東京学生寮7月月例祭・食事会

 7月の月例祭は、運営委員長代行で神奈川教会長福田光一先生ご祭主のもとに仕えられ、引き続いて下記概要の教話を頂いた。

 「金光教は『話を聞いて助かる道』と言われていると共に『話を聞くだけか能ではない。わが心で練り出せ』とも教えられている。昨日のテレビで、東大に合格した母親の教育論が紹介されていた。

 その1つの例として、桃太郎の話をただ聞いてそうだったのかと聞くだけでなく、なぜ桃太郎は鬼退治に行ったのか。その物語を自ら創造してもらう。例えば、実は桃は3つ流れてきて、桃太郎には桃次郎という弟とピーチ姫という妹がおり、そのピーチ姫が鬼に襲われて鬼ヶ島に連れて行かれたので助けに行ったと、もとの話を膨らませて、想像力や創造力をつけさせる教育が紹介されていた。

 皆様もただ話を聞くだけでなく、信心生活の上で例えば神様から見ればどう見えているのかという視点で事柄を組み立て直してみる。そうすることで日常の生活を豊かに生きることができていくと思う。この東京学生寮というお道の仲間が集う良き環境の中で、それぞれ成長して頂きたい」。

 引き続いて恒例の食事会。今回は中国からの留学生2名による本格中華料理。所狭しと並べられて数多くの料理は彩りも豊かでもちろん美味。寮生一同大喜びであった。また、このたび中国からの留学生Tさんが帰国するとこになり、ささやかながら記念品を贈呈した。

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東京学生寮6月月例祭・食事会

 東京学生寮6月の月例祭が、運営委員の田中美和子先生(練馬教会)ご祭主のもとに仕えられ、その後、後掲の教話を賜った

教話 『信心の稽古』      

天地の働き
 ただ今は、東京寮6月の月例祭を皆さんと共にお仕えさせて頂き、有難いことと存じます。私は今年から運営委員としてご用をさせて頂くことになりました、練馬教会の田中美和子と申します。開寮記念祭に初めて皆さんにお目にかかりましたから、今日は2回目ですね。私はお話をすることは不慣れですが、今日のお話の中でみ教えを1つでも心にとめて頂ければ有難いと思います。

 岡山の御本部では4月に3回に渡って天地金乃神大祭が仕えられました。引き続いて全国各地のお教会でも大祭が仕えられ、私がご用をしています練馬教会は先週の日曜日28日に練馬布教30年天地金乃神大祭が無事仕えられました。さて、皆さんもよくご承知でしょうが、天地金乃神様は、人間を始め、草木動物など地上に生きる命ある全ての万物を生かし育む働きをして下さっています。「天と地の間に人間がいる。天は父地は母である。人間、また草木など天の恵みを受けて地上に生きているのである」とみ教えにあります。練馬教会から歩いて7・8分の所に石神井川が流れていまして、川沿いに桜が数十本植えられています。私が練馬に来た26年前はまだ枝も細かったのですが、今は立派に育ってちょうど川にしだれる状態で花が咲くと満開の時期は素晴らしく綺麗なんです。有名な目黒川の桜も綺麗ですが、あれをコンパクトにした感じなんですね。東京寮でも毎年お花見をされて、今年も大変盛り上がったみたいですね。教会ではちょうど勧学祭の時期なので、勧学祭後にお弁当とシートを敷いて、お花見をしました。近隣の家族連れや若いグループで賑わっていました。桜が満開の時期はお花見をしたり、買い物途中や駅に向かう途中で足を止めて、スマホで写真を撮ったりと賑わうんですね。ところが、秋や冬の枯れ葉や枝だけになった時期に足を止めている人はいませんよね。

 教会の庭に、色んな草木が植えられていまして、桜の時期が終わる頃にカイドウという形は桜に似た花をつけるんですがその花が咲き、シャクナゲが咲き、5月はツツジが咲きます。今は紫陽花が満開です。私はホースで水を蒔くだけで、特に手入れをすることもないのに、時期が来ると順番につぼみが膨らんで、綺麗な花が咲き出すんですね。天地自然の働きをより実感することができるこの時期は、神様のお働きが目に見える形で実感できますね。みんながあまり目にとめない枯れ葉の時期でも、神様の働きはいつもあるんです。同様に私たち人間も毎日欠かすことなく天地の働き、恵みの中に生かされて生活させてもらっているんです。このことを当たり前と受け止めて過ごすか、感謝の気持ちをもって生活するか。どちらをとるかで、その人の生き様、人への関わり方、人への思いが随分と違ってくるように思います。自分の力で生きているとか、自分の事を第一にする生き方を改めて、天地の恵みの中での私であると受け止める。人(他人)も自分と同じように天地の働きの中で、大切な命であると思えると、人に対しての心配りや思いやりの心が生まれると思います。

人を祈る稽古
 私は教会に生まれ、幼い頃は教会にいつも信者さん方がおられ、少年少女会で上級の信者さんのお子さんたちに遊んでもらって、楽しく過ごしていました。典楽でお琴をしていましたから、月例祭はお参りしていました。受験や旅行に行く前にはお結界でお願いをすることはありましたが、金光教の神様とはどういうものかとか、信心ってとかあまり考えていませんでしたね。いよいよ両親から勧められて学院に入学することになりましたが、教典を開いたこともない、教内の本を読んだこともない、いい意味で真っ新の状態でしたね。入学しましたら、年齢の近い人も多く、緊張状態がそう長く続くこともなく、良い同期に恵まれたと思います。同年代のから50代60代の人まで幅広く、色んな刺激を受けながらも体力的な修行、精神的な修行をさせて頂きました。

 学院広前で、毎日朝晩のご祈念の時に、お世話になっている学院の先生、学院生全員の名前を読み上げるんです。一人ひとりを祈る稽古として毎日全員で名前を読み上げるんです。例えば具合が悪くて参拝してない人のことを学院のお結界でお願いをするようになるんです。私の班に60代の方がおられ、体力的に相当大変だったと思います。真夏でも黒衣で本部広前に朝と夕方参拝に行きますからね。夏が過ぎた頃に、胃潰瘍で倒れられてしばらく金光病院に入院されることになりました。この時私は金光様にお結界でお取次を頂いて、同じ班の人と一緒に御神米を入院先に届けさせてもらいました。それまでお願いをするといえば自分の事ばかりでしたね。おかげを頂かれて無事回復され、共に1年間の修行を終えて、一緒に卒業させて頂きました。

 人を祈ることは、教師もご信者さんも信心の稽古として実践しておられますね。年と共に生活の状況が変化して、結婚し子供が生まれるとあらゆる事柄が起きてきます。皆さんはまだ実感が薄いでしょうが、子供が熱を出す、怪我をする、頭を強打して入院をする、神様に心を向けなさいと次々と事柄を通して修行をさせて下さるんです。

 子供や家族のことは自分の事のように必死になって神様に向かいます。皆さんのご両親も毎日ご祈念をなさっていると思います。次にお話するのは、私の失敗談です。ある日突然長女の同級生のお母さんが尋ねて来られました。そのお子さんは中学から私立の学校に通われましたので、小学校6年間だけ一緒でした。6、7年ぶりでしたから、子供の話や今どうしてるかとか世間話から始まって、実は娘が一浪して今は予備校に通ってるとのことでした。

 ところがその日の朝、玄関先を掃除していた間に空き巣に入られたようで、財布が無くなってしまったというんです。そして予備校の後期の授業料を今日中に支払わなければならないので、同級生のお宅に何件か回って来たんだけど、少しでもいいのでお金を貸してもらえないかと深刻そうな表情で言われました。それは大変だったねととりあえず3万円を貸したんです。「来週の金曜日には返すから」と言って、帰って行きました。約束通り金曜日にまた尋ねて来て、きちんと返してくれました。そして一カ月も経たないうちに、また尋ねて来たんです。実は実家の父の会社が不渡りを出して、困っていると言うんです。トラブルというのは続くものなのかなと思いました。確かに目に涙も溜まってたんですね。不安に思いつつ、こんな事で足しになるかどうかと前回と同じ額を貸しました。「来週必ず返すから」と言葉を残して帰りました。

 ところが1週間2週間、1か月経ってもきません。そしてたまたま買い物途中に会った子供が仲良くしていたお母さんに会って、実はこういうことがあったんだけどと話をすると、うちにも借りにきたと。同じように2回貸したよと。話してるうちに2人ともだまされたんだという気持ちが増してきて、許せないと2人とも怒りの気持ちが湧いてきました。数日してその人と一緒に家を訪ねてみましたら、都営住宅ですが、既に空室で、なぜかドアに張り紙があって、お尋ねの方は下記の所へお電話して下さい、とありましたが、その電話番号が破られていました。ご近所の人にも電話で尋ねますと、2人の人はそんなの本当か分からないし、貸してないよといわれました。もう1人の人は以前から優しい人のいい人だという印象がある人ですが、尋ねると「貸したけど、まだ返してもらってないよ。きっと会社が大変な状態なのかなあ」とのんきなことをいってましたが。

 あきらめるしかないと思いつつも、ふと思い出してはイライラしていましたね。長女の成人式の着物のレンタル代として少しずつためていた分の一部でしたから、余計に腹がたってしょうがなかったんです。腹を立てたりイライラしても、何も徳もしないです。あるときこのみ教えが目につきました。『金を人に貸し、催促をして相手を破産させたりするより、神に繰り合わせを願ってあげよ。払ってもらって喜び、払って喜ぶようになれ』と。それからは神様に心を向けて、その人の事を祈る稽古をしようと決めまして、その人が2度と間違ったことをしませんように、人に迷惑をかけることのないようにと祈るようになりました。家族や身近な人、ご信者さんのことは真剣に自分の事としていのることは自然にできます。しかし、自分にとって迷惑ないやな存在である人を祈ることは本当に難しいです。『人の身が大事かわが身が大事か、人もわが身もみな人』『たとえひとにたたかれても、決して人をたたいてはいけない。人に難儀をさせるな。よい心にならせてもらえば有難いと思い、すれ違った人でも拝んであげよ。できるだけ人を助けよ』難儀な人を見るに見かねてその助かりを祈ることは、やがて自分の助かりにつながると教祖様は教えておられます。

 冒頭に話しましたように天地の恵みの中の私であり、同じように人(相手)も天地の中の大切な命であると受け止める。あのひとは迷惑だ、憎い、という心をいつまでも心の中に持ち続けて根に持つよりも、何か事情があるんだろうと私の心持ちを変えて、難儀な人を祈る心になれば自分も助かっていくことになるんです。親子・夫婦・兄弟・会社での人間関係・学校での友人関係・ご近所との関係など、自分の思うように行かないこと事の方が多いですが、このみ教えを思い出して人との関係を上手に運んでいく稽古が大切だと思います。

日常の信心
 始めにお話した教会の庭に桜に似た花を咲かせるカイドウという木が、ちょうどお隣の塀にそって植わっています。年々枝が伸びてきて、切らなきゃと思いながらも忘れてしまいました。お隣の奥さんはマンションの大家さんで、出身が同じ愛知県ということもあって、玄関先で会うと話しかけて下さって気さくな性格でおしゃべりがお好きなので、いつも10分ほどは立ち話をするんです。あるときふいにカイドウの木を見たら、花が終わりかけていて花びらが散ってたんです。話の途中で「すみません、随分枝が伸びてて切ることを忘れてました。花びらが落ちてご迷惑をかけました。掃除しておきます」とお詫びしますと、「大したことないから大丈夫だから。こちらこそいつも綺麗なお花を楽しませて頂いてありがとうね」とおっしゃいました。その日のうちに掃き掃除をしてきました。『人を頼むにも、日常心安くしておかないと間に合わない。神も、日常の信心がなければ、いざという時に間に合わない』とみ教えにあります。苦しいときの神頼みではなくて、日頃何もないときにでも、神様に心を向けたり、日々の出来事の中に神様を感じる稽古が大切ですね。今はお店で買い物をするとポイントがたまりますね。ネットで買い物をしてポイントをためる。たまったポイントを使って買い物ができますよね。皆さんも毎日の生活の中で、例えば朝目覚めて眠くても、ありがとうございますとお礼の気持ちで1日を始める。命があるから目が覚めるんですね。電車やバスの乗り継ぎに待ち時間もなくスムーズに乗れたとか、思わぬ良い買い物ができたとか、何でもいいですが、良いことがあれば素直に喜び、当たり前ではなくお礼の心を神様に向ける稽古をして頂きたいと思います。喜びのポイントがたまっていくと、より一層神様から幸せを頂けることと思います。是非神様を感じる稽古を実践して下さい。

 教話を頂いた後は、恒例の食事会。今回は日本人学生3人によるタレにかなり凝った「生春巻き」、「なすび」の料理、サラダ等々。今回も美味しく頂きました。感謝。

東京学生寮5月月例祭・食事会

 東京学生寮5月月例祭が藤原務正運営委員(赤羽教会長)ご祭主のもとに仕えられ、下記の概要の通り、教話を頂いた。その後の食事会では、中国からの留学生のよるギョウザ、各種サラダ、中華スープと盛りだくさん。今年度最初の月例祭・食事会で懇親を深めた。

教話概要
 「神様、御霊様は目で見えるものではない。また、科学的には証明することはできない。しかしだから無いと言い切れるか。神様、御霊様は心で感じるものである。その感じ方が大切となってくる。その感じ方で、大きく、広く、深く感じる人と小さく、狭く、浅く感じる人がいる。

 小さく、浅く感じる典型は、例えば受験祈願である。試験の前は一生懸命お願いしておきながら、合格してしまえばもう忘れてしまう。これは感じ方が浅い。広く、深く感じるにはどうすればよいか。それは神様、御霊様を「お働き」として感じることである。太陽の光、熱、空気、水、そしてお土地の働きを得て、私たちはそのいのちの素の食物を頂くことができる。このいのちを支える「お働き」が神様であり、御霊様と感じていく。

 それから、もう一つは神様を「拝む」ことである。それは教祖様が仰っているとおり、親にものをいうように拝むこと。「信心といっても別にむずかしいことはない。親にものを言うように、朝起きたら神にお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへいく時には、行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。そして、帰ってきたら、無事で帰りましたとお礼を言い、夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心になる」。つまり一日4回拝むことになる。親にあいさつすると一緒。

 さらに深く感じるためには、神様を知るということ。これは先ほどお唱えした「神前拝詞」の意味を意識して勉強していくこと。皆さんは身近に寮監がいるので、是非何でも聞いてください。そうすると神様の考え、神様の気持ちがわかり、感じることができてくる。そしてそこから神様の働きを現していく人間にならせて頂くことができてくる。ここからの寮生活、寮の願いにあるように世界、人類に貢献していけるよう成長を願っている」。

4月8日寮お花見会、15日開寮記念祭・新入寮生歓迎会

 おかげをもちまして、本年度日本人学生3名、留学生4名の新入寮生を迎え、スタートした。

 寮お花見会、当初1日を予定していたが、肝心の桜が咲かず、8日に延期、どんぴしゃでのお花見となった。今年も恒例のN先生ご夫妻の焼き鳥屋台が登場。新たに焼きトンのメニューも加わり、一同大喜び。

 開寮記念祭・新入寮生歓迎会は、任期満了で交代した新委員を迎え、執行、開催された。今年も恒例の班対抗「誰の答えでしょう?」ゲームで盛り上がり、しり文字の罰ゲームに歓声が上がった。
 

東京学生寮2017年度卒寮生送別会

3月4日午後7時から、東京寮月例祭の後、2017年度卒寮生送別会を開催した。卒寮生入場、思いでの写真上映、それぞれ在寮生からの送辞、卒寮生答辞、寮監・主事からの贈る言葉、記念品贈呈が行われた。

 寮監の贈る言葉の要旨
 「人間のものさし」は目盛りがあるが、「神様のものさし」は目盛りはない。だから測ることができない。人間のものさしは測れるために、そこに「長・短」、「大・小」、「上・下」、「優・劣」など価値が生まれる。するとその価値を比べて悩んだり、役に立たないものは差別したり、排除してしまう。

 あらゆる不幸は比べることから始まり、現代人の悩みの全てが人間関係にあると言われている。あらゆる不幸は人と比べることから始まる。

 もちろん人間のものさしも必要で、これがないと世界は成り立たない。しかし、この世界は目に見える世界ばかりではなくて、目に見えない世界でも成り立っている。特に現代社会は目に見えるところだけしかないとしてしまったために様々な歪みが生じている。神様のものさしを持ってこの世の中は目に見えない世界でも成り立っていることを知ることが必要。

 神様のものさしで計るということは、比べずに全ての存在を大切にする。だからこそ測らない。目盛りがないから比べようがない。

 では、どうすれば神様のものさしを持てるか。比べるのではなくて、物事を見る、物の見方を変えたり、視点をずらすことで全ての存在の大切さを知っていく。

1 思い込み、固定観念を解くために常識を疑う。目に見えない世界は疑うのに、目に見える世界は疑わない。これは逆。目に見える世界を疑い、目に見えない世界は疑わない。
2 視点をずらす。時間、場所、空間。
3 複眼的に見る。逆も真なり。
 物の見方を変えることによって比べるのではなくて、全ての存在の大切さを知っていく。

 そして神様のものさしを持って全ての存在を大切にしていく生き方として、「おかげ様」「お互い様」で「お先にどうぞ」との3つの「お」の生き方を提唱している。

「おかげ様」
 ものごと「それ常識じゃん、当たり前」と思うところに感謝の心は出てこない。実は当たり前にあることは当たり前にあるものではない。気仙沼でのボランティアで、ある被災者の方が、「地震前の暮らしは、夢のような生活でした」と仰った。その当時ボランティアに行っていた寮生たちは、東京にいる自分たちは「夢のような生活をしているんだ」と当たり前のことが当たり前ではないと実感した。私たちは失ってはじめてものの大切さ、事柄の大事さを知るが、失う前に当たり前ではないと「おかげ様」のこころで感謝していく。

「お互い様」
 今の若者たちはまじめで誠実な人が多い。そして完璧主義で何でも100%を目指す。しかし、所詮人間は弱い存在で100%は無理。だからこそ、「お互い様」と助け合うことが必要。人も100%信頼してはいけない。98%信頼して、あとの2%は相手が間違った時の許しのためにとっておく。人間は不完全なもの。それなのに100%信頼するから許せなくなる。100%信頼した関係はかえって壊れやすい。

「お先にどうぞ」
 エレベーターの前で「お先にどうぞ」と言うのは難しくない。しかし「タイタニック号、最後の救命艇、最後のシート」を前にして、「お先にどうぞ」と言うのはそれほど簡単ではない。現実になった時にどうするかはわからない。この問いはそれを問うているのではなく、生き方の問題。もしそれまでの人生、悔いのない、やり残したことのない生き方をしていれば「お先にどうぞ」と言えるはず。つまり、その時、その瞬間を丁寧に生きているかどうか。よく「なぜ勉強するのか?」との質問に「いい大学に合格するために」、「いい会社に就職するため」、「将来立派な大人になって幸せになるために」と言う。しかし、これでは高校や大学の勉強は単なる準備期間、手段となってしまい、その価値を失う。ここでも将来と今を比べてしまっている。人間にとってどんな世代もどの瞬間もその後の人生のためにあるのではなくて、今月今日に価値がある。この究極の「お先にどうぞ」を意識していれば、普段の生活で少々後れをとっても「お先にどうぞ」と言いやすく、人と比べて悩むこともなくなる。

 これからの人生いろんなことが起こってくる。時に背水の陣で退路を断つことも必要なこともあると思うが、退路は確保しておいた方がよい。人生時に逃げることも必要。その安心できる逃げ場所にもちろんこの東京寮に来てくれればいいし、近くの教会に普段からお参りして、何事があろうと安心できる場所を確保して、信心しておかげを蒙って頂きたい。
(当日実際は時間の関係で「お先にどうぞ」のところをお話しできなかったので、卒寮生の皆様にも読んで頂きたく加筆しています)

金光教東京学生寮寮生募集

金光教東京学生寮寮生募集
 現在、金光教東京学生寮の寮生を募集しています。今年3月に卒寮する寮生が多く、寮生室にかなりの余裕があります。
 皆様方の周囲に今年入学の大学生、専門学校生(すでに在学中でもOK)がおられましたら、ぜひ入寮をお勧め頂き、ご紹介賜れば幸いです。静かな環境で安心・安全です。
 詳細は、下記URL「金光教東京学生寮ホームページ」をご覧ください。よろしくお願い申し上げます。
http://konkozaidan.jp/tokyoryo/

東京学生寮1月月例祭・食事会

 1月14日土曜日午後7時から東京学生寮月例祭が、寮監祭主のもとに仕えられた。引き続いてこのたびは、これまで月一回のペースで開いてきている金光教話し方研究会主催の寮「聞き方・話し方講座」に、さらに多くの寮生の参加を願って、講師二人をお招きしてデモストレーションを開催した。

 普通「話し方」と言えば、大勢の前で上手に話ができるテクニックを学ぶというイメージがある。もちろんその側面もあるが、金光教話し方研究会の講座は、人間関係やコミュニケーションに重点を置き、この講座を学ぶとまずは人の話がよく聞けるようになり、そのことによって人から信頼されるようになる。人間関係やコミュニケーションが円滑になり、豊かで楽しい人生を送ることができる、まさに信心そのものであり、講座を学ぶことによって本教信心の興隆にも繋がっていく内容を持っているのが特徴である。

 デモストレーションでは、二人ずつの組になり、これまでの人生で上手くコミュニケーションをとれなかった経験をまずはお互いに話し合ってもらい、その後聞き取った内容を報告するという形で行われた。

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 続いて食事会。今回は何とおそらく東京寮史上初の熊鍋。大学で熊の生態を研究しているM君が、昨年12月奥多摩で捕獲した熊の肉を分けてもらったもの。熊肉は固くて臭いというイメージであったが、M君が午前11時頃からずっと集会室にこもって煮込んでくれたおかげで、甘くてやわらかく、熊は熊の肉としか表現しようのない独特の美味であった。感謝。

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東京学生寮2016年9月以降の行事報告

 2016年9月4日、今年の東京センター青年活動の一環である韓国平和学習ツアーに寮生と共に参加。独立記念館見学、金光教ソウル活動センターに訪問した。独立記念館では、文化侵略として掲げられていた金光教の教会の写真を探すが見つからず、ソウルセンター所長によると最近外されたのこと。

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 2016年9月10日、北沢教会中畑吉子先生をご祭主に東京学生寮月例祭が仕えられ、引き続いて教話を頂いた。先生は、教会からなるだけ逃げていた自分が、金光教教師、そして北沢教会長になるまでの様々な人生の転機で、神様からお導き頂かれたことをお話しくださった。食事会は竹内君と栄里主事手作り料理。広島優勝の報に、中日ファンの寮生は球団70年史見て、過去の栄光に浸るしかない。

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 2016年10月9、10日、寮研修旅行、ご本部生神金光大神大祭に参拝した。今年も信徒会の方に教祖の聖跡等ご案内頂いた。観光は久々に岡山城の城祭り。恒例として岡山まで来ているミス高知とツーショット。

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 2016年10月23日、寮祭として今年も東日本大震災広域避難者支援ふれあいフェスティバルのボランティアに参加した。今回も寮生、留学生たちは本部スタッフとして活躍した。ある女子寮生が「一生分のテントを張った」との感想を述べていた。また、静岡教会のハンドベルの演奏がトップで登場、場を盛り上げた。
夜は恒例となった気仙沼さんまパーティ。今年も寮OGの斉藤さん父から送って頂いた。感謝。

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 2016年12月17日、寮講演会として、寮OBのK氏を講師に迎えて開催した。講師は、寮時代のことや卒寮後就職した会社を退職し、小学校教師に転職した経緯について、「will・can・must」という「自分でやりたいこと・自分ができること・自分がしなければならないこと」という考え方に当てはめてみて、「今の仕事は自分にはできることではあるが、本当に自分がやりたいことなのか、やるべきことなのか」を自問し、自分にとってこの3つの円の重なるところは、やはり小学生の教師ではないかと転職を決めた理由について述べられた。これから就職を目指す寮生たちに大いに参考になるお話しであった。
 講演会後の懇親会。今年もN先生ご夫妻による焼き鳥屋台を出して頂いた。極寒の中お疲れ様でした。また、卒寮生、ACTの皆様差し入れ感謝。

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