沖縄遺骨収集 6 慰霊祭へ

| コメント(0)

 寮生3人はまだまだ残りたい感じではあったが、誠に残念ではあるが時間も迫っているので帰路につくことにした。するとあの黒アゲハ蝶が一匹現れ、私たちの歩く横を並んで飛んでいく。

 私は後ろを歩いている息子に向かって、「御霊様が私たちを見送ってくれて、ありがとうとお礼を言っているかもね」と話しかけた。私の場合はこれまで4回とも一日に1回、それも一匹だけが現れる。比較的暖かい日は、普通なら複数で飛んでいても、また、何回も現れてもおかしくないのに、これも不思議の一つである。

 その黒アゲハ蝶がさっと前方に飛んでいった。しばらく歩くともうすでにどの班もいないと思っていたら、かなりの大人数がまだ作業をしている。2班と3班のようだ。何とまた黒アゲハ蝶が飛んでいった方向である。結構、最終日の作業終了ぎりぎりになって発見されることがよくあるのだ。ここでも大腿骨やあごの骨等が収集されたようだ。
                  
 今日は時間がないので、撤収の準備をしているとのこと。私たちは一旦霊園まで帰り、みんながすべて本部に帰るまで待つことにした。雨は相変わらずしとしとと降っている。しばらく待つと2班、3班が上がってきた。

 ふと霊園奥にあるトイレを見ると、誰かがホースで水を出している。あわてて近づくと現在北九州教務センター所長の安武光先生だった。私と学院が同期である。2班の機動班濱出先生にもお手伝いいただいて、トイレ掃除をさせていただいた。

 男子、女子トイレともべっとりと土がついているために、なかなかとれない。寮生らがよく頑張ってくれて、かなりきれいになった。すでに4時を回る。私と濱出さんは慰霊祭での玉串の奉奠がある。濱出さんが「まだ間に合う。この辺でいいでしょう」との声に、あわてず急いで本部テントに向かった。一番最後は3班の数人の方が梯子などの道具を洗って最終チェックをしていただいた。

 私たちは、林先生ご祭主のもとに仕えられていた慰霊祭の玉串奉奠に何とか間に合った。厳かに仕えられた後の林先生のご挨拶は、いつもとは少し違い、時々感極まって声が途切れ途切れになる。沖縄遺骨収集の願い、経過、ご活躍された今はなき先生方のこと等を詳しくお話になり、私も何度も涙がこぼれそうになり、厳粛な気持ちの中に本年の遺骨収集を終えさせていただいた。(つづく)

コメントする

2012年4月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

このブログ記事について

このページは、つっさんが2011年3月 6日 17:28に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「沖縄遺骨収集 5 第2日大石除去作業」です。

次のブログ記事は「沖縄遺骨収集 7 奉仕者懇親会に参加」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: