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当ブログ「コメント」入力についてのお詫び

 10月14付「当ブログ『コメント』についてのお詫び」で、これまでコメントを入力していただきながら、アップを失念していた件につきまして、お詫び申し上げましたが、その後、コメントを入力する際、サインインとパスワード等を求められる設定になっておりました。

 私としては、自由にコメントできるように、設定していたつもりでしたが、まだ更新されておらず、ご迷惑をおかけしました。深くお詫び申し上げます。今度こそ大丈夫と思います。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

気仙沼ボランティア報告③ (8/7~8.21) 7

 ボランティア活動は、気仙沼市災害ボランティアセンターが一週間に一度はお休みの日を設けていることから、当支援機構も一週間に一度、日をずらしてお休みをとっている。そしてその日を利用して、ボランティアの活動だけではなかなか見られない気仙沼市以外の地域の被害状況も是非見てほしいと、陸前高田市や南三陸町などご案内申し上げている。

 今回の活動期間中、現地スタッフの1人である宇部東教会のSさんが、是非もっと北にも足を伸ばした方がいいと、大船渡市、釜石市、さらに宮古市までみんなと一緒にまわることにした。大船渡市や釜石市は市内に入ってもさほど被害はないようにも見えるが、港や海に近づくとやはり被害は尋常ではない。

 特に絶対に安心といわれていた釜石市の世界一深い「世界最深の防波堤」、宮古市の「日本一の防潮堤」と呼ばれていた堤防が見るも無惨に破壊された光景を目の当たりにして、人間の力は、自然の力に到底及ぶものではないことを改めて思い知った。

 写真は釜石市の岸壁に打ち上がった大型漁船である。船の先端が堤防に突き刺さっている。しばし呆然と立ちすくんでしまった。 

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 次の写真は釜石市のある一つの防潮堤。真ん中が完全にえぐり取られている。高さは最大約10メートル強、厚さは最大6メートル以上もあるという。一番高いところに上っているのが、Sさんで、赤い服は東京から参加のHさん。上にあがったのはいいが、降りるのに腰が完全に引けている広島のIさん。

 

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 この防潮堤に守られている陸側の一部であるが、住居の土台だけが残り、跡形もなく流されてしまっている。10メートルもあるコンクリートに守られて、まさか海水がおそってくるとは夢にも思わなかっただろう。

P8171382S.jpg 一番上の神社のぎりぎり手前まで海水が迫っているのがわかる。写真では低そうに見えるが20メートル以上はある高さである。となると海水の高さが20メートル以上にも達したことになる。全く信じられない光景、異様な何とも重苦しい雰囲気で言葉もない。

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 帰りはなるべく車で走れる海岸線を通ってきたが、「うーん」と唸るしかない光景。聞いていたとおり、北に行くほど復旧が遅れているのが素人目にもすぐに理解できた。改めて、このたびの地震の規模の大きさと津波の怖さ、その被害地域の広さを思い知った。

 しかし、避難所に帰ると「今日も一日ご苦労さん。どこまで行った、浄土ヶ浜見てきた」と元気よく出迎えてくれた被災者の皆さまに本当に逆に励まされているようで、さらなるボランティア活動へ、元気を頂いたようなことである。(気仙沼ボランティア③ おわり) 

気仙沼ボランティア報告③ (8/7~8.21) 6

 さて、いよいよ仮設住宅集会所でのボランティア。私も阪神大震災、新潟中越地震とボランティアを経験させて頂いたが、炊き出しや物資の搬入、瓦礫の撤去やお掃除まで。あるいは避難所でのボランティアまでで、仮設住宅でのボランティアは金光教としても未知の世界。

 もちろん、それだけでも被災者の方とふれあいはあったが、これからはお茶会やイベントを自らの手で実施し、さらに深く被災者の方とふれあっていかなければならない。そうしたノウハウもなく、正直最初は、「本当にそこまでできるだろうか。まずは、他の団体の指導を得て、そのお手伝いから」と私自身は想像していた。

 しかし、現地代表である田中真人氏の長期にわたる気仙沼市災害ボランティアセンターでの活動から、現地代表の主導で仮設住宅でのボランティアを積極的に展開出来ることとなった。誠にありがたいことである。

 仮設住宅でのボランティアの最大の願いは、いろんな地区から集まって来られた住民の皆さんの孤立を防いだり、自殺の予防など、非常に重要な役割がある。このたびまずは、かき氷や足湯の提供から、コミュニケーションを図っていくこととして実施させて頂いた。

 写真は、「日本財団」の足湯のボランティアとわが機構の「かき氷」提供とセットに組んでのボランティアである。これも現地代表の連携、調整のおかげで実現した。最初は結構緊張したが、多くの方々が集まってこられ、楽しくふれあうことができた。

 
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P8191404.jpg 子供たちもたくさん集まってくれ、親御さんからも「こういう機会がなかなかなかった」と感謝された。今までは、やはり楽しく遊ぶことを押さえつけられていた面もあり、子供たちのテンションも高かった。

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P8191422.jpg そうそう、広島で出迎えてくれたIさんの本職はマッサージ師で、このボランティアは本当に喜ばれていた。マッサージをしながらお話を聞き、コミュニケーションを図るので、うってつけの活動だ。実は私はここ1年ほど五十肩なるものに悩んでいたが、Iさんから一度マッサージをして頂いたら、見事に治った。個人的にも非常におかげを蒙った次第である。(つづく)

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気仙沼ボランティア報告③ (8/7~8.21) 5

 ちょうど夏休みの時期のこの頃になると、地元青年会や商工会議所、各種NGO・NPO団体らが、大小イベントを開催するようになる。わが機構ボランティアも、いろんなお手伝いをさせて頂いた。

 写真は、あるNPO団体の事務所で行われるイベントの飾り付けのお手伝い。七夕で使われる笹の枝葉への飾り付けや、風船、ようようの制作。景品の袋詰めや外回り、室内の装飾など、数日にわたって準備の手伝いをさせて頂いた。

 
P8081171.jpg 次は、気仙沼小学校の校庭で行われた大イベント「気仙沼復活祭」のお手伝い。小学校はちょうど市内の高台の上にあり、四方数カ所の道路から上ってくることができる。気仙沼教会もその一つの道の中腹にある。

 
P8121291.jpg 私たちは他のボランティアの方々と共に数グループに別れ、警備のボランティアに従事した。一つは警察の方と共に、外部者の車の出入りを封鎖する。それから小学校に隣接する中学校を含めた、その敷地周りを巡回してのパトロール。車を道路にとめないようにする警備だ。
 
 
P8121279.jpg 敷地周りは、一週15分くらいかかる。写真は2班に分かれたグループがちょうど半分のところで出会った様子。途中の中学校校庭の端にある相撲の土俵で、大関日馬富士らが地元の子供たち相手に相撲をとっていた。

 
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P8121287.jpg 車の規制は、東京など都会では文句をつけられたり、色々とトラブルが起こるが、二、三「駐車場がないか」と聞かれた程度で、トラブルも何もなかった。別の大きなイベントの時は、少人数の警察官しか来なくなるほどで、さすがの礼儀正しさに感心した。(つづく)

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気仙沼ボランティア報告③ (8/7~8.21) 4

 次は、これも私たち支援機構の重点的に行っているボランティア活動の一つで、ホテル「一景閣」の高圧洗浄やお掃除、食器等の洗浄作業である。オーナーは、気仙沼教会の信徒総代。

 気仙沼湾からすぐのところにある「港の観える・ふかひれ海鮮割烹の宿」として非常にお料理が美味しい有名な老舗ホテルであった。その6 階建ての3階まで大津波が襲い、お客さんや従業員の皆さんが三日三晩孤立した。しかし、迅速な誘導、対処で1人の犠牲者も出されなかったそうである。屋上から不安そうな眼差しで外を見る人々の様子が、出版された写真集などに多く掲載されている。

 写真は3階までの正面、窓には木枠がはめ込まれている。また、この一景閣の3階から周りの景色を撮った写真、火災の後も生々しく残っており、三日三晩本当に不安な時間だったろうと言葉もない。

 
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P8141311S.jpg 支援機構のボランティアは、少しずつだが今日までずっとその復活を願って清掃活動を進めている。来年1年目の慰霊祭が、この一景閣でできないか、その願いも出されているそうである。

 5、6月頃から瓦礫の撤去、使用不可能な物の運び出しやまだ使える物の整理等がすでに進められていたが、水道が出ないので本格的な掃除はできなかった。また8月になりようやく水道は通ったが、排水ができるかどうか確認がとれていなかった。

 私が入った8月中旬頃に、ちょうど宇部東教会のSさんを中心に排水ができるかどうかが調べられ、可能と確認された。そこから支援機構ボランティアの中で、その日の他のボランティア活動との調整を図りながら「一景閣班」が編成され、ほぼ毎日活動することとなった。

P8141345S.jpg まずは残った廃材等を廃棄。港のすぐそばなのでハエの死骸が尋常の数ではない。写真は集められたハエ。次に3階調理室や各控え室、廊下から階段を下に高圧洗浄をかけていく。外の異様な景色とヘドロの尋常ではない臭いに、だんだんに気が滅入っていく中での作業である。

icon.jpg その中でもリーダーの宇部東教会のSさんや気仙沼教会の奥様やご子息、鶴見教会のN君や常盤台教会のMさん、寮生のK君や広島市で私たちを出迎えてくれたIさん、それから全国各地からボランティアの方々が、黙々と真剣に作業を進めておられる姿に本当に敬意を表する次第。

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P8141315S.jpg また、私と入れ違いに1週間活躍された、駒澤大学3人娘、避難所では現地の方たちから「納豆娘」と呼ばれていたが、お風呂やおトイレを驚くほどきれいにピカピカに磨かれていた。

 この3人娘、再び気仙沼入りした私とまた入れ違いに帰られる朝まだ早い5時頃、外に出るとバケツをもって走ったり、何をしているのだろうと思っていたら、現地で活躍する機構の車やTさん、Sさんの車を洗っていた。せめてものお礼の気持ちということらしい。さすが私と同じ駒澤大学生、朝から非常にさわやかな気持ちにさせて頂いた。

 また、当ブロク10月8日付「熱田教会信徒会講演会 終」で紹介した寮生Iさんの食器洗いもこの厨房での作業であり、教会の奥様も活躍され、大きなアルミケースの中に食器がきれいに並べられているとこと。ありがたいことである。 

祝・中日ドラゴンズ優勝 球団史上初の2連覇

 一度は完全にあきらめていたところが、次期監督に高木守道氏が発表されてから、あれよあれよと勝ち進み、まさかの10ゲーム差をひっくり返した。さあ優勝だと舞い上がっていたら、何とあの巨人に3連敗のそれも完敗。

 今日負けたら本当に危なかった。ありがたくもBSNHKで野球中継があった。今日は妻と息子はいない。娘と2人、テレビの前に陣取り、鍋をつつきながらの応援。ところが、ネルソンが早々と打たれ0対3。いつもなら負けとあきらめていたが、今日はそのまま応援していた。

 そして、やってくれました。ここぞという時にほしい4番ブランコのホームラン。その後もハラハラしながら見ていたが、こうなれば中日のペース。浅尾ちゃんが見事に押さえてくれた。それにしても岩瀬への交代かどうかで、監督がジャンパーを脱いだり来たり、監督自らが内線でブルペンに電話したり、初めて見る光景。

 その落合監督を見るのも日本一までと少し寂しい。私はセ界10連覇のその序奏と考えていただけに、正直なぜ代えるのと納得がいきかねる。が、ドラゴンズOBで構成するなら、それもよしで是が非でも3連覇をとはや願っている。そしてまずは今年こそ正真正銘の日本一だ。

気仙沼ボランティア報告③ (8/7~8.21) 3

 次は、現在私たち金光教支援機構の中心的な支援活動の一つである五右衛門ヶ原仮設住宅への支援である。写真の左側のアスファルト道路がちょうど真ん中で、ここから左側にも建物棟がある大型仮設住宅だ。。

五右衛門ヶ原仮設本体 S.jpg そして、現在野球場の中にも建設中で、全部完成すると3000人以上の仮設住宅となるらしい。前回、当ブログ8月26日付「五右衛門ヶ原仮設住宅の『交通弱者』」でも触れたが、「五右衛門ヶ原」という名の通り、気仙沼市内から一関方面に車で20分ほどのところの幹線道路から、さらに坂道を歩いて10分ほど登ったところにある。

P8101217 S.jpg この五右衛門ヶ原仮設には、寮生のRちゃんのご家族も入居されている。そこで部屋を探したが、全部歩くだけでも相当に時間がかかる。同じ名字の方のところで、もしかしたら知っておられるかもと聞いてみたら、さすがお父様は気仙沼では名士か、すぐに「○○さんなら、この上のテニスコートの仮設」と教えていただいた。

P8101232 S.jpg ここで初めて五右衛門ヶ原仮設には、まだ別の場所に住宅があることを知った。この場所からはちょうど大きな木々に隠れて見えなかったが、北側の坂を登ったところにテニスコートがあったとのことで、下が「テニスコート仮設」と呼ばれている写真。

五右衛門ヶ原仮設 テニスコート S.jpg この日は、下の一番大きな仮設住宅の駐車場で「トラック市」なる物資の支援配付を行った。軽トラックに詰めるだけ積んで、その軽トラの荷台に衣類を並べ、あと文房具や食器その他は段ボールを置き、その上に並べて選んでもらった。

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P8101222 S.jpg この時は二度目のトラック市で、駐車場に着くとすぐに「また来てくれたね。本当にありがたい」と数人の人が早くも集まってくれた。若手のメンバーが、一軒、一軒訪ねて、トラック市の開催を知らせると、続々と集まってくる。手に手に抱えきれないほどの物をもって、笑顔で何度も「ありがとう」と仰って部屋に戻っていく。炎天下の中ではあるが、その笑顔に暑さも忘れる。

 
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P8101227 S.jpg 私たちの支援機構は、この五右衛門ヶ原仮設と、南町の方たちが多く入居している教会近くの気仙沼中学校仮設住宅に力を入れている。数ある仮設住宅への支援について、各団体がそれぞれ勝手に行うと不平等が生じる恐れがある。

 そこで私たちは、支援機構現地代表の田中真人氏が長く気仙沼市災害ボランティアセンターで活動された経験を踏まえ、その後も気仙沼市やその他のNPO、NGO団体との連絡、連携をとって、気仙沼市全体の調整の中で活動を展開している。

 おかげで、市役所や他団体からも金光教支援機構の活動が評価され、最近では金光教気仙沼教会でも各団体の連絡会が開かれたようで、誠にありがたいことである。この仮設での支援活動は後ほども触れるが、現在も継続的に取り組んでいるところである。(つづく)

※なお、現在での物資支援は、衣類は衣紋掛けにきちんと掛けたり、机を持参して物資を並べたりと、経験を積みながら、より気持ちよく選んでもらえるよう工夫しているそうだ。

 

気仙沼ボランティア報告③ (8/7~8.21) 2

P8071167.JPG 写真は、先日の寮研修旅行で私たちを広島市で出迎えてくれたIさんが、個人的に地元で浴衣、帯、下駄、小物、巾着等を集められ、それを紫会館で、皆さんに自分の好きなものを自由にお選び頂いている様子である。

 
P8071158.jpg 何とその数200着以上。Iさんは、金光教のボランティア支援機構第1号便で私と一緒に気仙沼入りされた女性で、何とその日から約1か月近く滞在。そしてこの8月も1か月間滞在して、不思議な縁で8月の行き帰りも私はご一緒させて頂いた。

 
P8071165.JPG 普通これだけの数を集めれば、「大したことはない」と言いながらも自慢げになるものだが、Iさんは全く謙虚そのもの。「どうやってこれだけ集めたの?」と質問してようやくさりげなく答えてくれる。最初、友人たちに声をかけるとまたその友人、その友人と拡がっていったそうである。

P8071161.jpg 先日、広島でお聞きしたが、このたびも近くの居酒屋で気仙沼の物産品やTシャツを買ってもらい、支援金にするとのこと。外見はまさに小柄でおしとやかな方ではあるが、すごいパワーを秘められた方だと感心している。(つづく)

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