気仙沼ボランティア報告② (6/10~6/19) 5

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P6151178.jpg(体験記4で書いた4千万円がなくなったといわれている銀行)

 さて、私が入って三日目は、松島で行われる東北教区の教師集会に気仙沼教会長が参加するため、嶋田先生と共に同行させていただき、途中通る南三陸町や松島北部等々を視察した。南三陸町に入る手前の道路は寸断され、通行止め。山間を大きく迂回する。

P6151182.jpg P6151184.jpg 途中、大渋滞。そしてなぜか機動隊員が交通整理をしている。それも行くほどにカーブカーブに機動隊員が立っている。「おかしいなぁ、絶対に機動隊は交通整理などしないと思うけど、警察官足りないのかな?」と言いながら、のろのろと進んでいくと、何とその機動隊の青い装甲車が、側溝にタイヤを落としてしまって横倒しになっている。

 狭い道なので、おそらく離合に失敗したのだろう。余裕を持って出たので事なきを得たが思わず笑ってしまった。松島に入ると景色は一変。何と普通なのだ。海沿いでもほとんど被害を受けていない。会場のホテルの方に聞いてみると、「大小300弱の島々が津波の防波堤となった」とのことであった。防災工学の研究に大いに役に立つのでは。今後の研究に期待したい。

 昼前にホテルに到着。駐車場で東北教区の所長と挨拶、近くにお魚センターがあるとのことで、そこで昼食をとることに。私はマグロラーメンを頂く。これが相当美味。わが故郷勝浦にはない。

 そこに、ご本部当局の先生2人と、随行職員、東北教務センター職員が入ってきた。元寮生のA先生もいて、私の姿を見て皆さんびっくり。その後、会場に先生を送り、東北教区にも知っている先生が結構いるのでご挨拶申し上げた。

 集会講師の神戸のT先生ともお会いできた。T先生は、阪神大震災の時に教会お広前をボランティアの宿舎として解放された先生で、阪神大震災の時には私も大変お世話になったことがある。

 さすがに今回の集会は時間がかかっているようで、ようやく5時頃に終了。帰りは私の運転で、途中夕食をいただいて帰った。南三陸町を通る頃は日も完全に落ち、真っ暗闇。何もない瓦礫の中を走っていると三人乗っていても恐いくらい。一人では恐くて運転できないであろう。

 おかげで、往きの機動隊車が立ち往生していた迂回道路を走るとき、ちょうど自衛隊の車列の中に入り、先導車を着けての走行と同じようになった。大変ありがたかった。真っ暗闇の山間の道路の運転も初めてであったが、外灯のありがたみを改めてつくづくと知った。(つづく)

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