気仙沼ボランティア報告② (6/10~6/19) 4

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 少し戻るが、陸前高田市の様子。嶋田先生から当時の状況などの説明を受ける。このバスは見事に上半分がない。どういうことになったらこうなるのか、想像がつかない。

P6121006.jpg P6121014.jpgP6121012.jpg P6121010.jpg 次に気仙沼市の南の方へと向かう。書き忘れていて申し訳ないが、金光教首都圏地震等災害ボランティア支援機構が活動を始めた当初から今日まで現地でご活躍中のTさんの友人で、昨日一般から参加しているSさん(女性)も合流している。

 途中4千万円強盗事件があった銀行を左手に見ながら進む。この辺りは、いかの塩辛の製造工場が多く立ち並んでいるとのことで、冷凍庫が全部流され、地震当初の臭いは凄まじかったという。

 昼食は普段なら観光客で賑わう大谷海岸の唯一開いているドライブインへ。気仙沼教会長の奥様先生手作りのおにぎりを頂く。折角だから男子寮生たちとラーメンを頂く。食べ終わり、海の方へと歩いてみると、壊れた足下のコンクリートの向こうに線路が見え、何とその隣は気仙沼線の大谷海岸駅であった。気仙沼線は3か月経たいまも全く手がついていない。復興どころか、復旧もままなっていないのがわかる。

 P6121024.jpg P6121029.jpgP6121030.jpg その後、気仙沼に戻ったがまだ時間はある。夜中に走ってきて、また本日の夜中に運転して帰るので、夕食まで休んでおくように指示した。しかし、気がついたら全員近くの南町一丁目の民家に向かっていた。他の本教関係者が作業中とのことでそちらに合流した。  
 

 昨日2階の壁紙剥がしの作業をさせて頂いたお家の近くの側溝の石よけと側溝の掃除を手伝った。Sさんもスコップを持って活躍。寮生たちは学校等があるので、残念ながら作業は2日間で、あっという間に時間も過ぎ、御祈念の後、寮生ら7名は帰京した。

P6121034.jpg P6121062.jpg P6121063.jpgP6121052.jpg 御祈念が終わって、私だけがあと一週間残ることになっていることについて、ある寮生が教会長先生に「それでは、寮監をよろしく」と挨拶したのが、後々の語りぐさになった。よくできた学生だとみんなから褒められ、鼻の高いことであった。

 一昨日も東京学生寮集会室で報告会を開いたり、記録DVDを作成して情報を発信しようとしているなど、今回のボランティア体験で学んだことを忠実に実行しようとしている姿に、嬉しい気持ちで一杯だ。(報告会等の詳しい内容はまた連載後半で)。

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このページは、つっさんが2011年7月 1日 08:52に書いたブログ記事です。

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