寮に「黒アゲハ蝶」出現

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 さっき妻がベランダで洗濯物を干しているとき、「黒アゲハ蝶だ」と叫んだ。1月ほど前に緑のカーテン用に植えたゴーヤの花が咲き、そこに飛んできたのだ。私はその声にすぐにベランダに出ると、寮では見たことがない立派な黒アゲハ蝶が、ゴーヤの黄色の花のところを飛んでいた。

 奇しくも今日23日は沖縄「慰霊の日」。沖縄遺骨収集時本部になる糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。黒アゲハ蝶は、私に「この日を忘れるなよ」と沖縄から飛んできたかに思えた。

 この「忘れない」こと、戦争の悲惨さを語り継ぐことについて思い出すことがある。以前にも書いたかもしれないが、修学旅行に来た女子高校生が、ひめゆり学徒隊生き残りの方の話を聞いて、「全然、私の心に響いてこない」意味の発言をして、先生たちの間で問題となった話である。

 詳細を覚えてないので、だいたいのところで申し訳ないが、その女子高生にとっては、ひめゆり学徒隊の方は、年はもちろんおばあちゃん以上に離れており、また、どうしても特別な人と思えて、距離がありすぎると感じたようだ。だから、いくら悲惨な話をされても、実感できないと。

 それがある時、その女子高校生が、ひめゆり学徒隊に入隊させられる前の普通の日常の生活をしている笑顔の写真を見たとき、「自分たちと同じだった」と思ったという。つまり、ひめゆり学徒隊の方の67年前は、私たちと同じ年頃の女学生であり、笑顔で談笑しているときには、まさかそこに日本軍がやってきて、そしてアメリカ軍がやってきて、地獄絵になろうとは全く想像もしてなかっただろうと。

 それは今現在を生きている私たちもまた、「まさか外国の軍隊がやってくる」とは誰も思ってない、それと全く同じだと。ひめゆり学徒隊の方たちもまた平穏な幸せな日々があったのだと。そこに気がついたとき、はじめてその当時の苦しみ、悲惨が実感できたという。

 戦争体験が風化することはどうしようもない。しかし、その当時を追体験することによって、「私たちと同じだ」と気がつき、実感としての戦争を感じることができると思うし、戦争を知らない私たちだって、戦争を語ることはできると思う。

 体験談や映画、本に学びながら、実際に沖縄遺骨収集などで追体験した若者たちもまた、自分事として戦争を考え、またそれを次につなげようとしてくれている。9月に所用で上京される那覇教会長の林先生が、わざわざ寮にも寄って下さり、お話を承ることになっている。寮に出現した黒アゲハ蝶も喜んでくれているように思え、ありがたいことである。

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このページは、つっさんが2012年6月23日 13:26に書いたブログ記事です。

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