご子息和郎様に深く御礼申し上げる。
 それから3億円事件。私は三人の子どもが全て私立大学であったが、子どもたちに『いまは事情でお金を引き出せないが、3億円あるから心配ない、大丈夫だ』と言ってきた。寮は府中市の隣の小金井市、土地勘があるということと銀行に勤めたことがあるということで、私は大谷の派出所で事情聴取を受けたことがある。(爆笑)寮を出たらお金の心配はいりません。必要ならばいつでも言ってきてください(笑)。ここからどんどん人材が輩出していただきたい」。

道満祥男氏(1968年・昭和43年) 「そこに来ている野上君は3億円のモンタージュ写真にそっくりです(笑)。私の寮生時代は、3億円事件、そして東大安田講堂事件、少し遅れて浅間山荘事件でほとんど大学がまともに機能していない時代であった。その分寮生たちとは本当によく交流し、一生の友人となっている。昨年出された『笈を負う覚悟』に私の名前で当時のことを書いているが、あれは実は丹波橋の教会の森本君が代筆したものなので、彼にも挨拶をさせてください」。

森本和道氏(1968年・昭和43年) 「おそらく中山亀太郎寮監に一番怒られたのは私だと思う。お風呂で大騒ぎしていたら、外で中山先生が「静かにしなさい」と言っている。私は誰かまねをして脅かしていると思いこみ、洗面器にお湯をためてバッシャとかけたら、何とご本人(大爆笑)。怒られました。また、バス通りにいまでもポストがありますが、当時あれは動きました。寮のところにあれば便利だと持ってきて寮の門のところに置いた(笑)。次の朝中山寮監が『誰ですか、これを持ってきたのは。すぐに返しなさい』ときつく怒られました。
 また、お広前の横の図書館を雀荘にしてしまい、中山寮監によく『麻雀の麻は麻薬の麻、気をつけてください』と注意されました。アホなことばかりしてきたが、いま思い出すのは、小金井教会にお参りする先生の後ろ姿である。本当にここでお育ていただいたとしみじみいまとなって感じている。ここからのさらなるご発展を祈っている」(つづく)

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このページは、つっさんが2010年5月12日 17:57に書いたブログ記事です。

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