第28回金光教東京平和集会 7

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 戦争の本質、実際の戦争とは、「人間の体を切り裂き、えぐり、貫き、砕き、断ち切って、おびただしい流血を強いる」ことであり、「殺し、殺される」こと、「焼き、焼かれる」こと、そして大量殺人であり、「痛くて、臭くて、心細くて、腹が減り、辛くて、苦しくて、悲しい」ものである。
 
 それから、戦争は死ぬだけでなく、心身ともに後遺症で苦しみ、一生を棒に振る方もおり、被爆の被害は孫子まで残ると言われる。そして家族を巻き込み、崩壊させる。戦争は1回起こしたら50年、100年終わらないのだ。


 以上から、私たちは「決して軍隊は国民を守らないこと」。指導者、権力者は常に安全地帯にいて、軍産複合体の構造の中で指導者のみ儲かるということ。被害者は、敵も味方も一般民衆であること、

 すべての争いが「私は正しい、悪いのは向こうだ」という考え方から出てきているので、そうではなく相手の立場で考えていく視点を持つということ、それから最近「記憶の共有」という言葉がよく言われている。国家の加害、被害を越えて世界人類として、同じ一人ひとりの人間の目線で、歴史の共有を目指すことを教訓にしたい。

 これは今日も少し触れた沖縄の基地問題もしかり、もし自分が沖縄に住んでいたらどうなのか?他人事ではなく、自分のこととして答えを求める姿勢が大切ではないかと思う。

 最後に、私たちは幸いにも、戦争を完全に否定してる世界唯一の憲法を持っている国に住んでいる。神様の子ども同士が相争うことなく、世界人類のかけがえのないひとりの人間として、暴力を普遍的に否定していく確かなメッセージを発していく努力が必要だと思う。

 それから今日はあえて悲惨な写真、おぞましい光景の写真はいろいろと問題があることから使用しなかった。しかし、インターネットや写真集などで戦争の実態が公開されているので、それぞれのところで見ていただきたい。プログラムにこちらでわかる範囲で、お勧めの写真集、お勧めの映画や今回参考にした書籍やその大事なところを抜粋したものを掲載させていただいているのでご参考までにお読みください。

参考1 『戦争プロパガンダ10の法則』アンヌ・モレリ
(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

参考2 『戦争絶滅請け合い法案』
(20世紀初めにデンマーク陸軍大将フリッツ・ホルムが起草。日本では1929(昭和4)年に長谷川如是閑が紹介)
戦争が始まったら10時間以内に次の人から最前線に一兵卒として送られる。
第一に国家元首。
第二に国家元首の男性親族で16歳以上の者。
第三に総理大臣、国務大臣、官僚のトップ。
第四に国会議員(但し戦争に反対した議員は除く)。
第五にキリスト教その他の高僧であって、公然と戦争に反対しなかった者。

参考3 「実際の戦争はいまも昔も同じ」
 「島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』(岩波新書、2006年)」から抜粋
2003年、ジャーナリスト綿井健陽氏が体験した戦争現場
 「私がバグダットで取材した「イラク戦争」の実像とは、破片が人を殺していくということだった。ミサイルや砲弾の小さな、ほんの小さな破片が人を殺傷していく。空爆の恐怖や被害は、ミサイルや砲弾が直撃することだけでない。炸裂した爆弾の無数の破片が周囲数百㍍にまで無差別に飛び散る。そして、その砲弾の、小さな、ほんの小さな破片が、頭に突き刺さり、内蔵をえぐりだし、四肢を奪い、目を潰す。それが「ピンポイント爆撃』や、『精密誘導爆弾』の実態だ。
(綿井健陽「フリージャーナリストの戦場取材-イラク戦争の現場から」

1945年、憲法学者久田栄正氏(故人)が体験した戦争の現場
 「ブウーン」と唸りをあげて砲弾の破片が飛び散る。破片は、夕方前に降ったスコールの水溜まりにジュウンという音を立てて突き刺さりました。すぐ目の前でしたので、その破片を拾い上げてみた。真っ赤な破片が一挙に冷やされたので、青みがかった不気味な光沢を発している。このカミソリの刃のような鋭い破片が心臓に当たれば心臓をえぐり、首根っこに当たれば、首が飛び、腕にあたれば腕を飛ばしてしまう。そう思うと恐ろしくなって、すぐに脇に捨ててしまいました。
(久田栄正・水島朝穂『戦争とたたかう-一憲法学者のルソン島戦場体験』) 

参考4 「空爆の特徴」 田中利幸『空の戦争史』(講談社現代新書、2008年)から抜粋

突然
きらめく青い閃光
ビルが朋れる
炎が燃える
渦巻く煙のなか
たれ下った電線の下をくぐりながら
逃げていく人の群

 広島の被爆詩人、栗原貞子の作品の一節である。栗原が描いた原爆投下直後のこの状況は、原爆に限らず空爆直下におかれた人間が共通して経験する、言葉では表現しきれない恐怖である。空に突然怪物のような爆撃機が猛烈な爆音をうならせ飛んでくる、あるいは鋭いミサイルの高音を耳にしたと思うやいなや、恐ろしい爆発が自分の目の前で起きる。爆風で飛ばされる、腕がもぎとられる、足が吹っ飛ぶ。
一方、1927年5月、大西洋横断飛行に成功した人物として知られているチャールズ・リンドバーグは、太平洋戦争で航空攻撃作戦に参加した自分の経験から、空爆するパイロットの心理を次のように描写している。
(爆弾投下の)ボタンを押せば、下では死体が飛散る。ある時点までは自分の飛行機の腹部に下げた無害な爆弾を、自分が完全に制御している。ところが次の瞬間に、その爆弾が音を立てて落下していくや、自分にはもはやそれを回収する力が全くない。
  中略
苦痛でのたうち、ずたずたに裂かれた身体がどうして私に見えようか? 私の飛行機の周りにある空気が、(自分が)投射した爆弾がもたらした見えない結果でおおわれることがどうしてありえようか?(私の真下の地上で起きていることは、私にとって)地球の裏側で行われている戦闘の結果をラジオ・ニュースで聞いているのと変わらない。あまりにもかけ離れた、現実性をおびない出来事なのだ。
        (チャールズ・リンドバーグ著『チャールズ・リンドバーグの戦争記録』)
 このように、数百メートル以上の上空から爆弾やミサイルを投下する爆撃手やパイロットに見えるものは、眼下の抽象的な「標的」のみである。空爆にさらされた人間にとっては、目の前に展開する「死のうめき」というあまりにも具体的すぎる恐怖である。わずか数百ないしは数千メートルという距離の間で、上空にいる人間は、地上にいる相手がどのような状況に置かれているのかを想像する力を完全に失っている。あまりにも対照的なこの「抽象」と「具体」の同時存在が、空爆の特徴である。
 近現代の戦争において空爆が拡大されてきた多くの理由の一つに、攻撃する側の被害者
に対するこの全くの理解不能、想像力喪失が挙げられよう。
 われわれは、倫理的想像力をできるだけ強く働かせ、被害者である市民の目で「空から
の恐怖(テロ)」を凝視してみる必要がある。

お勧めの写真集
太平洋戦争写真史『硫黄島・玉砕の記録』 月刊沖縄社 1987
グラフィクレポート『昭和史の消せない真実』 岩波書店 1992
写真集『原爆を見つめる1945年広島・長崎』 岩波書店 1981
『死者が語る戦争』 河出書房新社 1995
『不肖・宮島 死んでもないのに、カメラを話してしまいました』in イラク  アスコム 2003
日本最後の戦い--沖縄戦記録写真集   月刊沖縄社 1987
日本最後の戦い 第2版         月刊沖縄社 2000 

お勧めの映画
『プラトーン』 オリバー・ストーン 1986年 (ベトナム戦争)
『ひめゆりの塔』神山征二郎 1995年  (太平洋戦争)
『華氏911』 マイケル・ムーア 2004年 (イラク戦争)
『硫黄島からの手紙』 クリント・イーストウッド 2006年(太平洋戦争) 
『父親たちの星条旗』 クリント・イーストウッド 2006年(太平洋戦争)
『勇者たちの戦場』 アーラウイン・ウィンクラー 2006年 (イラク戦争)
ドキュメンタリー映画『ONE SHOT ONE KILL-兵士になること』2010年

参考文献
島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』(岩波新書、2006年)
吉田敏浩『反空爆の思想』(NHKブックス、2006年) 
田中利幸『空の戦争史』(講談社現代新書、2008年)
アレン・ネルソン『戦場で心が壊れて-元海兵隊員の証言』(新日本出版社、2006年)
前田哲男『戦略爆撃の思想』(朝日新聞社、1988年)
山井教雄『まんが 現代史-アメリカが戦争をやめない理由』(講談社現代新書、2009年)
吉田敏浩『ルポ戦争協力拒否』(岩波新書、2005年) 
加藤尚武『戦争倫理学』(ちくま新書、2003年)
アマルティア・セン『人間の安全保障』(集英社新書、2006年)
小田実『戦争か平和か』(大月書店 2002年)
C・ ダグラス・ラミス『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』(晶文社、2003年)
『東京・ゲルニカ・重慶 空襲から平和を考える 岩波DVDブック』(岩波書店、2009年)
荒井信一『重慶爆撃とは何だったのか もうひとつの日中戦争』(高文研、2009年)
アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社、2002年)

 

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このページは、つっさんが2010年8月11日 16:52に書いたブログ記事です。

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