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沖縄 対馬丸事件 2

 アメリカ海軍は、対馬丸が出航した時点ですでにこの船団をとらえていたそうだ。疎開船で子どもたちしか乗ってないこともわかっていたのではとも勘ぐってしまう。その対馬丸を撃沈したボーフィンは現在「真珠湾攻撃の復讐者」として戦艦「アリゾナ」の上にあるハワイの資料館に展示されているそうだ。これを知ってまたやりきれない。

 日本の真珠湾攻撃によってハワイの多くの市民が犠牲になった。その憎しみはよくわかる。しかし、その復讐として殺されたのもまた沖縄の子どもたちだった。戦争の犠牲になるのは常に弱者から。その事実をアメリカの人々にも知ってもらいたい。良識あるアメリカ人の方たちはわかってくれると思う。憎しみ合っても、何の解決にもならないのだ。
 いまだに相争う愚かな人間。これを止めるにはどうしたらよいか。

  人々の「想い」、それは平和への強い「希望」です
  戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます
  悲しみの大きさを、「希望」に変える努力をしないと
  憎しみが報復の連鎖をよびます
  しかし、報復の連鎖で悲しみは癒されるでしょうか?

  いま「対馬丸」を語ること、それはなんでしょうか?

  いまも世界では報復の連鎖が
  子どもたちから新たな夢と希望を奪っています
  この報復の連鎖を断ち切る努力を1人ひとりがすること
  これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された
  私たちへの「課題」ではないでしょうか
                       パンフレット『対馬丸記念館』 「いま対馬丸を語ること」より

 まさにその通りだと思う。多くの人に本当に知る必要のある歴史を学び、考えてもらいたい。

沖縄 対馬丸事件 1

 「対馬丸事件」とは、1944(昭和19)年8月22日、戦闘準備中の沖縄県より疎開のため一般・学童合わせて1788名を乗せ長崎へ向けて航海中、鹿児島県トカラ列島悪石島沖でアメリカ海軍バラオ級潜水艦「ボーフィン」から魚雷を受け沈没。乗員乗客合わせ1418名が死亡した事件である。乗船人数や犠牲者数の実際は不明だそうだ。

 対馬丸記念館は2004(平成16)年に開館。このたびようやく来館がかなった。外観や入った雰囲気は明るくしゃれた感じ。しかし、ひとたび掲示されている文章を読み始めると何とも痛ましく言葉もない。

 「雪も富士山も見ることができる」、「修学旅行のようなもんね」、子どもたちにはやがてくる地獄など全く想像もしなかったであろう。それを不安一杯に見送る親たち。ひめゆり祈念館などもそうであるが、私が見てて一番辛いのは無邪気に笑っている子どもたちの写真である。全く屈託がない幸せな笑顔、それが地獄を見る恐怖の顔に変わったことを想像すると、何ともやりきれない思いで一杯になる。(つづく)