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デジタルテレビ

 今月末で一部デジタルテレビのエコポイントが終了するというニュースを聞き、一昨日息子が山田電気で購入してきた。私はすでにブルーレイを購入し、アナログテレビで見ていた。ただ、NHK衛星は見ることができるが、BSフジとか無料の衛星放送が見られなかった。

 この際、思い切って買おうかなと悩んでいると、娘も買うという。いきなり子供らが2台、一家で3台も買うのはどうかと思ったが、アルバイトで貯めたお金で買うのだからあまり口出しはできない。で、内心「そうか、娘のテレビで野球の放送があるときだけBSを見せてもらったらいいではないか」と。

 そこで、一昨日相当粘ってまけさせたお兄ちゃんに山田電気までつきあってもらい、とりあえずはどんなもんかお店で見ることにした。私は早速店員に、ブルーレイの説明書を見せながら、「今のアナログテレビでBSは見ることができるか」と聞いてみた。アンテナの関係や色々と条件が伴い、「見られるかどうか断定はできない」という。

 さて、娘はBSが見れるやや高いテレビとそこから1万円ほど安いBSチューナーがついてないテレビで悩んでいる。私は下心があるから「そりゃBSチューナーがついているほうがいい」と勧める。で、店員に「これを購入したらBSを見ることができるか」と尋ねてみると、これも「アンテナの状況で断定できない」という。

 うちは寮になっていて小金井ケーブルテレビが直接全室まで届くようになっている。寮全体として無料で契約しているので、各室はケーブルテレビに加入しなくても無料の一般放送は見ることができると説明した。

 それならば、「今ブルーレイ本体の地上デジタル入力口につないでいるケーブルをBS入力につないでみて、一度映るかどうか確かめてみたら」と言ってくれた。なるほどと思い、家までとって返してやってみると、なんと見ることができるではないか。キャーである。今まで見ることができていたのに勝手に見られないと思いこんでいたのだ。

 それは説明書にも責任がある。絵図で詳しく説明してくれているのはいいが、普通の「アンテナケーブル」と「衛星用同軸ケーブル」という二つの表記があり、さらにつなぎ目の絵も違うので、いかにも衛星専用のケーブルが必要と思わせる説明図である。

 私もこれに見事にはまり、衛星用の専用ケーブルを買わなければ見ることができないと勝手に思っていたのだ。これがなんと娘のテレビ購入で、これまで使っていたケーブルと地上デジタルや衛星用のケーブルも何の違いのないことがわかり、私はこれでわざわざデジタル用テレビを購入する必要がなくなったのだ。

 また、店にとって返すと、店で待っていた子供らがたこ焼きを食べながら決めたという。なんと結局先程悩んでいた2つよりも、もう一つ格上の息子が一昨日買ったBRAVIA32Vと同型でやや小さい22V型だそうだ。

 この度は、ひょんな下心から、アナログテレビでも、そして専用の衛星放送ケーブルも必要なく、地上デジタルもBSも見ることができることを知らせていただき、感謝、感謝の一時であった。

祝 中日ドラゴンズ初勝利

祝 初勝利。よくぞ勝ってくれた。チェン様、和田様、落合様である。今年のドラゴンズは下手をするとBクラス、いや最下位も視野に入るのではと、正直昨日までは思っていた。一番大島、二番セサル。あれ?どこのチームという感じ。

 荒木の負傷は痛い。1、2番にアライバいなくなれば、いきなり弱小貧弱チームに映った。しかし、今日の6回はお見事。セサルから続いた。その前に大島も打った。6番井端はさすが、どこにいても勝負強い。欲を言わない、1、2番どちらかが機能すれば、クリーンナップ+井端で大丈夫だ。

 投手力はもともと凄い。現有1軍の13人の他に、なんと2軍では中田、朝倉、川井、山本昌と先発級が4人も控えている。打線さえ好調なら、あの巨人、そして城島加入で強くなった阪神相手にも遜色ない陣容になる。何とか2強に食らいついて久しぶりのセリーグV奪還を期待したい。連勝巨人を止めるのは、いつもわが中日ドラゴンズだ。

監督の発言十分注意を

一昨日の当欄「末代の恥」を新聞用に書き換えて投稿したら、本日の『東京新聞』発言欄で掲載されました。以下に紹介します。その東京新聞社会面を見てびっくり。なんと辞任したそうだ。何もやめなくてもいいと思いました。ただ、記者会見に出てきた服装は何とも。テレビの「とくダネ!」は同情的でしたが、毎日新聞などはやめて当然と書いていたようです。
3月26日付『東京新聞』発言欄はここをクリック
監督の発言十分注意を
選抜高校野球大会、21世紀枠で出場した向陽高校(和歌山県)に敗れた開星高校(島根県)の監督が、試合後のインタビューで「21世紀枠に負けて末代の恥です」などと発言した。いくら「選手のせいではない」といっても、これでは選手たちがかわいそうだ。
高校野球は「負けに学ぶ」ものだと聞いたことがある。高校野球は1度負けると終わり。その制度に疑問を持ったアメリカのテレビ取材に、高野連の方が「全国何千の高校の中で勝つのはただの一校だけ。他はすべて負ける。なぜ負けたかを考え、それを生かすことが大事なんです」と答えた。
これを知っていれば「末代の恥」との発言はなかったろう。指導者の言葉は、子どもたちの人生に強く影響する。肝に銘じてほしい。

沖縄遺骨収集の写真

娘の通う高校の修学旅行は沖縄だそうだ。そのために第1学年の終わりの昨日24日に、映画「ひめゆりの塔」を鑑賞したとのこと。娘は以前小学2年か3年生の時に、寮生だった那覇教会のお嬢さんの結婚式で沖縄に行ったことがある。行く前にこの映画を見せたので娘は2回目となる。

 当時、映画のあるシーンを見てかなりの衝撃を受けていた。壕の中に設けられた南風原(はえばる)陸軍病院でのこと。ひめゆり学徒の方が一生懸命看病している中で、気が狂いそうになった傷病兵が自分のオシッコを飲んでしまうシーンである。

 娘はこれをはっきりと覚えていて、あまり見たくないと言っていた。私は娘に「ちょっと前にこのような悲惨な現実があったことを知るために、みんなで映画を見ることはよいことだ。この事実を忘れてしまっては、また同じ過ちが繰り返されるよ。そうならないために、見たくはないだろうけれど見ることも大切なんだ」と言った。

 昨日帰ってきて、みんな相当ショックを受けていたと話してくれた。嬉しいことに、1月ほど前に担任の先生に私が毎年金光教の沖縄遺骨収集に行っており、兄も参加したことがあると話したそうだ。世界史の先生で「写真をぜひ見たい」と非常に興味を持ってくれた。

 娘に写真を持っていってもらって、私の説明通りに先生に説明したようだ。先生が「陸地からは戦車、海からは艦砲射撃で多くの人が追い詰められて亡くなった」とお父さんと同じことを言っていたと話してくれた。授業で使ってくれるそうである。有り難いことである。

 過去から学ぶことによって、初めて未来に向けて正しい道を歩むことができる。過去の事実に目をふさげば、同じ過ちを繰り返すだろう。戦争を知らない世代だからこそ、戦争とはどういうものかを想像し、その本質を知る必要があると思う。

末代の恥

選抜高校野球大会、和歌山県代表「向陽高校」「智弁和歌山高校」両校好スタート。智弁和歌山はいつ見ても堂々としており、よく打つ。甲子園最多勝利監督となった高嶋仁監督、少数精鋭主義でよくぞここまで勝てたと思う。
それに比べて悪いが、21世紀枠で出場した「向陽」に敗れた「開星(島根)」の野々村直通監督が、試合後のインタビューで「21世紀枠に負けて末代の恥です」、「恥ずかしくて立ち上がれません」などと発言したそうだ。
いくら「選手のせいではない」と言っても、これでは選手がかわいそうだ。今日の『朝日新聞』社会面に、開星高校の教諭が女子トイレに進入したとの記事と並んで出ていた。校長のほうが「末代の恥」と恥じ入っていることだろう。
以前にもこの欄で述べたが、高校野球は「負けに学ぶ」ものである。かつてアメリカのテレビが、大リーグで日本人選手が活躍する原点を探るために、高校野球について取材にきたときのこと。それはそれは選手はもちろん、回りの大人も一緒になってのそのひたむきな練習に驚きだったようである。
その中でも最大の疑問は、リーグ制が当たり前のアメリカでは考えられない一度負けたら終わりという大会についてだ。「生徒のチャンスや可能性をつぶしているんじゃないか」との質問に高野連の方は、「全国何千の高校の中で勝つのはただの1校だけ。後はすべて負ける。高校野球は負けに学ぶ場所。みんな勝つために努力する。でも必ず負ける。その時になぜ負けたかを考え、それを生かすことが大事なんです」と。「勝っておごるな、負けてくじけるな」だ。これこそが「野球道」と思う。
開星の監督がこれを知っていれば、悔しいのはわかるけれども「21世紀枠に負けて、末代の恥」とは口が裂けても言えなかっただろう。いや、野球道を極めていたら、その悔しさも自分の胸の内にしまっていると思う。
指導者に恵まれるか、恵まれないか。子どもたちのその後の人生に強く影響する。野球の指導者は特に肝に銘じてほしい。「本音がつい出てしまった」ではすまされない。高野連はそれこそびしびしやったほうがいいと私は思う。

感謝の念

 昨日の夜中の3時頃、猛烈な風の音で目が覚めた。台風並みの暴風雨。雨水よけのマンホールの上に黄色いプラスティック製の進入禁止標識板を立てている。それが気になり外に出てみる。雨はさほどでもないが、前に進むのも大変な風だ。

 やはり、標識は見当たらない。「えいやっ!」と走って芝生から駐車場の奥を見たがない。駐輪場の方に行くとその一番奥に二つに割れた標識があった。気がついてよかった。そこからまた外に飛んでいくと危険だ。自転車も半分ほどは倒れていた。

 それからまた布団に入ったが、その後も風音がすごくて朝まで眠れなかった。うつらうつら考えていたのが、こうやって雨風を防いでくれている家がなんとありがたいことか。安心、安全が当たり前になっている現代人はそのありがたさを忘れている。

 私は感謝の念が薄れそうになると、三つの体験を思い出すことにしている。一つは小学校5年生の時のこと。夏の暑いときにベランダに1時間ほど立たされた。のどが渇いて渇いて、ようやく解放されて水飲み場に飛んでいって飲んだ水の美味しさである。

 二つ目は、中学校1年生の時に親元を離れて金光学園寄宿舎に入ったときのこと。当時は高校3年生から中学校1年まで120人ほどの舎生がいた。お風呂は当然高校3年生から入っていく。中3の人が入る頃は、ボイラータンクのお湯も尽きている。私たち最下級生が入る頃は裸電球下の暗いなかで、お湯は少なく、垢でどろどろ、底は見えない。シャワーなんかしゃれたものはまだない時代。

 ところが、金光学園の創立記念日だったかどうか、1年に1回だけ中学1年生から順番に入る日がある。一番だからまだ外は明るく、まずはお風呂の明るさに驚く。そしてなんとお湯のキラキラ綺麗なこと。底が見えるのにみんな大はしゃぎ。

 三つ目は大学3年生の時。中野区の交差点24時間交通量調査のバイトで1人なんと1万円即金でもらえるとのこと。しかし、30人集めなければならない。東京寮生と大学のサークルなどなど何とかかき集めてできた。

 時は5月。1時間のうち10分だけ交通量を測定する。後の50分は何をしててもいい。昼間のうちはよかったが夜になるとやはり寒くなってくる。寒さは想定していたので冬服は一応みんな持参。それでも寒く、電気屋さんから大きな段ボールをもらってかぶって測定するやつやそれぞれ色々と工夫している。私は地下鉄の階段を下りていって一番下の隙間で50分間仮眠したりした。

 ようやく24時間無事に測定が終わり、一万円をもらって帰途につき、電車に乗った。なんとみんな薄着で半袖の人もいる。こちらは何枚も重ね着しているにもかかわらずまだふるえが来るほど寒い。この時に布団で寝ることがどれだけ体を温めてくれているかを実感した。

 普段何ごともなく過ごしていることがどれだけありがたいことか。しかしまた馴れてしまって感謝の念が薄れてしまう。そのたびにまた思い出して感謝の念を強くしているようなことである。

沖縄戦の「集団自決」、軍関与を修正

 千葉県佐倉市に国立歴史民俗博物館がオープンした。この展示室は「戦争と平和」「戦後の生活革命」をテーマに、1930~1970年代の生活用品や出版物などを展示。日本軍の兵舎や戦後の闇市を再現した模型もある。

 しかし、沖縄戦の集団自決について、沖縄の元守備隊長らが作家の大江健三郎さんらを訴えた「沖縄ノート」訴訟が継続していることなどを理由に、当館の展示内容を検討するために設けられた委員会の複数の委員から「慎重を期すべきでは」と指摘が出され、後掲のように展示パネルの文案が修正された。

 日本女子大学の成田龍一教授は、「集団自決への軍関与は、研究者の間で定着している歴史的事実。司法判断や政府見解を参考にすることはおかしい。展示はあくまで研究水準を投影すべきだと」と指摘している。

 私もそう思う。国家や政府はこのたびの外務省密約文書破棄問題でも明らかなように、自分たちの都合の悪い情報は改竄、隠蔽、破棄するのが習いである。生死にかかわる重要な情報を知っている者が生き残り、情報から一番遠い者は、騙され、欺かれ犠牲となる。

 過去の過ちを直視しなければ、必ずや未来に同じ間違いを起こす。そのための学問ではないか。自国民、日本民族を悪くいうのは辛いことである。しかし、だからこそ事実は事実として認め、未来の人々に真実を伝える責任があるのではないかと強く思う。

【修正前】 
「集団自決」 米軍からの投降の呼びかけを前に、集団自決をはかった人々が数多くいた。その背景には、住民への軍国主義教育や軍人からの指示や命令など、住民の意思決定を左右する戦時下のさまざまな要因があった。

【修正後】
「戦場の民間人」 激しい戦闘で多くの人びとが生命を落としたほか、犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく、「集団自決」自決に追い込まれた人びともいた。

物の整理

 4月に東京学生寮100周年の記念祭を迎えるにあたり、いろんな物の整理をしている。外の物置、階段下、集会室押し入れ等公共の場所に何とも多くの物を置いていた。いつかは使うかもしれないので、とりあえずは置いておこうと。

 様々な雑貨や箱、入れ物、金具、支柱、材木、板、竿などなど。出してみると結構な量。このたび卒寮する寮生が処分するために置いていった粗大ゴミと合わせるともう置き場所に困るほどだ。 

 せっかく置いていたものだが、10年、20年経てほとんど使ってないとなると、向こう10年、20年恐らく使わないだろう。かなり古くなって使い物にならない物もある。この際処分しないと結局後々の方に迷惑がかかるだろう。このたび使えない物は整理しようと思う。

 小金井市は、ゴミ処理焼却場老朽化に伴う新建設地でもめにもめている。小金井市のゴミはすべて国分寺市、府中市、三鷹市などの周辺の都市に処分をお願いしている。そのために基本のゴミ分別でも10種類以上分けなければならない。恐らく日本一厳しいのではないか。

 少し大きな物は、当然お金がかかってくる。何とか細かくして出そうと努力している。それでもそのゴミを出す袋は有料で40㍑で80円もする。効率よく捨てるためにこれまた一苦労だ。あっという間に日が暮れた。ぼちぼち頑張るしかない。

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