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東京学生寮寮祭

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 10月27日終日、金光教東京学生寮寮祭が開催された。本年は、「スカイツリーが折角できたのだから東京にいるうちにのぼろう」ということになり、スカイツリーと浅草散策、そしてここのところ恒例となっている理宇さんの父上から毎年送ってもらう気仙沼さんまと海鮮鶏塩鍋パーティで楽しんだ。

 8時30分に寮出発。スカイツリーに10時前に着いたが、すでに12時からの整理券が配付されていた。大学の学祭と当たり、また明日が在籍教会の大祭という結ちゃんは、大きな荷物をもってまずは大学祭の準備に学校へ行き、10時過ぎに私たちと合流、浅草探索の後にまた学校に戻って学祭の後片付けをして、そこから静岡まで帰るという、もう模範的寮生といえる素晴らしい行動であった。

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 その結いちゃんが合流して、まずは「そらまち」をぶらぶら。戦国武将の店の前で雑賀孫一、いや違った伊達政宗の甲冑の前で娘を撮影。ないと思われた雑賀孫一の八咫烏の家紋シールとキイホルダーを思わず購入した。

 12時に全員が合流、普段はそこから1時間待ちもあるとのことで覚悟していたが、10分くらいですぐに展望台にのぼることができた。後で気がついたが、昨日の台風通過の影響が出ていたと思われる。

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 高速のエレベーターであっという間に展望台へ。さすがに東京タワーよりは高く、飛行機から見ている感覚で景色が小さく見えた。台風一過の日本晴れを期待していたが、残念ながら中央線から見えていた富士山は雲がかかり見えなかった。ただ、スカイツリーの蔭がくっきりと見えたのは驚きであった。

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 その後、浅草のもんじゃ焼き有名店へ。1時30分に予約していてすんなり入れた。それにしても娘がもんじゃを見事に焼けるとは、初めて知った。お好み焼きも頼んだがなかなかソースが美味しかった。

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 7時から寮に帰って懇親会。気仙沼のさんまを七輪で焼く。今年は弟子に焼き方の名人芸を伝授(*^_^*)。これに加えて海鮮鶏塩鍋を堪能。最初の頃は日本シリーズそっちのけでただひたすら食べている感じ。楽天も勝利し、よかった、よかった。万事に感謝。

千葉秀宣氏(元紫会館避難所運営委員会会長)講演を拝聴して

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 去る11月8日金光教東京センターにおいて、都教連教師研修会として千葉秀宣氏の講演があった。千葉さんは南町一丁目町会の会長さんで、地震直後に組織された紫会館避難所運営委員会の会長さんである。(写真 左が千葉さん、真ん中が二丁目会長・気仙沼教会信徒総代、右が頭取と呼ばれている三丁目会長)

 地震当日の避難所の立ち上げから運営という生々しいお話を聞かせていただき、改めてその被害の甚大さにもかかわらず、よくもよくもみんなで乗りきってこられたと、ただただ感服するばかりであった。

 どれほど艱難辛苦があったことか。想像を絶するご苦労の中でマイナス面はほとんど語らず、各方面の支援、特にわが金光教の気仙沼教会やボランティアに対して何度も感謝の意を表された。

 その千葉さんが私たちに要望されたことが二つ。一つは現地を実際に見てほしいということ。もう一つがそれぞれの地域の町会にはまってほしいということである。南町町会は紫神社のお祭りや青年会活動が盛んで日頃からよく集まっていたそうだ。

 それが地震、津波という災害非常時に大いに役に立ったとのこと。例えば、当座の水や食料の確保はもちろん市役所に町会全体の安否確認ができたと報告した時に、担当者が信じなかったほど迅速な動きと確認ができたそうだ。

 また、千葉さんも感動したと仰ったが、ある方が気仙沼市民病院まで行って、お薬を飲んでいる町会員全員のお薬をもらってきたとのこと。電気、水道、食べ物で精一杯の時にそこまで機転が利く方がおられることに私も感動した。これ一つとってみても、いかに日頃から団結力があったかが理解できる。

 それもそのはずで南町町会は「1人一役」といって、それぞれの持ち場で無理なく役割を果たしていくことが伝統的にできていたそうだ。その千葉さんを中心にした紫会館避難所に私たち金光教ボランティアも逆に物心両面にわたり大変お世話になり、本当にお育てを頂いた。

 私自身、初めてのときには現地の方とどう接していいか、何を言えばいいか不安で相当緊張しての参加であった。夕刻気仙沼教会に着くと教会長夫人である美紀子先生から箸を持たされ、「上へ行って」と仰った。

 何がなにやらよくわからず隣の紫会館に行くとそこで初めて出会ったのが千葉さんであった。「ようきた」というよりは、「お帰りなさい」という雰囲気で迎えてくださり、テントの中に用意されていた夕食を頂いた。

 地元との方やボランティアのメンバーが作業から帰ってくるとここで千葉さんが温かく迎え入れる雰囲気ができていたのだ。会長の千葉さんはじめ、頭取、社長さん、事務局長と呼ばれる方々が温かく迎え入れてくださり、すぐに打ち解けることができた。

 あまりの雰囲気のよさについ調子に乗っていらんことを言い、千葉さんに不愉快な思いをさせてしまったことがある。お詫びに行かせていただいたときも周囲の方々が温かい目で見守ってくれ、本当に救われた。

 この経験からあとに続く人たちへも「ボランティアへ行け」と言うのではなくて、「千葉さんや青年会長の坂本さん達に会いに行け」と多くの人に勧めることができた。そして実際にみんな逆に元気をもらって帰ってきたようなことである。

 また、金光学園の卒業生で、先の東京ほつまOB会でこの研修会のことを知り、飛び入り参加された方がいた。私より10年先輩であるが、この御縁で来たる11月8日からの気仙沼ボランティアに一緒に行くことになった。誠にありがたいことである。

※今回私の感想ばかりで長くなってしまい、実際の千葉さんの講演内容を紹介できずすみません。また記録が出ると思われますのでご連絡ください。

東京学生寮研修旅行・教祖130年生神金光大神大祭参拝

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 先日の10月13日、14日と寮研修旅行・教祖130年生神金光大神大祭に参拝させて頂いた。このたびは金光教参拝券での新幹線。参拝券には指定もあるが、一回購入してしまうとキャンセルが出ても払い戻しができない。

 そこでぎりぎりに購入するため、ひかり号の自由席参拝券にしている。これで早めに並んで席を取る。連休中なので10数名の席は最低30分前までにはホームへいかなければならない。また東京駅で朝食と車中での昼食弁当購入のため、なるべく早く東京駅に向かう。

 

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 さらには、参拝券は東京都区内から有効で、そこまで定期を持っている人や持っていない人で武蔵小金井駅での切符の購入の仕方が変わる。このように乗り方が少しややこしいので必ず団体行動をとる。ところが毎年集合時間に来ない人や、東京駅ではぐれたり、なかなかスムーズにはいかない。

 今年こそは遅れないようにと徹底していたが、やはり1人集合時間に起きたという寮生がいた。何とか武蔵小金井駅までのバスには間に合い、みんなと一緒の行動がとれた。このように東京駅で時間をとる事情で、新大阪からこだまに乗り換えるという便となり、祭典ぎりぎりの祭場到着となった。

 祭場では聞いていたとおり超満員。1階も2階も人で溢れている。立ってでも生で参拝したいという寮生を残して、一行は会堂で中継を見ながら参拝した。そしてお広前信奉者お届所に藤原茜寮長が代表してお届けした。ここで親御さんも参拝している寮生のためにいったん解散。15時30分から本部教庁4階中会議室で研修した。

 

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 今回の研修は、金光財団事務局長藤井正樹先生の講話。藤井先生は、神様のことが全くわからない状態で金光教学院に入学したが、学院の修行経験やトラックの運転手をしている弟さんの交通事故の経験から、「おかげは前受け」とおかげは予め頂いているものであり、その神様のご恩に答えるのが信心であるとわからされた。

 また、ヒッチハイク中のポーランド人カップルを大阪から倉敷まで送ったことがある。言葉に全く自信はなかったが、何とかしてあげたいという気持ちがわき起こり乗せた。片言英語で相当緊張したが、何とか倉敷まで送った。

 その時に心の中に浮かんだ「何とかしてあげたい」という気持ちが人間の損得を超えた「神心」だと思う。この相手も助かり、自分も助かる経験を通して何事も神様のお働きがあると確信した。そこに気がつかせて頂くために信心の稽古が必要。皆様も神様のご恩に報いるよう稽古を積んでほしいと話された。

 その後「神様のご恩に報いるためにはどうすればよいか」等、質問や感想が活発に出され、共励が深まったことはありがたいことであった。

 

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 続いて懇親会のために「スーパーマルナカ」まで全員で買い出し。光風館ができてからはこのパターンとなり、だんだんにみんな手慣れてきた。18時から東京学生寮運営委員で総務部長の福田先生と財務部長の山下先生を迎えて懇親の場をもった。

 

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 14日は4年ぶりの倉敷。寮長や行事係が予め調べたコースを回る。まずは「桃太郎からくり博物館」に歩いて向かった。白壁の美観地区に入ると、倉敷は初めての寮生から感嘆の声があがる。20分ほど歩いた美観地区のどんつきから戻る形で裏通りを行くと見えてきた。

 入る前はそう期待していなかったが、目の錯覚によるからくりや仕掛けがいろいろとあり結構おもし
ろかった。皆様も倉敷にお寄りの際は是非。星野仙一記念館も行きたかったが今回は断念。

 

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 この博物館を左に出て少し行くとアイビースクエアーがある。高校の頃はよく遊びに来ていた場所で懐かしい。その入り口向かいの食堂の前にある岡山発のデミグラスソースカツ丼の写真にみんな興味津々。少し昼には早かったがみんなで入り、ほとんどこれを注文した。私にはもう少し甘いほうがと正直思ったが、みんなは美味しいと言っていた。

 

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 アイビースクエアー内でお土産を購入、次に渡し船に乗ろうとしたが一杯で夕方まで予約で満杯。そこで予定していたカフェに行ったがここも超人気。全員は入れないのでここから1時間分かれての行動とした。

 

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 帰りもひかり号。約1時間おきにある複数の便を想定していたが、間の悪いことに岡山駅新幹線改札口に1時間数分前に着。連休最終日なのでおそらくは約5分後に出る便は座れないだろうと1時間待つしかないことを説明すると、ある寮生の「エー」との不満の声にダメ元で行ってみようとホームにダッシュ。

 何と3号車真ん中付近にまとまって空いていた。これまでの経験上これは奇跡。おかげを蒙った。ひかり号はほぼ各駅停車で、進むごとにどんどんお客さんが乗ってくる。新大阪からは自由席は確実に立っている人で混み合う。乗るには乗っても東京まで座れない寮生が出てくるのも確か。むずかしい判断だったが走って飛び乗り正解であった。

このたびも万事のご都合お繰り合わせをいただき、無事参拝させて頂いた。誠にありがとうございました。

東京学生寮 10月月例祭・食事会

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 先日の日曜日、寮月例祭・食事会が開催された。不肖私が祭主と教話の御用をさせていただいた。教話では、沖縄遺骨収集活動のスライドを見てもらいながら、沖縄遺骨収集の意義について理解していただいた。

 それに関連して気仙沼の仮設住宅で、ある住民の方が仰った「地震の前は、まるで夢のような生活をしていたように思います」との言葉を紹介し、この言葉の重みについて、私たちの実際の生活は不平や不満がいろいろあるとは思うけれども、実は今夢のような生活をしていること。そこに思いをいたすと、「当たり前のことが当たり前ではない」こと。「奇跡はすでに起きている」ことがまずは理解できると思う。

 戦争と地震は違うけれども、その出来事から教訓を導き出し、次世代に伝えていく使命があることについては同じであると思う。

 その意味で、沖縄戦の現場、被災した地震の現場に足を運ぶ意義は次の三点にあると思う。

1 本や話を聞いて知るのではなく、実際の現場に立って体感し、できるだけ本質に迫る。

2 犠牲になられた方々がその瞬間何を思われていたか、もし今私たちに語りかけてくれるとすれば、何を語られるか、その声なき声、魂の叫びを聞かせていただく。

3 そこから教訓を引き出し、周囲や次世代に伝えていく。

 以上について聞いて頂いた。

 次に食事会。最近は留学生の皆様の手料理が続いていたが、このたびは久し振りに焼き肉パーティーであった。また、石津きくさんが1年のフィリピン留学から帰国し、またこの日が誕生日でもあったため、お帰り会と誕生会を開催した。きくさんは1年生とは初対面だったのでそれぞれ自己紹介した。この月は高橋君も誕生月でお祝いした。

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小泉元首相が原発ゼロ発言

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 言うべき人が言うと影響力が違う。 小泉純一郎元首相(71)の原発ゼロ発言である。原発反対のデモ等「脱原発」は全く報道しない産経新聞もさすがにちょこっとであるが掲載していたほど。

 これはネットの報道であるが、大手各社のゼネコン幹部計5人が原発推進を迫ったのに対して、

 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」

 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」と答えた。

 元首相は、フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」も視察し、原発ゼロを確信した。曰く、

 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」

 記者が帰国した小泉氏に感想を聞いたそうだ。

 --どう見ました?
 --今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。

 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」

 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」。

 東京駅で首相になる前の小泉氏とすれ違ったことがある。そのときでもオーラを発していた。生粋の新自由主義者とばかり思っていたが違った。がんばってもらいたい。