「手弁当の精神どこに」の記事に思う。

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 最近はアイフォンで産経新聞が無料で読める。いつもは朝日や毎日新聞を読んでいるので、「なるほどこう来るか」と結構楽しい。

 今日の産経新聞一面には「小さな親切、大きなお世話」という欄に作家の曾野綾子氏のコラムが出ていた。曾野綾子氏はかつてある本で、「近所つきあいの挨拶など時間の無駄だからしなくていい」というような趣旨のことを書いていた。非常に個人主義的で「自立」を重視する方で、私には少しきつすぎるのではと思っていた。

 しかし、今日の「手弁当の精神どこに」という記事にはなるほど思うところもあった。東日本大震災による津波で多くの教員、生徒が亡くなられた大川小学校の話である。しゃれた作りの小学校にもかかわらず、なぜ裏山に避難路を作ることができなかったのか。

 普通は行政や学校に責任があるのだが、曾野氏は昔ならこういう場合、父兄が手弁当で勤労奉仕に出て避難路を作ったものだという。行政がやるのは当然だが、どうしてもできないところは自分たちでやる。

 現在のようにお互いに非難合戦で傷つけあうのはどうか。「とくに、自分のお金や労力を、自発的に持ち出して何かをする、という行為が損のような社会の空気を作ったのは誰だっただろう」と。  

 なるほど、政治や行政は責任をたらい回し、言い訳ばかり。住民一人ひとりも全てを行政任せで結局誰も責任をとらない全体として無責任体制ができあがってしまう。しわ寄せが、少数や弱者といわれる弱い立場のところのいき、その犠牲の上に成り立っているシステムを結局は容認してしまう。

 現在の「自己責任」という個々人の責任を重視しながら、結局誰も責任をとらないというあり方から、個人では責任をとりようもない事柄はあると押さえ、だからこそとれないところを互いに補い、助け合うという精神、もちろん自分でできる範囲は精一杯努力した上で、それでもできないところを「自分たち」で助け合いながら進める。そういう社会であってほしい。

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このページは、つっさんが2012年1月27日 17:32に書いたブログ記事です。

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