第28回金光教東京平和集会 1

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  第28回金光教東京平和集会は、一気に梅雨が明け、灼熱の太陽光が照りつけた7月18日、金光教館(東京教会)イーストホール、いずみホール、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を会場に、約200名が集まり開催された。

 このたびも「学ぶ」、「行動」、「祈る」の3本柱のもと、「学ぶ」ではアートディレクターの水速信孝氏による戦争体験紙芝居「大阪大空襲と学童疎開」、「大人のひろば」、「子供のひろば」をもち、「行動」では、金光教館から千鳥ヶ淵戦没者墓苑までの「平和行進」、そして「祈る」では、墓苑の前での「祈りのつどい」を開催した。

DSC_0044.jpg 12時、総合司会の森本幸恵さんが開会を告げ、早速に水速氏の講演が始まった。水速氏は、京都市立美術大日本画科卒業。1958年にNHKに入局。テレビ美術デザイナーとして、「雲のじゅうたん」、「夢千代日記」などの美術を担当された。1990年に定年退職後、フリーの舞台・テレビ美術デザイン アートディレクター、画家として活躍されいる。

 その水速さん、幼少の頃は大阪市天王寺地区でお育ちになり、国民学校5年生の時、1945年3月13日の大阪空襲とその年の8月9日、疎開先の佐賀県で長崎に落とされた原爆に遭遇された。

         DSC_0049.jpg                戦後60年近く戦争の記憶を絵に描くことができなかったそうだが、戦争へと舵を切るかに見える日本社会の動向を憂い、2006年のご自身の個展を期に、戦争を知らない世代に伝えなければと、目に焼き付いたあの戦争の記憶を15枚の水彩画にして、それをもとに紙芝居を制作され、現在は小学校や学童クラブで読み聞かせの活動をされている。

 水速さんは紙芝居のプロではなく、画家。いわゆる本職の紙芝居調ではないが、絵を示しながらの淡々とした語り口に、逆にその悲惨さが伝わってくる。真っ先に跡形もなくなっている彼女の家に行ったことや、数日後に自転車で墜落したB29を見に行ったお話、疎開先の佐賀県で原子爆弾を見たお話等々、人間の底力というか、たくましさというか、私がもしその場にいたらどうであったか、と私は深く考えさせられDSC_0064.jpgた。

  最後に焼夷弾の詳しい説明の後、水速氏は、生きたくてもいのちを奪われた人たちが大勢いたことや平和の尊さを語り継ぐことがあの戦争を生き延びてきた私の自身の使命だと語られた。(つづく)

 

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このページは、つっさんが2010年7月26日 14:56に書いたブログ記事です。

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