沖縄遺骨収集 7 奉仕者懇親会に参加

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 遺骨収集終了日の夜は、林先生のご子息のお店である「ヘルシーダイニング キュアハート」で懇親会が開かれた。何と遺骨収集参加者100人の約半分の50人以上が参加。お店のテーブルを全て片付けての立食パーティ。

 那覇教会のご信徒が「ぜひ懇親会を開きたいと」と願いを立てられ、当日はそれぞれ司会や受付、接待等々の御用に当たられた。遺骨収集の準備、後片付けと大変な中でのおもてなしに頭がさがる。司会は島袋さん。沖縄弁の名調子で楽しい。

 と思ったら、一班の班長ということで、いきなりマイクを向けられた。そこで「今回は関東から寮生等学生が5人参加してくれた。ただ参加するだけでなく、映画『ひめゆりの塔』やNHKスペシャル『最後の県知事島田叡』や沖縄戦を描いた漫画なども見てもらって事前に学習してきた。初参加者でご遺骨の発見もあり、実際に現地の雰囲気に触れて、平和の尊さを実感できたと思う。大変ありがたい2日間であった」と挨拶した。

 その後、教外からの初参加者の方にも感想を述べていただき、それぞれ想像していた以上の体験をされたようで大変ありがたいことであった。こうして初参加者からベテランまで、アメリカのロンさん夫妻も挨拶された。そこで思わせていただいたのは、人と人とのつながりであった。

 もちろん遺骨収集の内容そのものに意義を感じての参加であるが、最初のきっかけや何回も何十年も参加されている方々にとっても、それぞれの人格に触れ、仲間意識が生まれ、「あの方が参加するなら私も」とか、「1年に一度はみんなに会いたい」といったつながりから、多くの参加を得ていることがよくわかった。 

 老若男女、皆さんいい方ばかりである。こういう人ばかりなら戦争は絶対におきないと本当に思う。泡盛もすすみ、時間も経つのも忘れて交流を楽しんだ。あっという間のひとときであったが、「また来年」との声を掛け合いながら、それぞれのホテルに帰っていった。

 次の月曜日は夜に那覇空港出発なので、一日時間がある。若手たちは沖縄に来る前は、「せっかく来たのだから、あちこち観光を」と考えていたようだが、結局、「ひめゆりの塔」、「轟の壕」、「嘉数高地激戦地跡(普天間基地を展望)」、「嘉手納基地」等、平和に関する場所だけを回ったとのことであった。

 こうして最終日もあっという間に過ぎ、午後10時頃無事羽田空港に到着、バスで12時前に国分寺到着、12時頃無事帰寮させていただいた。今回の体験をぜひまわりの寮生や友人たちにも話して聞かせてほしいとお願いしたら、数日後近藤君が早速に次回の月例祭でみんなの前で話させてほしいと申し出があり、大変嬉しく、先日寮生たちの前で話してもらった。(つづく)

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このページは、つっさんが2011年3月10日 21:30に書いたブログ記事です。

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